連載 GOLF Atmosphere No.123 / 第125回全米オープン特集

*Oakmont CC
人類の文明は大河によって誕生する。
英国では18世紀後半に起こった産業革命により、鉄道網はコッツウォルド地方など一部を除き、全国に敷かれていきました。 鉄道により人の移動や物資の運搬が容易に出来るようになった19世紀半ば近くになると、それぞれ地元の有志たちが我が町にもゴルフリンクスを!の願いからゴルフコースの数は一気に増えていきます。古いリンクスコースや内陸部のコースが駅舎から近く、線路がコースの側を走っているのはそれが理由です。これによってゴルフクラブ同士によるクラブ対抗戦は盛んに行われるようになり、その極め付けが1860年、プレストウィックGC(Prestwick )から始まった全英オープンでしょう。
スコットランドの聖地、セントアンドリューズの駅もかつては今のオールドコースホテルがある辺りに駅舎と車両倉庫がありました。
さて話を今週全米オープンが開催される米国に移しましょう。
広大な大地の米国では物資の運搬は主に大河を活用して行われました。意外に気が付かない方も多いかも知れませんが、メジャーリーグの東部球団の古き球場の多くは川沿いに建てられています。その理由はスタジアム建設に必要な重量のある鉄の資材などの運搬を陸ではなく川を活用していたからです。
ニューヨークブロンクス地区にあるニューヨークヤンキースのスタジアムは、ハドソン河とイースト河を結ぶハーレム川の岸辺に近く建てられ、その対岸のアッパーマンハッタン・ハイツ地区にはかつてNYジャイアンツが本拠地としたポログランドが建てられていました。(現存していません)

*写真 ポログランドとヤンキースタジアム( 上) リバークルーズ船から見たヤンキースタジアム(下)
本年度全米オープンが開催されるオークモントCC(Oakmont CC)は、鉄鋼の町として繁栄を誇ったペンシルベニア州ピッツバーグの郊外、アレゲニー河川を望む台地にあります。川の対岸近くには全米でも高い評価の名匠Seth Raynor設計のフォックスチャペルGC(Fox Chapel) など、河川沿いにはいくつものゴルフコースが点在しているのがピッツバーグ近郊の特徴でもあります。
アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流し、オハイオ川へと注ぐ位置にあるピッツバーグは鉄鋼産業で発展し、川は物資を輸送する手段として重要な役割を果たしました。その文化の中でゴルフコースも誕生していったわけです。
オークモントCCの歴史。
オークモントカントリークラブの歴史は創設者ヘンリー・C・フォーンズの野心から始まります。1856年にピッツバーグで生まれたフォーンズは、鉄と鋼で財を成し、1898年、彼は自身の会社キャリー・ファーナス・カンパニーを鉄鋼王、後のUSスチールの創設者ともなったアンドリュー・カーネギーに売却しました。スコットランド生まれのカーネギーは、フォーンズに古いスコットランドの球技、ゴルフを紹介しました。フォーンズはゴルフに魅了され、ゴルフにのめり込んでいきます。彼と彼の息子たち、ウィリアム・C・フォーンズJrとチャールズ・B・フォーンズは、1900年初頭にはペンシルベニア州で最高の選手と称賛されるようになります。

*Willian Fownes(左) Henry Fownes(右)
彼らはピッツバーグのハイランドパーク地区にあるハイランドカントリークラブでゴルフを学び、プレーしていましたが、距離のない9ホールのコースは彼らにとって刺激のないものとなってしまいました。そして彼らは自らが先頭に立ち、西ペンシルベニアで挑戦意欲が沸く18ホールコースを建設する意欲を持ちます。
1903年春、ヘンリー・フォーンズはオークモントを見下ろす191エーカーの渓谷の上の農地に投資家たちを募り、78,500ドルを購入し、親会社となるオークモントランドカンパニーを立ち上げ、オークモントカントリークラブが正式に設立されました。
9月に入り、ヘンリーはゴルフコースの造成をスタートします。150人の造成スタッフと24頭の馬とラバが現在の重機の代わりを担い、フォーンズの壮大なデザインは僅か6週間で12ホールの造成が完了し、越冬した翌年の春には残りの6ホールの造成を終えました。コースは1904年10月1日にグランドオープン迎えます。コースは当時としては長い全長6,406ヤードをPAR80でプレーしました。まさに手造りのゴルフコースです。しかしそれは高低差27mのユニークな地形、スロープラインを重機で壊すことなくそのまま残した結果は、120年経った今日に至っても、世界一タフなトーナメントコースと称されるオークモントの財産ともなっているのです。
スロープラインが左右に流れているホールでは、ティショットのターゲットラインはラフに向かってフェアウェイに戻してくるケースもあるなど、右に打ったはずの打球がフェアウェイのスロープから左に転がっていくホールなどはその攻略法の難しさを示しています。グリーンも周りのスロープに添った造成が多く、グリーンセンターに打った球が転がり落ちる例などはよく見かけられます。
尚、クラブハウスは有名なピッツバーグの建築家エドワード・ストッツによって設計され、同年に完成しています。外観は伝統的なスコットランドの農家をイメージして、建設コストは当時としては破格の38,000ドルの費用で建てられました。
1987年にコースを含めた全体がNational Historic Landmark、国定歴史建造物に認定されています。
オークモントは海岸線のリンクスランドの条件にはありませんでしたが、英国の伝統的リンクスコースを模した樹木のない内陸のリンクスをテーマに設計されました。フォーンズは用地に池がないため、ショットがペナルティなしで着地する可能性のある場所にバンカーを設置し始めます。ペンシルベニア最大のトーナメントコースを目指した事からフォーンズはリンクス同様に、ぺナルハザードとなる300ものバンカーを点在させました。バンカーについては改めてバンカーレイキの歴史からお話します。
さてオークモントを全国的に有名にしたのは息子ウィリアム・C・ヘンリーでした。彼は西ペンシルベニアアマチュア選手権8度、ペンシルベニアアマチュア選手権4度、西ペンシルベニアオープン選手権2度、それと1910年の米国アマチュア選手権でも優勝しました。彼はウォーカーカップの創設者の一人であり、1922年に最初のキャプテンを務め、当時球聖ボビー・ジョーンズもチームに加わりました。そして1926~27年の2年間はUSGA会長を務めました。

