2022年ライダーカップはフランスに続き、欧州大陸イタリアで開催される。

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1978年、都会の喧騒を逃れ、自然に囲まれたカントリーサイドに定住を考えていたイタリアセレブ界のファッションデザイナー、ローラ・ビアジオッティ(Laura Biagiotti)と彼女の後の夫となるジアン二・チーニャ( Gianni Cigna)は、ローマからティボリに行く街道の途中にあるマルコ・シッモーネ(Marco Simone)の城館に魅入られます。このマルコ・シッモーネ城は、3世紀にローマを囲む城壁に沿って建てられた要塞を起源とし、11世紀にはサン・ピエトロドームが建築され、枢機卿の夏の離宮として現在見る城館の一部が増築されていきました。その後も代々の貴族たちによって増改築が繰り返されますが、塔と城館の外壁は中世時代のままに補修されています。

150ヘクタールにもなる荘園とその城は長くテバルティ家の所有として歴史を刻み、16世紀に城主となったシモン・デバルディは、息子の名マルコ・シッモーネを城の名にしました。その後、荘園は18世紀にはボルゲーゼ家王妃の所有財産となり、その後、マッシモ家のブランカッチオ王子に引き継がれました。

 

*古くは皇帝アドリアヌス時代からの遺跡やローマンビッラを描くモザイク。

*古くは皇帝アドリアヌス時代からの遺跡やローマンビッラを描くモザイク。

ボルゲーゼ家、マッシモ家は、教皇領を抑えイタリア王国の王家になったサボイア家(.サボワ)に忠誠を誓わず、教皇側につき、1929年ラテラノ条約によりバチカンとの二重国籍持つAristocrazia nera、所謂「黒い貴族」たちでした。

ちなみにイタリア史で王政が廃止されるのは1946年の事です。

黒い貴族たちの歴史を調べていくと、小説家ダン・ブラウンの「天使と悪魔」「ダビンチコード」に登場するイルミナティやフリーメイソンの世界に迷い込んでしまいそうな逸話も登場してきます。

イタリアファション界をリードしたローラ・ビアジオッティが城主になっても、マルコ・シッモーネ城は国の有形文化財であり、彼女が望む修復はすべてイタリア政府が公認する芸術家団体によって行われました。

そして彼女は2011年、亡くなるまでこの城で余生を送ります。

*ローラ・ビアジオッティ

*ローラ・ビアジオッティ

 

ゴルフコース建設へ。

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 かつては狩りの森だった城を囲む150ヘクタールの敷地をより有効活用する為に、一部を農地とし、オーガニック野菜や果実を菜園しますが、80年代半ばには将来的に城の維持管理費の負担を抑える意味からゴルフコース建設の提案が浮かび、それはローマ市に伝えられます。そして市の北50kmの丘陵地スーテリ(Sutri)に建設中だったラ・クエルチェGC(La Querce)を設計したジム・ファジオ(Jim Fazio)とイタリア人設計家ダービッド・メッツァカーネ(David Mezzacane)を紹介され、彼らにコース設計を依頼します。二つのコースの造成はほぼ同時進行で行われ、マルコ・シッモーネG&CCは、ラ・クエルチェより一年遅い1991年に完成を迎えます。尚、ラ・クエルチェGC91年にはワールドカップが開催され、それを機にイタリアゴルフ連盟の本部が置かれたことから、名称をゴルフクラブ・ナッツィオナーレ(Golf Club Nazionale)に改名しました。マルコ・シッモーネでも94年にイタリアオープンが開催されています。

Golf Club Nazionale (1990)

Golf Club Nazionale (1990)

イタリア人コース設計家David Mezzacane

イタリア人コース設計家David Mezzacane

 マルコ・シモーネのコースで見る設計家ジム・ファジオのデザイン性は彼を知る日本の方ならば驚かれるでしょう。アメリカンなモダンコースを設計コンセプトに置く彼にしては、それはあまりにもクラシック調に造り上げている事です。しかし元々は師であるジョージ・ファジオの作品にあるように地味なクラシックな一面も持ち合わせていました。ここではなんとグランドレベルの高さでスクウェアグリーンまで設計をしています。

* マルコ・シッモーネに見るクラシック調のデザイン

* マルコ・シッモーネに見るクラシック調のデザイン

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ライダーカップ、将来の展望とは。

欧州大陸でのライダーカップ誘致には、旧貴族界の財閥グループのパワーに守られた連盟と国との総合力を感じるでしょう。韓国のプレジデンツカップも同様でした。2022年開催はグリートブリテンではなく、欧州大陸からドイツ、イタリア、オーストリア、スペインが競合し、イタリアが勝ち取り、開催コースをマルコ・シッモーネG&CCに決定しました。2015年12月にその発表を知らされた時、誰もがドイツのベルリンだろうと想定していましたが、それがイタリア・ローマです。関係者は唖然としたでしょう。それよりも開催ノミネートに何故英国やアイルランドが参戦して来なかったのか?
イタリアのゴルフ人口、欧州ではクラブメンバー及び連盟に加盟するコアゴルファーをその対象としているが、イタリアは全土に278コースを持ちながら、ゴルフ人口は未だに10万人に達していません。

 

*Marco Simone Golf & CC

*Marco Simone Golf & CC

イタリアはR&Aが出すゴルフ場の数とスケールと国民人口比率からしても下から数えた方が早い。ちなみに今回のフランスは637コースを持ち、55万人、40万台だったその数字は、ライダーカップ開催が決定してから急激に伸びたそうです。フランスゴルフ連盟(FFG)は5年後には80万を期待すると豪語します。80万になれば、現在フランススポーツ省が発表するスポーツ競技種目別で7位から6位に上がる可能性はあります。
80万という数字を決して馬鹿にしちゃいけません。日本と違って、クラブメンバー及び連盟に加盟する100%コアゴルファーの数字です。もしフランスがこれを達成した時、EU圏(現在は英国も含む)からやってくるゴルファー達の数を加えれば、日本を含めたアジアや北米からのトラベリングゴルファーたちにとって、ティタイム獲得は困難を増す事でしょう。

 

* Ryder Cup開催が決定したMarco Simoneの会議の模様。

* Ryder Cup開催が決定したMarco Simoneの会議の模様。

一昔前までフランスでゴルフはセレブのファッションでした。イタリアも同じで、ローラのファション界とゴルフは新しいソサイティーを築いていきました。18ホールをプレーするより、数ホールを遊んでは、クラブハウスでワイン片手に雑談する事に意義があったのです。しかし躍進する女性ゴルファーの数はドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、スイス、北欧の方が断然上。全体の30%を超える数字にはただ驚課されます。欧州の女性コアゴルファーの平均は25%で、イタリアはほぼその平均値にあります。ちなみに英国は12.5%、全体のゴルフ人口の比率は英国が最も高いことから、英国を外し、欧州大陸だけならば、30%近くに達するでしょう。そして驚くのは16歳以下のジュニアゴルファーたちの数が平均して10%近くを記していることです。ここでも英国は7.3%と遅れをとっています。PGAはこれらの数字を見てライダーカップ会場を欧州大陸により多くチャンスを与えようとしているのかも知れません。

イタリアは2020年のライダーカップ開催によって、フランス同様に国内のゴルフ人口を伸ばし、更にEU及び海外から数多くのゴルファー達を迎え入れる事でしょう。

 

*欧州各国のゴルフコース数。2017年度データ

*欧州各国のゴルフコース数。2017年度データ

 

Text by Masa Nishijima

Photo credit by Marco Simone G&CC , La Federazione Italiana Golf、Masa Nishijima.

Data by R&A