フランス、トゥルーズの西にアンリ4世が生まれたポー(Pau)の街があります。

筆者はColt & Alison, Morrisonのコース設計研究からフランスを南下していく中、1856年設立、欧州大陸で最初のゴルフクラブ Golf de Pauの存在を知らされた。

ポーはピレネー山脈の麓に栄えた保養地。ウェリントン公爵によって、欧州では初のゴルフコースとテニスコートの建設が行われたという。

名門とはいえ、ゲストには暖かいおもてなしのクラブ。そして、最古の歴史はクラブだけでなく、街の中にもストリート名など、それを誇る箇所がいくつか見られます。

さて初めてチェコのプラハ(当時はまだチェコスロバキア)に旅した時、Golf Club Prahaにお邪魔しました。

クラブの古いエンブレムには設立年を示す数字1849が記載されていました。1856年設立のフランスのポーよりも古いコースが欧州大陸にあったのでしょうか?

セクレタリーの方に聞けば、まだハプスブルク家が統治していた時代、ここに王家専用の6ホールのコースがあったそうです。

1918年オーストリアハンガリー帝国が崩壊後、コースは失なり、8年後の1926年に現在の9ホールコースが誕生したそうです。

ゴルフ史家バーナード・ダーウインがポー説を否定し、プラハを欧州最古のコースと史説の中で紹介していたのを思い出しました。

Golf Club Praha

Karlovy Vary

チェコ西部ボヘミアの森には沢山の温泉保養地がありますが、その中でもKarlovy Vary(カルロヴィヴァリ)はハプスブルク帝国時代から欧州の富裕層を相手に湯治場としてリゾート開発されました。

14世紀ボヘミア王であり神聖ローマ皇帝のカール4世が温泉を発見した事から地名も王にちなんだものとなり、戦後のナチスドイツ占領時代が終焉するまでは、ドイツ語でKarlsBad(カールスバート)と名称され、今でもドイツ人はここをそう呼んでいます。

リゾート地のレジャーとしてゴルフ場開発も進められ、1904年には9ホールのコースが誕生しました。後の1933年にはレイアウトから全て変更した18ホールコース、Golf Resort Karlovy Varyが誕生します。

Karlovy Varyから南西に30kmほど行くとボヘミアの森では標高が600mにもなるもう一つの温泉保養地Mariánské Lázně(マリアーンスケー・ラーズニェ)があります。

Karlovy Varyよりも1ランク上の保養地とも言われ、ゲーテやショパン、ヨハン・シュトラウスなどの著名人も頻繁に訪れていました。ここもドイツ語ではMarienBad(マリーエンバート)と呼ばれています。

この街にも1905年設立のRoyal Golf Club Mariánské Lázněがあり、かつてはチェコオープンも開催されヘンリー・コットンが第一回大会を制覇しました。

開設当初は9ホールでスタートし、1923年に18ホールに拡張されました。ベルエポック調のクラブハウスが特長です。

1905年6月1のグランドオープニングには、英国からエドワード7世と在オーストリア大使も招かれ、二人は最初のクラブメンバーとなり、財政的支援も行います。

ここがロイヤルの称号を持つのもそれがきっかけとなった理由で、2005年からは英欧のトップアマチュアとジュニアが揃うSt. Andrews & Jacque Leglise杯が開催され、06年の大会では当時16歳だったローリー・マキロイ少年も英国・北アイルランドチームに加わり、見事勝利に導いています。

1905年開設日 中央がエドワード7世

 

チェコオープン優勝のヘンリー・コットン

Karlovy Varyは19世紀から競馬が流行っていた歴史があります。

市街にある競馬場は第一次大戦以前に開設され、現在ではトラックの内側に2グリーン及びダブルグリーンの9ホールのコースがあります。

2周して18のグリーンを楽しみます。City Golf & Racing Clubがそれです。

City Golf & Racing Club Karlovy Vary

City Golf & Racing Clubのレイアウト 2グリーンホールが確認できます。

戦後の冷戦下、1989年ベルリンの壁が去り、91年ソ連が崩壊するまで旧東欧諸国の街は空が晴れていても地面はいつも曇り空のような暗い光景でした。

人はうつむくように地面を見て歩き笑顔は覗かせない、スーパーを見ても棚に品は揃ってなく、牛乳やチーズ、パンなどは配給日が定められ、その日に行って列に並ばないと購入できない共産主義社会でした。

外貨獲得の手段として外国人観光客向けに国営のドルショップがありました。その価格は品物によっては西側の1/5から1/10の値段で買えました。

チェコで言えば有名なボヘミアングラスが6脚1セットで安いものなら$1ドルから購入できた時代です。高級な毛皮のコートなどもその安値から大変な人気でした。

しかし全てが事務的に働く共産主義時代ですから、観光客はドルショップでの買い物時間も定められ、購入したい品の番号をオーダーシートに記入し、会計を済ませた後に出口で購入した商品を受け取るシステムです。

