ゴルフ社会もニューノーマルな時代に突入か

世界中の経済を止めてしまったコロナウィルスが蔓延する中、ゴルフトーナメントの相次ぐ中止決定や延期。更にメンバーが感染されていた事が発覚し、すぐに閉鎖を決定したクラブの数々、欧米ではロックダウンを理由に、州や郡からの命で閉鎖したゴルフ場も多い。

日本は緊急事態宣言を機にスティホームをスローガンにしているが、コアなゴルファーにとって幸いにもゴルフ場や練習場は休業要請の対象とされていない。ただ密集の度合いが問題となり、感染ルートにゴルフ場や練習場が一つでも出れば、即刻休業要請の対象とされるでしょう。従ってオープンしているゴルフ場や練習場の責任は重く、徹底した衛生管理及び指導のもと、運営に踏み切らねばなりません。

プロショップの重要性

筆者は20年ほど前から連載シリーズやコラムの中(TCCでは連載GOLF Atmosphere No.5号で詳しく紹介)で、ヘッドプロ(日本では所属プロ)の存在をメンバーたちにしっかり認識してもらう意味からプロショップの正しいあり方を説いてきた。日本で多く見られる土産店かのようなスタイルを変え、欧米のようにプロの運営する専門店、レッスンのスケジュールなどもそこに掲示するなど、メンバーとプロのコミュニケーションの場と作るべきであると唱えてきました。プロショップの歴史はツアーで渡米した専属のクラブプロ達に当時のメンバーたちが新しい用具やボールを購入してくるよう依頼し、それをプロたちが販売した事が由来である。従ってプロショップはクラブハウスとは別棟で建てられているところも多い。プロショップの運営方法は様々である。例えばヘッドプロが家賃を支払い、グッズ売り上げの何%かをクラブ側に支払う等である。但し、レッスンに関してクラブ側はプロに対し強い要求をする事は出来ない。あくまでメンバーとのコミュニケーションの場から創られたプロのビジネスの領域である。

外資などが入り、バブル崩壊からの精算に追われていた当時のゴルフ場、一度Bankruptに陥ったクラブはどこもプロを雇用するだけの余裕などなかった。PGAプロの資格はとったものの配属される職場がない、専属プロとしての職場を増やす意味でもプロショップへの意識改革は必要なものでした。

(写 左、クラブハウス  右がプロショップ  Shinnecock Hills GC)

又、プロショップの存在、その活用方法はメンバーの価値を高めるためにも必要です。欧米の古き名門コースに行くとメンバーたちはゲストとの待ち合わせ場所をプロショップにされるケースが多い。またメンバーからの紹介のみの場合、ビジター扱いとなり、メンバーは支配人またはヘッドプロにその旨を伝え、プロショップで受付してスタートします。この場合、クラブハウスには入れないケースが多い。つまりクラブハウスは支配人の管轄であり、メンバーたちのソサイティの場との認識があるからです。つまりメンバー同伴が最低条件となるからです。尚、ゲスト、ビジターのグリーンフィの支払いはメンバーのアカウントで精算されます。その場合、メンバーが同伴するゲストと紹介だけのゲストではグリーンフィに大きな差があり、写真のシネコックヒルズを例にするとゲストは$100~150,  ビジターは$350となります。従ってメンバー達は高額なビジターのグリーンフィが請求書に付くのを拒み、よほどの理由がない限り同伴プレーをするわけです。クラブハウスの飲食も全てメンバーのアカウントで精算されます。クラブによっては年間ゲストを呼べる数が15~20数名までとされ、あとは同伴であってもビジター請求をするクラブもあります。

ゲストやビジターがそのクラブで支払うのはプロショップでの買い物とキャディ代で、それはチップとして直接彼らに渡します。キャディの質にもよりますが、$100~$150が通常の相場でしょう。これも必ずメンバーに確認する必要はあります。

ゴルフコース研究家たちが訪問したいがメンバーに知り合いがいない、コネクションを持たない場合、コースのみの視察であれば、その許可はヘッドプロ、及びスーパーインテンデント(コース管理責任者、日本ではグリーンキーパー)の責任の範囲で了承を受け入れてくれる事があります。1~2名ならば、ヘッドプロに与えられた年間のゲスト客として扱われ、プレーする事も可能です。

