プロトタイプホール(Prototype hole)というコース設計の用語について、説明しましょう。プロトタイプとは、原型とか、模範という意味がありますが、コース設計の世界では、USGA初代会長C.Bマクドナルドが、本場リンクスコースの攻略の愉しさを伝えた8つのクラシックホールの設計の定義を、プロトタイプホールと称しています。マクドナルドのクラシックコースの定義は、その後、クラシックコース時代の黄金期を築いたマッケンジー、アリソン、ティリングハスト等によって継承され、その8つの設計定義は16の枝葉に広がり、そして戦後、モダンコース時代には、32の設計理論へと拡大していきます。ではその基本となった8つのプロトタイプホールとはどのようなものかをこれから解説していきましょう。

1.「ショート」ホールのクラシック理論

本場リンクスの攻略理論から米国クラシック設計理論を定義したC.B.マクドナルド。その理論の中に「ショート」の名称を持つ設計理論があります。日本でショートホールと言えばすべてのパー3に使われています。しかし著「ゴルフコース好奇心」でも解説させて頂きましたように、英米ではロングのパー3,ショートのパー3などその距離や特徴を示すのが正しいとされています。ではマクドナルドの「ショート」ホールのクラシック理論を説明しましょう。そのオリジナルは英国のロイヤルウェストノーフォークGCの4番(旧5番)にあり、130ヤードに満たないレングスです。マクドナルドは、距離は短いが厳しいハザードで囲まれ、正しい飛距離と方向性を必要とするこのホールの特徴に感銘を受け、後にシカゴGC、ナショナルゴルフリンクスなど自らの作品の中で距離が最も短いホールを「ショート」と名称し、グリーンはグランドレベルより1.5mほど高く盛土し、周りをバンカー群で囲みました。最大の特徴はたとえグリーンを捉えても起伏によって3パットも有りえる形状をその定義としたことです。ただ距離が短いからサービスホールというのではなく、ショットの精度をグリーン面で表したのです。マクドナルドはその理論の中で、グリーンの大きさは1千平米の広さを持っても良いとしています。戦後になり、この「ショート」の理論を復活させた設計家が皆様もよくご存じのピート・ダイです。彼は自らのコースにマクドナルドの「ショート」の理論を設けました。そしてそれは後に、TPCソウグラスの17番でも有名なリカバリーの効かないオールオアナッシングのアイランドグリーンへと進化していきます。現代のコース設計界の巨匠トム・ドォークはマクドナルドの理論を集約させたオールドマクドナルドGLの5番に「ショート」の正しい理論を伝えました。グリーンの面積は何と2千平米近くにもなる広大なものですが、ひとつ間違えると3パットの危険が絡む起伏に富んだグリーンです。

National GL of America #6番141ヤード 名称「Short」の図

dr01short#6 National Links Short

2 .グリーンフロントの重要性を伝えたイーデンホール(Eden Hole)の定義

セントアンドリューズ・オールドコース11番のグリーン前部とバンカーの配置をクラシック設計の定義として米国に紹介したC.Bマクドナルド。そのイーデンホールの理論は後に多くの設計家たちによって広められていきます。球聖ボビージョーンズをパートナーにオーガスタナショナルを設計したアリスターマッケンジーもそのひとりで、オールドコース11番をオーガスタの4番パー3にインスパイアーしました。ジョーンズは「マッケンジーの設計は11番と7番ホールを共有するダブルグリーンをシングルグリーンに置き換えたアイデアだった。」と述べています。登り斜面を活用したグリーン前部は、その面積の1/4を占めています。このフロント前部でピンを切れるのは斜面上部の右サイドだけです。ここにピンが切られた時はまさにオーガスタのキラーピン、ひとつ間違えればダブルボギーになる危険度を持っています。開設当時はこの斜面を転がり上っていくのも攻略法のひとつで、打球に勢いがなければ右のバンカーに転がり落ちていきます。フレッドカプルスはどこにピンが切られようとも斜面を登った右サイドの僅かなフラット面を狙うしかないと語ります。更にリスクを逃れる2ショット1パットの攻略ルートもマッケンジーは提供しました。それはジョーンズが語るオールドコースのダブルグリーンをシングルグリーンに凝縮したというアイデアにヒントがあり、グリーン右サイドをターゲットに、仮にグリーンを外した右側の起伏部分にボールが行っても、パッティングラインが読みやすいアプローチが可能になることです。それはオールドコースで譬えるならば、7番グリーン側からのパッティングルートと相通じるものです。このようにグリーン前部にグリーン上の戦略性を持ちかけるとトッププロたちはあらゆる技術をもって攻略法を模索するでしょう。高度なグリーンを造り上げるにはこのフロント部分のコンターに重要な要素があることをご理解下さい。

