「拍車をかける!」の拍車とは、馬に合図を送り、コミュニケーションを図るための大切な道具の一つ。

乗り手のブーツ(=長靴)のかかとに装着し、必要に応じて馬の腹部を刺激することで、より精度の高い制御を可能にします。

慣用句として使われるようになり、馬よりよほど身近な拍車ですが、実は日本の馬術において拍車が使われるようになったのは、比較的最近のことだと考えられています。

拍車(=Spur)が歴史上最初に登場したのは古代ローマの時代。ソクラテスの弟子・クセノポンの残した馬術書には、既に拍車が記されていました。

時代は下り、中世ヨーロッパでは勲章として拍車もまた騎士の誇り。従者の拍車が銀箔であったのに対し、騎士の拍車には金箔が施され、「win his spurs」と言えば騎士の称号を得ることを意味しました。

時に、不名誉な騎士がいれば、かかとから拍車を奪い取り、1302年、フランドル地域で起こった戦争では、負けたフランス軍騎士たちの拍車が数多く戦場に残っていたことから金拍車の戦い(=Battle of the Golden Spurs)とも呼ばれています。

実は、「名誉の拍車」は様々な形で今も続いており、イギリスの最高勲章Order of the Garterでは金の拍車が贈られたり、アメリカ陸軍の騎兵隊ではOrder of the Spurの伝統が受け継がれていたり、かの大作曲家モーツァルトも受賞したヴァチカンのOrder of the Golden Spurは世界最高の勲章として、その名を轟かせています。

にもかかわらず、日本での普及が「最近」だったのは、幾つかの理由が重なったことだと考えられます。元来、日本の馬は小柄だったことや、当時の装束、和式鞍の事情などからも、必ずしも必要ではなかったのでしょう。実際、渡来人の残した日本の記録にも、馬具の中に拍車はありませんでした。

その後、泰平の時代の訪れと共に、ヨーロッパの馬や馬具、馬術の知識が日本に持ち込まれるようになり、拍車も日本にやってきました。当時は「スポール」というポルトガル語に近い発音で表現されていたと記されています。

そして、明治以降に進められた国策としての馬匹改良により、馬の大型化や速力、持久力の強化が進められた結果、拍車の普及にも拍車がかかったのです。

 

現在、ホーススポーツの世界において拍車は、ブリティッシュやウエスタンなどのスタイルを問わず一般的によく使われています。初級者レベルを除けば、大会などでも拍車を必須とする種目もあり、乗り手は騎乗時だけでなく、表彰式などでも拍車を装着した姿が正装とされています。

それもそのはず、拍車は勲章なのですから、日本では馴染みがなくとも西洋文化圏では拍車も「正装」に違いありません!!

ところが、伝統や文化よりも動物愛護が重視される昨今、拍車への批判も高まっています。特に競馬では、20世紀初頭からジョッキーの騎乗姿勢が鎧の短い現在のスタイルへと移り変わり、拍車の当たる位置が馬の腹部から上へと変わったことや、馬体を傷付る懸念が広がり、今では多くの国でその使用が禁止又は制限されています。日本でもJRA(日本中央競馬会)で2010年に、NRA(地方競馬全国協会)では2011年から、特例を除き拍車の使用は禁止されています。

ともあれ、ぜひ一度、拍車を手に取ってじっくりとご覧ください。中世騎士たちの誇りが伝わってくるかもしれません。

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。