クラブハウスは支配人の管轄ですが、その場合、あくまでレストランや長い歴史が飾られたライブラリーの一室程度の案内で、後はメンバー同伴が義務付けられます。

豪州ではクラブハウスには入れるが、館内でメンバーズオンリーと書かれたドアをよく見かけます。それはロッカールームであり、メンバーズオンリーのラウンジです。つまりゲスト及びビジターはメンバーの社交の場には入れないわけです。通常そのメンバーズラウンジはジャケットだけでなく、ネクタイ着用も義務付けられます。

ここまでがプロショップとクラブハウスの別棟の価値を伝える話を致しましたが、皆様たちの東京クラシッククラブ(以下略=TCC)はプロショップとクラブハウスが別棟で建てられている日本では珍しい「メンバーズコース」、「プライベートクラブ」なのです。

今回のコロナウィルスの問題で、仮にクラブハウスが衛生上の理由から閉館されても、欧米豪のプライベートクラブ同様にグリーンフィが年会費に含まれているメンバーたちはプロショップを通してプレーが可能となる。

もちろんそれにはメンバーたちのコロナウィルスに関する知識、マナー、そしてルール規制を守ることが絶対条件ですが。

 

ここでちょっとクラブハウスについてお話しましょう。

クラブハウスが誕生した歴史はゴルフ発祥のセント・アンドリューズで、家事も手伝わずにゴルフに明け暮れる日々を送っていた旦那たちに呆れた主婦たちがわざわざゴルフコースのクリークで洗濯し、洗濯物を広げてプレーを妨害したという「あるがままのルール」規定の逸話があります。男たちは妻たちが入れないゴルフのソサイティークラブを作ろうとしたのがクラブハウス誕生の歴史と言われています。産業革命後、鉄道が全土に拡張していく中、我が町にもゴルフコースを!と名士たちが立ち上がり建設資金を集めるのですが、彼らはその事務所として活用した倉庫や民家をクラブハウスとして活用します。つまりクラブハウスはコースが完成する以前から存在し、そこをメンバーの社交の場として改築していったのです。従って、スコットランドではクラブハウスはコース用地になく、街中にあった歴史を持つクラブも多々見かけます。

 

スコットランドゴルフ史の始まりは今も定かではありません。ただ1452年にゴルフボール1個が1シリングの値で販売されていた記述、ジェームズ2世が武士道を忘れ、ゴルフに夢中になる家臣たちに発令された「ゴルフ禁止令」が1457年であった事からそれ以前からゴルフは存在していた事になります。

そのゴルフ禁止令が出されたとされるのがエジンバラ郊外にあったブランツフィールドとリースのリンクスランドで、後にオノラブルカンパニーオブ・エジンバラゴルファーズのゴルフソサイティークラブの起源はそこで誕生し、後にマッセルバラ、そして現在のミュアフィルードへとクラブは移転していきます。

そんな中、マッセルバラの街に彼らがクラブハウスとして活用していた建物の一つが1895年建造のロイヤルバージェスクラブハウス(写真上)で、この館は後にカフェ、パブ、歯科医院となり、1993年にマッセルバラオールドコースゴルフクラブのソサイティの場として戻っています。これなどはクラブハウスの歴史を学ぶ上で大事な資料の一つでしょう。

 

何故、ゴルフはネクタイを締めてプレーしていたのか?

 これには様々な言い伝えがありますが、ゴルフが貴族のスポーツ、紳士のスポーツだからと聞かされた方も多くいらっしゃるでしょう。しかしゴルフはサッカー同様に、貴族から商人、農民までもプレーを許されたリンクスランドのスポーツです。

ゴルフ史家バーナード・ダーウィンは著書の中で、「階級に関係なく、社交の場であるクラブハウスに入るには全員が同じレベルの服装をマナーとした。それはジャケット、タイであり、それは後にゴルフがジェントルマンのスポーツと呼ばれる所以にもなった。しかし当時のクラブハウスにはロッカールームなんて洒落たものはなく、クラブの置き場があるくらいの質素なものであった。従ってメンバーたちはそのままの服装でプレーするのが当たり前とされていたのだろう。」と述べている。ネクタイ、ジャケットでのプレーには他に様々な説があるが、それらはゴルフを偉大に語るかのように当時の社会環境、歴史を歪めるかのような説が多く、ダーウィンのこの説が最も正論に近いのではないだろうか。タイを付けてのプレースタイルは20世紀に入り、トーナメントでは戦前まで当たり前のように続けられました。

