丑年の始まりに合わせて、かつて日本に暮らした珍しい馬のお話を一つ。

全身の表面を覆う上毛(うわげ)が無く、たてがみや尻尾に長毛も無い。

一見するとウシのようにも見えるウマが、鹿児島県・種子島にいました。

その名も「ウシウマ」。

ウシウマの伝来は、文禄・慶長の役において豊臣秀吉に従い、朝鮮に渡った島津義弘が明軍より譲り受け、10頭を日本に持ち帰ったものだと考えられています。

彼らのルーツについては、モンゴルや中国の奥地だとする説が有力ですが、以前にご紹介したアハルテケ(No. 45 Akhal-Teke)など、比較的皮膚の薄い品種が生息する中央アジアから西ヨーロッパを起源とする説なども存在します。

その根拠の一つに、繁殖地が挙げられます。当初は鹿児島の吉野牧で飼養されていましたが、思うように繁殖が進まず、約80年後の1683年(天和3年)に、より温暖な種子島の芦野牧に5頭を移したところ、繁殖の成果も上がり、江戸時代の終わりには60頭ほどまでその数を増やしました。

ウシウマの身体は小さく、体高は120cm程度。また、この希少種にも「禿型」と「縮れ毛型」が存在し、毛の無い尻尾は牛蒡のようにも見えたことから、地元では「ゴンボウ」と呼ばれていたのだそうです。

時代は下り、1871年(明治4年)。

「牧」の廃止により、ウシウマもまた民間に払い下げされましたが、これを機に、元来、繁殖の難しいウシウマの数は激減。1889年(明治22年)には、ついに雄一頭だけが残されました。

これを憂いた地元の実業家・田上七之助は、自らの牧場で近い品種との交配を試み、二十数頭の繁殖に成功。その間、1931年(昭和6年)には国の天然記念物に指定され、1936年(昭和11年)には、鹿児島県まで陸軍演習に巡行された昭和天皇が禿型の第一田上号を叡覧されるなど、ウシウマが再び注目を集めた時期もありましたが、終戦後の1946年(昭和21年)、第四田上号が栄養失調により亡くなると、ウシウマは絶滅してしまいました。

ゴンボウとして親しまれたウシウマ。

鹿児島県の種子島開発総合センター鉄砲館や鹿児島県立博物館には、その骨格標本が残され、在りし日の姿を今に伝えています。

 
 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。