No.55 Tokyo 2020 – Paralympic Games
パラリンピックで初めて馬術競技が実施されたのは、1996年アトランタ大会。
実際には、1984年にも馬術競技初の世界大会が行われた記録が残されていますが、パラリンピックが”正式名称”として採用されたのが1988年のソウル大会でしたので、公式には1996年のアトランタ大会が第一回目とされています。
以来、東京までの7大会に渡り王者に君臨してきたのはイギリス。
豊かな馬文化に加え、馬を活用したリハビリテーションやホースセラピーをはじめとした障害者乗馬全般に対する研究開発の先進国であるイギリスは、最高峰のパラリンピックでも世界を牽引してきました。
中でも、Sir David Lee Pearson(リー・ピアソン)は、世界で最も有名な馬術選手の一人。
2000年のシドニーでオリンピック初出場、初金メダルを獲得して以来、東京まで6大会連続出場。その全てでメダルを獲得し、さらには世界選手権やヨーロッパ選手権などでも常に世界のトップに名を連ね、英国の栄誉称号(Sir:サー)も贈られています。
東京大会直前には、彼の特集がテレビで放送されたこともあり、日本国内での注目も急上昇。結果、確かな技術と成熟した演技で個人(規定)個人(自由演技)そしてチームと3冠達成。シドニー、アテネ、北京に続く、4度目の完全制覇を果たしました。
東京でもう一つ話題になったのが、アメリカの台頭。
パラ・ドレッサージュの歴史を振り返れば、ヨーロッパ勢が圧倒的な強さを誇る中、わずか20年でチームの表彰台に到達。
個人ではなく、国をあげたチームでの成果に「さすがは、スポーツ大国アメリカ」と、誰もが賞賛を贈りました。
現在、パラリンピックで実施されている馬術競技はPara-Dressage(パラ・ドレッサージュ=馬場馬術)だけですが、国際馬術連盟の公式競技にはもう一つ、Para-Drivingがあります。
いずれも、国際馬術連盟の定めにより、クラシファイアー(=classifiers)と呼ばれる専門の判定の下、身体又は視覚的障害のレベルに応じてクラス分けが行われます。同時に、使用する馬具等についても使用の可否が判断され、人馬の安全と競技の公平性が保たれています。
ただ、中には障害の認定を受けず、”一般の”大会に出場する馬術選手の存在も少なくありません。もちろん、ドレッサージュだけでなく、ジャンピング競技にも参戦しています。
障害を一括りにはできませんが、元来、馬を介することで、老若男女が同じ土俵で競うことのできる馬術競技。人馬一体のパフォーマンスを引き出す醍醐味に、障害の有無は関係無いのかも知れません。
MILKY KORA
馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。