世界中で最もポピュラーなラッキーアイテムといえば、ホースシュー!!(Horseshoe=蹄鉄)

特に開いた部分を上に向けると幸運が舞い込んでくるとも言われ、アクセサリーや壁飾りのモチーフとしても大人気。特に海外ではノッカーとして使われていることも少なくありません。

日本では「人を踏まない」とされる馬にあやかり、交通安全のお守りとして蹄鉄を付けた車も見かけます。

あぁ、あれね!と多くの方が蹄鉄を思い浮かべて下さったでしょう。では、その蹄鉄を履く馬の蹄ご覧になったことはありますでしょうか。

そもそも、蹄をもつ動物(=有蹄類)は非常に数多く、牛や羊、像、遡ればクジラも有蹄類から進化したと考えられています。

その中でも馬は代表的な奇蹄目の一つ。かつてあった5本の指のうち、生態に沿って中指(第三指)が発達し、他の指が退化したことから、四肢ともに一つの蹄で覆われています。同じ奇蹄目でも、サイは蹄が3つ。共通するのは発達した中指が蹄の中心であることなのだそうです。

これに対し、牛や豚、羊などは偶蹄目。ぬかるんだ泥地でも肢を取られることなく歩けるように、先端が分かれているのが一番の特徴で、有蹄類の約90%が偶蹄目とされています。

ただし、この「・・類」や「・・目」等の分類群は、研究技術の発達により無効になることもしばしば。最近では、偶蹄目は鯨偶蹄目というのだそうですが、馬とは遠い祖先なので割愛です。

   

さて、発達した蹄で草原を駈け巡ってきた馬はやがて人類と出会います。同時に、これは蹄を保護する歴史の始まりでもありました。

元来、馬は蹄が命。強く丈夫で常に走れる蹄で無ければ、それは死に直結していたのです。そのため、野生動物は自然界から多様な栄養素を取り入れます。また、日々荒々しい地面を駈けることで、必然的に蹄も頑丈になります。

ところが、人と暮らすことによって、これらの「自然の摂理」が働かなくなりました。与えられる飼料が強い蹄を作るとは限りません。蹄を鍛えるほどの荒野では、人は共に進めなくなるでしょう。

さらに、積荷や荷車を引くことで身体以上の重量を支えたり、飼養環境が変化したりと野生状態から遠ざかることで、蹄はどんどん弱くなっていったのです。

馬が蹄に支障を来たし動けなくなれば、困るのは人も同じ。そこで、人は創意工夫を重ね、蹄の保護に乗り出します。蹄鉄の起源には諸説ありますが、当初は動物の革や布で蹄を巻いていたと考えられ、青銅製の蹄鉄のような物は紀元前5世紀頃の遺跡から出土しています。

現在、最もよく知られているU字型の蹄鉄が普及したのは中世のこと。特に十字軍の時代には、一般的にも用いられるようになった反面、鉄の価値が高く、税金として蹄鉄が納められることもありました。

さらに、13世紀には既製品の蹄鉄が量産されるようになり、装着する直前に鉄で熱し個体に合わせて調整する方法が広まりました。そして、二つと無い蹄に合わせて鉄を鍛える技は、鍛冶技術の発展にも大きく貢献したと考えられています。

日本にこの西洋式の蹄鉄が入ってきたのは明治以降のこと。歴史はまだまだ浅いのですが、それでも日本ではホースシュー=蹄鉄。それ以前は、ごく一部で「馬の草鞋」が使われていたものの、ホースシューはそれほど普及していませんでした。

一番の理由は、日本の在来馬の蹄が丈夫だったこと。また、以前もお話ししましたが、欧米に比べ馬運がそれほど発展しなかった日本では、あまり必要とされなかったのかもしれません。あくまで、日本にとってホースシューは西洋の馬と共にやってきた新しい物だったのです。

その後、馬匹改良に積極的に取り組まれた明治天皇のご意向もあり、蹄鉄の需要も一気に高まります。幾度と無くヨーロッパから装蹄師を招聘し、1890年には国家資格認定するなど蹄鉄工の養成も行われました。

 

人と馬が出会わなければ、蹄鉄は存在しませんでした。蹄鉄はまさに、人と馬が共に生きる証。そう思うとまた一つ、身近にホースシューを飾りたくなりませんか。

 

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。