Augusta National #4 PAR3 240yrds
1933年開設当時 アリスターマッケンジーのオリジナルデザイン

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3. ピート・ダイも継承したケープホールのクラシック理論。

キアワアイランド
オーシャンコース13番

ケープホールの理論は、マクドナルドが独自に編み出したリスクと報酬の理論として、今も多くの設計家たちによって継承されています。グリーンのフロントライン以外の三方はハザードでガードされています。ティショットはペナルを呼ぶハザードを超えていくが、リスクを覚悟して果敢に攻めれば次のアプローチにアドバンテージが取れます。アゲインストの風によってはセーフティゾーンにプレースメントを選択するのも賢者の選択でしょう。マクドナルドはこのホール構成でそのティショットによりヒロイック性を求める為にフェアウェイを斜めに攻めさせる所謂ダイアゴナル(対角線)の理論も融合させました。その代表的な作品がニューヨーク州のナショナルゴルフリンクスの14番、バミューダのミッドオーシャンの5番ホールです。戦後、マクドナルドの理論を自らの設計に強く取り入れたのがピート・ダイです。彼はマクドナルドのクラシック理論を飛距離が伸び続ける現代のゴルファーたちに挑戦し、そしてその理論を進化させてきた設計家なのです。多くのトッププロたちが鬼才と恐れるピート・ダイの作品も、実はマクドナルドの理論がルーツにあることを憶えておいて下さい。代表的なホールにはTPCソウグラス・スタジアムコースの最終18番、そして記憶にも新しい全米プロが開催されたキアワオーシャンコースで最もタフだった13番ホールです。ケープホールの理論で最も注意を払うべきことは、いかなるピンポジションにおいても手前からパーセーブを確実なものにすることです。欲を出し過ぎてピンデッドに行けば、ティショットだけでなく、アプローチにもダブルにペナルがあることを判断することです。

Mid Ocean 5 Cape

4. オールドコース18番「罪の谷」から生まれたビアリッツホールのアイデア

セントアンドリーズオールドコースの18番グリーン左手前にはジ・オープンで数々のドラマを生んだ「罪の谷」の名称を持つ窪地(ハロー)が存在します。95年、デリーと死闘を演じたロッカが、2打目をザックリし、この谷に落とし、そこから急勾配のスロープをかけあがるバーディパットを決めてプレーオフに持ちこんだシーンは記憶に新しいところです。20世紀初頭、フランスのスペインとの国境も近いリゾート、ビアリッツで名匠ウィリーダンが設計したビスケース湾超えのロングパー3は、グリーン手前に深い溝があり、フェアウェイとの繋がりはまるで野豚の背中(ホグバック)のような荒々しい景観でした。その深い溝は、ダンがオールドコースの罪の谷をモデルにしたものです。米国ゴルフ界の父C.Bマクドナルドはこのビアリッツを訪問した際、カゼム(割れ目)の名を持つこのホールに深い感銘を受け、同じアイデアのホールを米国の大地に設計し、そのホールをビアリッツと名称しました。ビアリッツホールの解説は著「ゴルフコース好奇心」の中でもご紹介していますが、そのオリジナルのルーツは、オールドコースの罪の谷にあったのです。ビアリッツのモデルとなったカゼムホールはあまりにもタフ過ぎるという理由から図2のようにティの位置を変えていき、マクドナルドが訪問してから数年後には大海原の景観を楽しみたいとここにホテルが建てられ、残念ながらこのオリジナルホールは現存しておりません。図3はエール大付属コースの9番にマクドナルドが造ったビアリッツホールです。当時はカゼムホールと同じコンセプトで設計されたのですが、後に彼の設計パートナーであったセス・レイノーによって、手前のフェアウェイもグリーンとし、罪の谷はグリーンの中央部に存在するようになりました。グリーンを横切るその溝はその規模の大きさからハローではなく、スウェールと呼びます。現在全米にはビアリッツホールは32ほど存在しています。

dr04

St.Andrews Old Cse 18番グリーン
The Valley of Sin(罪の谷)

Golf de Biarritz 旧#3番
Chasm Hole 220yrds

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Yale University Golf Course #9番
PAR3 225yrds オリジナル


MASA NISHIJIMA

ゴルフコースコメンテーター&コースアドバイザー。東京生まれ。
明治大学卒業後、米国留学。
ドン・ロッシーの元でゴルフコースのクラシック理論を学ぶ。
現在まで世界56カ国2300コース以上を視察。
1989年より、米ゴルフマガジン誌世界トップ100コース選考委員会に所属。
1991年から2015年までは同委員会の国際委員長を務める。
「ゴルフコース好奇心」,「ゴルフコース博物誌」「The Confidential Guide 」などの著書もある