*ウォーカーカップチーム 前列向かって左から2人目がWillian Fownes, その右隣、向かって右から二人目がBobby Jones
1919年オークモントは初のメジャー大会全米アマ選手権が開催されます。それ以降、今日まで20のメジャー大会が開催されています。全米オープンは今回が10回目でこれは開催ロータコースの中でダントツのトップで、2位はバルタスロールの7回、3位はオークランドヒル、ペブルビーチ、ウィングドフートの6回となっています。
以下はUSGAの全米オープン開催トップ5のリストとその開催年です。ご参照下さい。
10, Oakmont (Pa.) Country Club (1927, 1935, 1953, 1962, 1973, 1983, 1994, 2007, 2016, 2025)
7, Baltusrol Golf Club, Springfield, N.J. (1903, 1915, 1936, 1954, 1967, 1980, 1993)
6, Oakland Hills Country Club, Bloomfield Hills, Mich. (1924, 1937, 1951, 1961, 1985, 1996)
6, Pebble Beach (Calif.) Golf Links (1972, 1982, 1992, 2000, 2010, 2019)
6, Winged Foot Golf Club (West Course), Mamaroneck, N.Y. (1929, 1959, 1974, 1984, 2006, 2020)
全米アマは過去に6度、3度のPGAチャンピオンシップ、米国女子オープンも2度開催されています。20人の勝者のうち、ボビー・ジョーンズ、ベン・ホーガン、ジャック・ニクラウスなど、10人が世界ゴルフ殿堂入りを果たしています。
尚、以下がオークモントにおけるUSGA主催のメジャー大会とその結果です。
1919 U.S. Amateur: S. Davidson Herron def. Robert T. Jones Jr., 5 and 4
1925 U.S. Amateur: Robert T. Jones Jr. def. Watts Gunn, 8 and 7
1927 U.S. Open: Tommy Armour def. Harry Cooper, 301 (76)-301 (79)
1935 U.S. Open: Sam Parks by two strokes over Jimmy Thompson, 299-301
1938 U.S. Amateur: William Turnesa def. B. Patrick Abbott, 8 and 7
1953 U.S. Open: Ben Hogan by six strokes over Sam Snead, 283-289
1962 U.S. Open: Jack Nicklaus def. Arnold Palmer, 283 (71)-283 (74)
1969 U.S. Amateur: Steve Melnyk by five strokes over Marvin Giles, 286-291
1973 U.S. Open: Johnny Miller by one stroke over John Schlee, 279-280
1983 U.S. Open: Larry Nelson by one stroke over Tom Watson, 280-281
1992 U.S. Women’s Open: Patty Sheehan def. Juli Inkster, 280 (72)-280 (74)
1994 U.S. Open: Ernie Els def. Loren Roberts, Colin Montgomerie 279 (74-4-4)-279 (74-4-5)-279 (78)
2003 U.S. Amateur: Nick Flanagan def. Casey Wittenberg, 37 holes
2007 U.S. Open: Angel Cabrera by one stroke over Jim Furyk, Tiger Woods, 285-286
2010 U.S. Women’s Open: Paula Creamer by four strokes over Suzann Pettersen, Na Yeon Choi, 281-285
2016 U.S. Open: Dustin Johnson by three strokes over Jim Furyk, Scott Piercy, Shane Lowry, 276-279
2021 U.S. Amateur: James Piot def. Austin Greaser, 2 and 1
2025 U.S. Open
2028 U.S. Women’s Open
2033 Walker Cup
2034 U.S. Open
2038 U.S. Women’s Open2042 U.S. Open
2046 U.S. Women’s Amateur
2049 U.S. Open

*オークモントの9番グリーン、2040平米の広大なグリーンは手前半分が9番グリーン、 奥が練習グリーンと繋がったユニークな設計になっている。
意外に知られていないバンカーレイキの歴史。

*Oakmontの資料室にあるバンカーレイキの写真。最古のバンカーレイキと言われている。
バンカーレイキの誕生はいつ頃だったのか?
すべてのバンカーにレイキたるものが置かれたのはいつからなのか?
多くのゴルフ史家達に尋ねても、はっきりした記載が見つからない謎の一つだと述べられます。ゴルフ史の盲点とでもいいましょうか。
1918年開設の世界No.1コース、パインