2021年4月9日。99歳で薨逝されたイギリスのフィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh )。

70年以上に渡り、エリザベス女王を共に生き、女王を支えてこられた殿下の死に、世界中から哀悼の意が捧げされました。

ギリシャに生まれ、若くして軍人として名をあげ、王配としても献身的に公務に取り組まれてきたフィリップ殿下。そのお姿は、既に世界中のメディアで紹介され、我々は改めてその功績を知ることになりました。

今回は、その中から一つ。

フィリップ殿下と馬との長く深い繋がりを、お伝えしたいと思います。

豊かな馬文化を誇るイギリス。王室と馬との関係も強く、エリザベス女王は大の競馬好きで知られ、王室初のオリンピック選手となったプリンセス・ロイヤル(=Anne, Princess Royal / アン王女)はイベンティングライダーでした。

そして、フィリップ殿下もまた、かつてはポロの名手だったのです。その腕前はというと、イギリスの中でもトップ8の一人に数えられ、ポロへの情熱は、息子であるチャールズ皇太子や今をときめくウィリアム王子やハリー王子にも受け継がれました。

数々の名勝負を繰り広げ、50歳でポロプレーヤーを引退すると、殿下が次に夢中になったのがドライビング(=Driving / 馬車競技)。自ら4頭立ての馬車を操り、スポーツとしてのルールを確立し、競技会を開催。

1980年にウインザーで行われたドライビングの世界選手権では、見事チーム優勝を果たし、1978年、1982年、1984年の大会ではチーム銅メダルの獲得に貢献しました。

アスリートとしての輝かしい成功と同時に、フィリップ殿下にはもう一つの「顔」がありました。

それが、国際馬術連盟(FEI)会長としての偉業でした。

1960年代、馬術競技は大きな変革期を迎えます。1945年の第二次世界大戦から10年以上の歳月が過ぎ、世界経済も飛躍的に発展。その中で、「馬」も軍用馬から乗用馬へと、その役割を変えていったのです。

かつては、将校のみに限られていたオリンピックの出場資格も、1964年の東京オリンピックからは3種目の全てで解禁。ちょうど、その年に会長に就任したのが、フィリップ殿下でした。

以来、在職22年は歴代最長記録。激動の時代に馬術界を牽引し、先のドライビングのみならず、馬術競技全体ののスポーツ化を成功へと導きました。

特筆すべきは、馬術競技の華・ショージャンピング(障害飛越競技)のワールドカップ創設。企業スポンサーを募り、ショーアップされた大会は、長く厳しいヨーロッパの冬を、華麗に彩ったのです。

構想から実現まで10年もの歳月を費やされた大会は、1979年、スウェーデンのヨーテボリ(Gothengurg)で初開催され、タイトルスポンサーには「ボルボ」の名前が掲げられました。以来、40年に渡り成長を続けてきたワールドカップは、競技数を増やし、参加国を増やし、世界中でリーグ戦が行われるようになり、毎年春にシーズンの世界一決定戦として「ワールドカップファイナル」が行われています。

さらに、FEIが公認する馬術競技の全てで世界チャンピオンを競う、WEG(World Equestrian Games / 馬術世界選手権)の実現を強く推し進めたのもフィリップ殿下でした。

実際に、スウェーデンのストックホルム(Stockholm)で第一回大会が行われたのは1990年のこと。フィリップ殿下が会長職を退任してから2年後のことでしたが、次のFEI会長に就いていたのが娘であるアン王女。父の確固たる意思を受け継ぎ、その後も4年ごとの開催を定着させ、WEGは世界一の馬術大会として、馬術選手たちの憧れの舞台となったのです。

私たちが、今、こうして馬術競技をスポーツとして楽しめるのも、一重にフィリップ殿下からの賜物。

遠い異国の地から・・・改めて、感謝の気持ちを込めて、どうぞ安らかにお眠りください。

Photo by FEI

 
 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。