ロスアンゼルスカントリークラブ(以下 LA CC)ノースコースでの全米オープンが始まりました。

LA CCでの全米オープンは初めての事ですが、元々西海岸に全米オープンがやってきたのは、1895年東部ロードアイランド州のニューポートCC(Newport CC)で初開催されてから53年経た1948年、リビエラCC(Riviera)での大会でした。1955年にSFOのOlympic Club, そして西海岸最大のゴルフリゾート、ペブルビーチGL(Pebble Beach)での開催は1972年と意外に新しいのです。

その理由はメジャー大会が基本的にプライベートクラブでの開催が主体だったからです。その後、東部のリゾートメッカ、パインハースト第2コース(Pinehurst #2), ベスページブラック(BethPage Black)での開催から サンディエゴのトーリーパインズ(Torrey Pines),シアトル郊外のチェンバースベイ( Chambers Bay)などのMunicipalコースでの開催へと続きます。

LA地区だけでいえば1948年のリビエラ以来、75年振りとなるわけです。

1897年、ロスアンゼルスの実業家たちよって設立されたロサンゼルスGC(当時クラブの肩書きはゴルフクラブだった。)は、1911年にビバリー ヒルズの端にある現在の300エーカーの広大な丘陵地に辿り着くまで、3度も移転をしてきました。

ノース、サウスコースの36ホールはウィルシャー ブルバードとサンタモニカ ブルバードの交差点が近く、サウスコースはブルバードによって分離されています。しかしビバリーヒルズ、ベルエアに挟まれたLA CCは西海岸で最も高額な不動産の台地の上にあります。

当初12ホールコースでしたが、1920年にコースは英国出身のハーバートフォウラー(Herbert Fowler)によって18ホールへの拡張、リデザインされました。フォウラーは英国でWalton Heath, Cruden Bayなどの設計を手掛け、米国にリンクスのテイストを伝えた人物の一人でもありました。

1919年ビバリーヒルズに移転してきたペンシルベニア州フィラデルフィア出身のコース設計家ジョージ・トーマスJr(George Thomas Jr)は、後にクラブメンバーとなって理事会に参加するようになるとコースを大幅に改造するプランが立ち上がります。

トーマスはフォウラーの功績を残すためにノースコースでは12のグリーンの配置箇所はそのままにスクラッチゴルファー達には自身の技術にテーマを提供する戦略性、アベレージゴルファーにはプレーがスムーズに楽しめる攻略ルートのホールへと改良していきます。トーマスはこれを自身の著「米国におけるゴルフコース設計の側面」でLA CCにおけるホールの戦略的二面性、THE COURSE WITHIN A COURSEで詳しく解説し、後世に伝えています。

それは戦後、モダンコース時代を経て1990年半ばからビル・クーア、トム・ドォーク、ギル・ハンス、コース設計界の巨匠等によって始まったモダンクラシックコース時代の設計理論に大きく活用されました。

* ホールの2面性とはグリーンの形状とティの配置箇所によって攻略ルートのアングルは変わり、技術にあったハザードの効用性も提供した。

さてここでジョージ・トーマスJR(1873-1932)について解説しましょう。

彼はフィラデルフィアの銀行家の息子として生まれ、大学を卒業後、1907年まで父の下で働いていました。趣味はバラの育種で、本も出版したことから作家として全国的に知られる男でした。またペット犬のブリーダーとしても有名でした。

当時のトーマスJRはゴルフをプレーする事にはあまり関心はなかったようです。ただゴルフコースにおける自然への造園学、ランドスケープには大変興味を持ち、多くのコース設計家たちが集まり理論を分かち合うフィラデルティアスクールのメンバーになりました。コース設計家としての人生はここから始まります。

メンバーには後にWinged FootやBaltusrol等の名門を設計したA.W.ティリンガストやMerionを手がけたヒュー・ウィルソン、世界ナンバー1コースPine Valleyの創設者ジョージ・クランプもおりました。そのような事からフィラデルフィアクリケットクラブ第2コースではティリンガストのパートナーとして、またクランプからの依頼でPine Valley設計のアドバイザーの一人にも抜擢されました。

彼は第一次大戦で陸軍航空隊に従事し、巧みな戦略的作戦を指揮した事から大尉の地位まで昇格します。LA CCの仕事とほぼ同時期に、近郊のRiviera CC, Bel Air CCの設計も手がけた事から、人はThomas Jrの優れたリーダーシップに彼を“キャプテン”と呼ぶようにもなります。

驚く事に彼はゴルフ造成で非常にラッキーだったのは同じペンシルベニア出身でコース管理者兼シェーパーとして造成にも長けていたウィリアム・P・ベル(Willian Park Bell)通称Billy Bellと巡り会えた事でした。彼はトーマスJRの作品で特にバンカーの造成では当時としては珍しいバンカーエッジからフィンガーリップスをいくつも砂の壁に張りだす美しい形状を造り出しました。人はそれをベルの「ベースボールグラブバンカー」と名称しました

Thomas JRはLAの3コース完成を機にゴルフ界から突然姿を消します。彼は大好きだったバラの育成や釣りに没頭する毎日を送り、32年友人のマッケンジーの大作Augusta Nationalの完成を見る事なく58歳の若さで他界します。

