No. 20 Olympic Games
ついにこの話題、オリンピック!
嗜好に傾倒しまいと後回しにしていたものの、翌年に迫った東京オリンピックに思いを馳せ、20回目の節目にようやく、オリンピックの馬術競技について。
そもそも、オリンピック競技なの?と聞かれることも多い馬術ですが、連載No.3 As a Sportでもお伝えした通り、チャリオットレースは古代オリンピック時代から正式種目の一つでした。
フランスの教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵が古代オリンピックの復興を唱え、近代オリンピックの基礎を築き、ギリシャのアテネで第一回大会が開催されたのは1896年のこと。続く1900年の第二回フランス・パリ大会では、既に馬術競技が実施されていました。
けれども、当時の実施競技は現在とは異なり、ジャンピング(=障害馬術)の他、走り高飛び(=High Jump)や走り高飛び(=Long Jump)、複数国の混合チームでポロも行われたと記録されています。
ただ、残念ながらこの後、1904年の第三回アメリカ・セントルイス大会、1908年の第四回イギリス・ロンドン大会と二大会続けて馬術競技は実施されず、1912年、第五回スウェーデン・ストックホルム大会から現在の3競技体制が整い、これをオリンピック元年と定めたのです。
この記念すべきオリンピックで、最初のドレッサージュ金メダリストに輝いたのは開催国・スウェーデンのカール・ボンド伯爵(=Count Carl Gustaf Bonde af Björnö / 写真)
パートナーはその名もエンペラー(=Emperor)。出来すぎた話にも聞こえますが、彼は16年後、56歳で出場したアムステルダム大会でもインゴ(=Ingo)と共にチーム銀メダルを獲得するなど、長年に渡り名ライダーとして活躍しました。
以来100年に渡り、栄光の歴史を刻むオリンピックの馬術競技。今では30以上ある競技の中でも唯一、動物と共に競い、男女平等、全ての人馬が全く同じ土俵で戦う競技として注目される機会も多くなりました。
ところが、実は「不平等」な時代が最も長かったのも馬術競技でした。
これまで何度も繰り返してきましたが、「馬こそ国力」だった時代、馬の中でも特に運動能力に優れた馬の多くが軍馬として徴用されました。その中でも、腕に自信のある上官ほど能力の高い馬に騎乗していたのでしょう。1948年、第二次世界大戦後初開催となったロンドン大会までは、いずれの国も将校でなければ馬術競技に出場することができなかったのです。
その後、世情の変化を受け1952年、フィンランド・ヘルシンキで行われた第十五回大会において「男子騎兵隊将校に限る」というルールを改正し、事実上、女性の参加が認められるようになりました。
優雅で美しいホーススポーツですが、オリンピックの歴史を振り返れば、また違った一面が窺えるかもしれません。
MILKY KORA
馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。