 

ここでGOLF AtmosphereNo.1 「Atmosphereに包まれたGentlemenたちのソサエティ」でご紹介したノースベーリックゴルフクラブのユニークなクラブ史の原稿を抜粋し、再度ご紹介しましょう。

「このリンクスの歴史は、更に東に位置したイーストコースの6ホールから始まり、拡張されながら、現在のウェストコースに辿り着いた歴史があります。ノースベーリックGC1832年に貴族階級のゴルファーたちによって倶楽部が設立されました。しかし街の経済を担う商人たちは、1853年に自分たちもここでゴルフを楽しむ権利を主張し、タンタヨンGC(Tantallon)を設立し、市の協議会にプレーの権利を求めます。更に1873年には教職者、行商人などの一般人たちもがプレーの権利を主張し、バスロックGC(Bass Rock)を設立、市はそれぞれに権利を認めました。そしてこのリンクスがあるイーストロジアン県の協議会は、それぞれの倶楽部のグリーン委員会にコースを維持、管理するよう指示します。すると今度は奥様方が立ち上がり、自分たちにもゴルフを楽しむ権利を与えるよう訴えを起こし、1888年にはレディーズクラブを、現在のマクドナルドマリーンホテルの一室に設けました。レディースソサエティは、現在、ノースベーリックGCに属しています。ひとつのリンクスコースを3つの倶楽部ソサエティが共有する一例です。
これらの事から、ゴルフ史において、ゴルフコース以上に、その倶楽部ソサエティの存在がより価値があり、重要であることが理解できます。そこはゴルフ好きな男たちが集う集会所であり、酒を分かち合い、カードをする者たちもいました。そして、彼らはここをいかなる身分であれど、ジェントルマンの場として、ジャケット、タイで入館を義務付けていたのです。昔のゴルフ風景画や写真に、ジャケット、タイでゴルフをしている人々が描かれていますが、この風習はなんと戦前まで続きます。つまりここに、ゴルフは紳士のスポーツと言われる由縁があるのでしょう。」

ネクタイを締めてプレーするスタイルに、スポーツマンらしくないと真っ向から反発し、襟もないラフなシャッでプレーしていた人がいました。

野球界の球聖ベーブ・ルースでした。

国民的英雄ベーブ・ルースだからこそ許された彼だけのドレスコードだったのかも知れない。ルースは後にゴルフの愉しさを以下のように述べている。

「野球でミスショットはアウトの判定で終わるが、ゴルフはそれをリカバリーするチャンスを与えてくれる球技だ。」

ルースはニッカボッカのパンツの後ろポケットに汗拭きタオルをかけてプレーしたりしていました。昔どこかの国の総理大臣にもそんな方がいましたね。笑。

 

新しい時代のプライベートクラブのあり方とは

 

コロナウィルスが世界的パンデミックになった3月、英国とアイルランドは3月23日のロックダウンと共に全てのコースが閉鎖されました。そして2ヶ月後の5月23日にアイルランドは全コースを再開させる事を発表しました。しかし初動の体制、特に医療崩壊を起こした英国では再開は未定で、スコットランドは6月末が妥当であろうと話されているようです。しかしスコットランドや北アイルランドではこのロックダウンの最中にもメンバーの何人かは、ひょっこりコースにやってきて、数ホールをセルフプレーしては帰るその光景がローカル紙に載せられたりしましたが、市民はその光景を見ても誰も非難したりしていません。地元住民のコメントの一つをご紹介しましょう。

「ゴルフは昔から生活の営みであったのですから、彼らが大勢でやらないのならば誰も彼らを止める権利はないはずです。」

ゴルフは市民権を得ている何よりの証拠です。

 

「貴方は何故にゴルフを始めたのですか?

スコットランド人に聞けば誰もがこう答えます。

「そこにリンクスランドがあったら」

これは昔も今も変わりません。

この素朴な自然環境、社会の営みの中には存在しています。

 

to be continue.

 

 Text by Masa Nishijima

Photo by Masa Nishijima, S.I, The Society of Golf Historians.