彼の亡き後、Bellは息子のJRと共にThomasの設計理論を継承し素晴らしい作品を発表していきます。

* Willian “Billy” Bell (左), George Thomas Jr(中), Alister Mackenzie(右)

* Willian “Billy” BellのBaseball Glove Bunkers

* 1915~1930年代にかけてMLBで使用された野球グローブ

LA CCのホールのフレームを構成した「Barranca」のハザードとは。

ロスアンゼルスの4つの名コース、リビエラ、ベルエア、ウィルシャー、そして今回全米オープンが開催されるLA CCでゴルフされた方ならば一度は耳にした事があるかもしれないバランカ(Barranca)という用語。

辞書をひけば峡谷、谷間、渓谷などと訳されていますが、ベルエアの地形などはまさに峡谷の中に18ホールがレイアウトされているのがわかります。しかしLA CCのバランカは峡谷とか溝というよりも何万年もの間に水の流れによって出来た地形の亀裂、そこに土砂が流れこみ、植物が繁えた自然地帯と理解下さい。

バランカはアリゾナやテキサスのDry river or creek , フロリダやカロライナのStreambed(河床)と似ていますが、バランカは活断層が走るカリフォルニアの大地に出来た亀裂に水が流れ形成されていったものと学者は述べています。

ホールはこのバランカに沿ってレイアウトされているだけに攻略法に物凄い影響を与えるでしょう。またバランカによってギャラリーウェイも一部困難になる事から、本大会では1日22,000人のギャラリーに絞っているようです。

バランカの特徴がよく出たホールは2,3, 4, 6, 7, 8,17番で、2ショットも可能な距離のダブルドッグレッグホールの8番パー5はバランカによってリスクと報酬のホールとなっています。このホールはドラマが生まれます。

* 8番、アプローチ付近左手に流れるバランカ

9番パー3のグリーン手前の橋がかかった谷間もバランカと呼びますが攻略にはあまり影響はないでしょう。バランカだけを取り上げると今回の全米オープンはフロント9の攻略法と結果がバック9のプレーに強く影響してくるでしょう。私が初めてLA CCをお邪魔した80年代後半、当時バランカの浅い部分には芝が張られフェアウェイの歪み箇所のようになっていましたが、今回コースのRestore+Renovationを担当したGil HanseとJim Wagnerはオリジナルへの回帰にバランカの復元を第一のテーマにしました。

今年1月にLA一帯が大変な豪雨により洪水が発生した事はご記憶にあると思います。バランカの存在がコースを守ったとも言われています。日本でTV解説される方はバランカを日本語でどう訳し表現してよいか悩まれるでしょう。

説明の後、バランカと呼ぶのが相応しいかと思います。皆さんたちも「バランカ」覚えておいて下さい。

今大会で最も話題になっているホールが330ヤードの1オン可能なドライバブルPAR4の6番です。

グリーン手前で90度ドッグレッグして、バランカの奥の台地に400平米に満たない横長のPlateau Greenがあります。1オンルートだと樹木の上を越えてやや縦長のRedanタイプグリーンとなります。練習ラウンド後の記者会見では飛ばし屋の選手たちに記者は必ず1オンを狙うか?それともリスクは避けて2ショットでいくのか? と尋ねています。

ケプカたち飛ばし屋の意見はドライバー以下でグリーンを狙えるがそれでもリスクが高い、仮に2ショットの攻略ルートを選択しても間違えてFW左サイドに置いたならばあの細く小さなグリーンへのアプローチもタフな条件となると述べています。

去年はもちろん、全米オープンの練習ラウンドを終えた時の会見では記者が特定のホールの攻略について必ず質問します。USGAが提出した資料や自らが選手たちに付いて、記事にしたいと考えるホールは大体3つくらいでしょう。

日本のメジャー大会の会見ではこのような攻略法について選手たちに質問をされる記者たちはいるでしょうか?

* 1オン可能なドライバブルホールの6番。バランカの中にバンカーがあるかのようです。

ここ20年、全米オープンでTOP10、TOP5に入る条件はPAR3のトータルスコアがキーになるとそのデータが証明しています。

今回のPAR3は4番 228ヤード、7番 284ヤード、9番 171ヤード、11番 290ヤード、15番 124ヤード。PAR3のグリーンは全てに特徴があり、4日間トータルでアンダーを出すのは至難の業かも知れません。

124ヤードの15番は短いがトーナメントの流れから意外な落とし穴があります。ギル・ハンスは「大会ではフォワードティを活用して、フロントにピンを切れば、80ヤード前後のセッティングになるだけに大会の流れによっては是非USGAに考案してほしい。それもThomas JRの設計コンセプトに入っていたのですから」と述べています。

* 15番はわずか124ヤードのPAR3だが、フィニッシングの3ホールのPAR4が全て500ヤードを超えるタフなホールだけに間違えてもボギーは叩けない。しかし中央の起伏の存在が3パットを演出することもある。

そしてPAR3の後の5,8,12-13番の高低差をレイアウトに活用したホールに注目してください。

ロスアンゼルスCCは地形の高低差が47mもある丘陵地、最高に面白い大会になるはずです。

Text by Masa Nishijima

Photo by GOLF.com, USGA, Masa Nishijima, LA CC, Asocciation of GOLF Historian.