No.33 Prix de l’Arc de Triomphe
Parisの心地よい響きに、普段は競馬に興味の無くとも、世界中の人々をも惹きつけるPrix de l’Arc de Triomphe=凱旋門賞。1年に一度、毎年10月の第一日曜日に開催され、レベルも華やかさも世界屈指。
近頃は日本でも、民放での生中継やスポーツバーでの観戦など、秋の訪れを告げる風物詩の一つに数えらほどの盛り上がりをみせ、終わったばかりの2019年には、日本国内だけで41億円以上もの馬券が売り上げられました。
名だたる世界最高峰の国際レースの中でも、日本の競馬関係者や競馬ファンたちがこよなく愛する凱旋門賞。以前、競馬のジャーナリストに「なぜ、凱旋門賞だけが特別なのか」と尋ねたところ「ゲームのゴールですよ!」と実しやかな答えが返ってきました。
嘘か誠か・・・日本で人気を博した競馬ゲームでは、馬を育て、レースを勝ち抜き、目指すは世界の大舞台、凱旋門賞と設定されていることから、多くの日本人にとって最も身近な世界レースが凱旋門賞なのだそうです。
ところが、今でこそ世界の競馬を牽引する国の一つとされるフランスも、近代競馬の歴史は日本と同じ150年。それ以前は、貴族たちによるハンティングや馬術が主流。イギリスとの絶妙なパワーバランスも影響し、イギリスを発祥とする近代競馬の発展にはしばらく時間がかかりました。
16世紀半ばにイギリスで起こった近代競馬が、最初にフランスに渡ったのは17世紀の初め頃。以来、イギリスでは競馬に適した馬の品種改良が一気に加熱したのに対し、フランス馬産の中心はあくまで乗用馬でした。乗用馬とはいえ、その用途は様々。軍用馬や使役馬、競技馬もいれば品評会を舞台にする馬など千差万別。特にフランス北西部のノルマンディ地方は、牧畜に適した肥沃な大地が広がり、馬産も盛んに行われていました。
馬がいれば競いたくなるのが人の心理というもの。当然、フランスでも草競馬は長い間、大衆に人気の娯楽でした。それでも、近代競馬が受け入れられなかったのは、規則と管理に基づき、スピードを追い求めるイギリス的な価値観がフランス人の精神に合わなかったからかもしれません。実際に、同じ頃にイギリス式の競馬を受け入れた日本の競馬が、今でも馬体重の増減を非常に重視するのに対し、フランスには馬の体重を測る習慣がありません。競馬場には馬の体重計すら無いのですから、何ともフランスらしい大らかさです。
その後、近代競馬を普及させるべく、乗り出したのがナポレオン・ボナパルトでした。フランス革命の後、1805年に法制度を整備しましたが、庶民にまでは思うように届かず、一部の王族や貴族の趣味に変わりはありませんでした。
フランスに近代競馬が大きく花開いたのは19世紀も後半のこと。その最大の要因となったのが、1856年に新設されたロンシャン競馬場でした。パリ16区、フランス市民の憩いの庭・ブローニュの森に出来上がった競馬場は翌年の初開催から大盛況。瞬く間に競馬が空前の大ブームとなったのです。
元来、馬文化の土壌が整ったフランスのことですから、近代競馬の定着にも時間はかかりません。すると、そこはヨーロッパの雄・フランス。即座に国外に目を向け、フランス最初の国際レース・パリ大賞を創設。第一回目は宿敵・イギリス馬に敗れましたが、その後はフランス馬も巻き返し、世情を反映した熱き戦いが繰り広げられました。
20世紀になると、人やお金、情報、そして馬までもが世界を旅するようになります。特に、後発的だったフランス競馬には、国内外のホースマンたちが次々と参入し、フランス競馬のレベルは格段に向上します。
そして、1920年。ようやく誕生したのが凱旋門賞でした。当然、一番の目的はフランス産馬の優秀さ示すこと。さらに、時は第一次世界大戦直後。戦勝国フランスは「強いフランス」を国内外に知らしめる絶好の機会を作り上げたのです。
特に、同じ連合国の一員でありながらも、長い間ライバルであったイギリスを競馬で負かすことはフランスの悲願。凱旋門賞は、対世界、そして対イギリスと、フランスの意地をかけたレースだったのです。
ところが、第一回目はまたもイギリスに完敗。しかも、外国からの参戦は優勝したイギリス馬を含め2頭と散々な始まりでした。
苦杯を嘗めたフランスは、凱旋門賞こそ世界一を決めるに相応しい舞台と、レースの改善を試みます。賞金を上乗せし、国外にも広く門戸を開き、また、フランス馬を積極的に海外の大レースに参戦させることで、フランス馬の知名度を上げ、現在の地位へと登り詰めたのです。
最近では、カタール競馬馬術クラブ(Qatar Racing and Equestrian Club)をタイトルスポンサーに拝し、賞金面でも世界最高峰の一戦。世界一美しい競馬場と名高いロンシャンを臙脂色に染める看板には目を見張るばかりですが、その貪欲さもまたフランスらしさなのかも知れません。
MILKY KORA
馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。