ソ連崩壊後、最も早く西側の流行を取り入れ、女性の服装から街の様子が一変したのはチェコのプラハだったと言われています。

93年に同盟だったスロバキアが独立した頃からチェコは西側からの資本をもとにゴルフ場の建設ラッシュが始まります。

プラハから南西へ30km、14世紀からの名城カルルシュテイン城(Karlštejn)は丁度ボヘミアの森への玄関口となります。建設ラッシュのスタートとなったのはこの城の眼下に広がる丘陵地に造られたGolf Resort Karlštejnが始まりでしょう。

93年に18ホールが完成され、2007年には更に9ホールが加えられ一大ゴルフリゾートとなりました。

これ以降、チェコでは旧貴族の館や城の広大な敷地にゴルフコースが建設される 例も登場してきます。チェコの丘陵地はゴルフコースに最も適した地形にあり、2020年までに国内に132ものゴルフコースが誕生しています。

東欧ではナンバー1の数です。隣国スロバキアにも33のゴルフコースがあり、東欧諸国では3番目に多い数です。

Golf Resort Karlštejn( Red Course)

隣国スロバキアでは。

チェコとは93年まで連邦であったスロバキアですが、こちらは現在33コースが国内に点在しています。

首都ブラチスラバから北西に約80km, 古都の美しさからスロバキアのローマとも称されるトルナヴァからは35km程北西の距離に位置するピエシュチャニ(Piešťany)はドナウの支流ヴァーフ川を挟んで栄えた温泉保養地です。

旧市街からはヴァーフ川を挟んでスパリゾート集まる中洲のような島に9ホールコース、Golf & Country Club Piešťanyはあります。1914年に設立されたスロバキアでは最古のゴルフクラブです。チェコ同様に100年前から温泉リゾートとゴルフは切り離せない富裕層たちのレジャーでした。

132コースを持つチェコと比べ、隣国スロバキアの33コースはあまりに少なく感じられる方も多いでしょう。民主化への移行がチェコと比べ遅かった事もありますが、それはマルク、ルーブルファンドが入れ替わりに経済を動かしてきた事も理由です。

しかし90年代半ばから首都ブラチスラバはオーストリアを含む旧東欧諸国の芸術文化のアーティストたちの本山ともなりました。

Golf & Country Club Piešťany

しかしスロバキアではゴルフが発展するまでは長い歳月が必要でした。

1991年にゴルフ連盟が開設され、ゴルフを愛する数名の有志達が集まり、ゴルフリゾート建設への投資を呼びかけます。

首都ブラチスラバから東に20km、かつて女帝マリア・テレジアの離宮でもあったベルノラーコヴォ(Bernolakovo)の城館をクラブハウス兼シャトーホテルに大きく改装し、城の庭園をゴルフコースにする案が持ち上がり、95年に9ホールのブラックリバーゴルフリゾート・パークコース(現. Black & White Golf Resort)が誕生します。スロバキアでは戦後最初に誕生したゴルフコースです。

スロバキアゴルフ連盟は97年に正式にIGFに加盟しますが、スロバキアではまだゴルフ人口は少なく、ここも外国人観光客向けのゴルフ施設を持つ旧マリア・テレジアの城館ホテル Theresia Chateuとしての人気が先行しました。

コースから見るTheresia Chateau

スロバキアは2004年に正式にEU、NATOに加盟します。

09年通貨がコルナからユーロになり、この辺りからゴルフリゾート建設への機運が高まり始めます。

ブラックリバーゴルフリゾートも06年にはタフな12ホールが追加され、リバーコース(パークから6ホール)が誕生し、更に09年、マラツキ市(Malacky)の南に27ホールのパブリック、ホワイトコースのWhite Eurovalley Golf Parkが完成され、Black & White Golf Resortと改名されました。

マリア・テレジアの城に泊まり、優雅にゴルフを楽しむ、このリゾート計画はスロバキアのゴルフリゾート建設ラッシュに火をつけ、成功へと導く第一歩となります。

ユニークなことではゴルフと同時にフットゴルフ(Foot Golf)が若者の間でブームとなり、ここのパブリックコース内に隣接してフットゴルフ用のグリーンも設けられ、スロバキアでは2014年にはフットゴルフ連盟も発足しました。


2012年、スロバキアのローマ、トルナヴァから北に45km程行ったセニッツア(Senica)では、別荘地開発を含むペナチゴルフリゾート(Penati)が完成しました。

レジェンドコースの設計は欧州で活躍するNicklaus Design Teamで、ここの15番ホールは716m PAR6の欧州最長のホールとして話題を呼びました。翌年にはヘリテージコースも完成し、36ホールの一大リゾートになっています。

尚、レジェンドコースはスロバキアからは初の欧州大陸TOP100コースに選出されています。

Penati Golf Resort Legend Course

Penati Golf Resort Heritage Course

オーストリアの南に位置するスロベニアには現在16のゴルフコース(8コースが9ホール, 1コースが3ホールコース)が点在していますが、旧ユーゴスラビア時代からのゴルフコースはRoyal Bled, Mokrice Castle, Lipica GCの3コースのみで、あとは91年以降民主化されたスロベニア時代に設立されました。

首都リュブリャナ(Ljubljana)から北西に車で小一時間、ユリアンアルプスの山並みに包まれるかのようにあるブレッド湖( Bled)は、スロベニア最大の景勝地でもあります。

湖畔から130mの丘の上に聳える11世紀からの歴史を誇るブレッド城、湖に浮かぶプレッド島の聖マリア教会には愛の女神ジーヴァが宿るとされ昔から愛のパワースポットとして人気があります。

ブレッド城と聖マリア教会

ブレッド湖畔に向かう途中に見えるRoyal Bled Golf Clubはかつてのユーゴスラビア王アレクサンダル・カラジョルジェヴィッツ(Alexsandar Karadordovic)が各国からのゲストを招くために1937年に設立したユーゴスラビア最古のゴルフコースです。

大戦中にコースは一度ロストリンクスとなりますが、1972年にDonald Harradine設計の元、18ホールのKingコースが再建されました。

1990年に隣接して9ホールのLakeコースが完成します。ハウスにはメンバー&ゲスト用にデザイナーズルームの宿泊施設もあり、午前はゴルフ、午後は城と聖マリア教会など湖畔の観光がお薦めの行程となっています。

Royal Bled Golf

クロアチアとの国境に近いブレージツェ(Brežice)から南へ10kmほどの丘に佇む15世紀の城館モクリツェ城(Mokrice Castle)、ここの庭園を含んだ敷地内には大戦中の1944年に建設されたDonald Harradine設計の18ホールのゴルフコースがあり、中世の城は現在シャトーホテルに改装されています。

城に泊まってゴルフ、贅沢な日々はスロベニアでも愉しめます。ここはクロアチアの首都ザグレブからも車で僅か45分足らずの距離になります。

Hotel Golf Grad Mokrice

首都リュブリャナから70km, やはりクロアチアとの国境に面したノボメスト市から5kmほどのクルカ川の中州にあるかつて貴族の館だったオトチェツ(Otocec)の城館も現在はシャトーホテルGrad Otocecとして、ルレー&シャトー協会(Relais & Chateaux)に加盟されています。

食事の素晴らしさはもちろんですが、地下の貯蔵庫はワインセラーになっています。そして川を隔てたスロープラインの美しい森の敷地に2006年、英国人設計家Haward Swanとスロベニア出身のPeter Skoficによって18ホールのコースが造られました。

スターティングハウスの後ろには中世時代に要塞でもあったGrad Strugaが現在は博物館になっています。

Otocec Castle Hotel (Grad Otocec)

Otocec Castle Golf Course

Grad Struga


スロベニアと同じく旧ユーゴスラビア領だったクロアチアは今日中欧では有数の観光立国として人気が高い。現在9コース(内、2コースは6ホールコース)が国内に点在していますが、著者が絶対にお薦めしたいコースが一つあります。

アドリア海の島ブリユニ(Brijuni 英. Brioni)国立公園にあるOld Golf Courseです。設立は何と1922年、今年100周年を迎えるわけです。

1932年に英国コース設計界の才人と称されたTom Simpsonが改造した記録が残されており、それに惹かれ訪問してみると驚く事が。何とグリーンが芝ではなく「サンドグリーン」でありました。

更に驚く事がもう一つ、隣接しているサファリパークから時間帯によってはコース内に動物たちが入り込み、プレー不可に感じるホールもあります。

5486m PAR71のコース。まさにアドリア海に浮かぶ楽園リゾートです。島へはファチャナ(Fazana)からフェリーが出航しており、島には古代ローマの遺跡もあり、ゴルフを含めたパッケージツアーもあります。

サンドグリーン

資料館とクラブハウス

セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナは各2コースづつ、9ホール、6ホールコースですが、どちらの国もゴルフ連盟を設け、ジュニア教育のカリキュラムを作成し、ゴルフ人口を伸ばそうと努力されています。

セルビアの首都ベオグラードでは2つのゴルフクラブが一つの9ホールコースを共有しています。

次回のPart 2では「ゴルフは民主化への象徴」をテーマに、ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、バルト3国、そしてウクライナのゴルフ場開発について解説したいと思います。

以下の数字はR&Aが発表した東欧諸国のゴルフ場数(Data by 2020)です。

チェコ  132

ポーランド 47

スロバキア 33

ハンガリー 17

スロベニア 16

ラトビア  13

エストニア 10

ブルガリア 10

ルーマニア 8

ウクライナ  7

クロアチア  7

リトアニア  7

ジョージア 3

セルビア   2

ボスニアヘルツゴビナ 2

ベラルーシ 2

*ロシア   32

*アゼルバイジャン 3

*アルメニア 1

Text by Masa Nishijima

Photo credit by Masa Nishijima, Golf Club Praha, City Golf & Racing Club,

Golf Resort Karlovy Vary, Royal Golf Club Mariánské Lázně, SFGA,

Black & White Golf Resort, Theresia Chateau, Penati Golf Resort.

Grad Otocec, Brioni Golf Course.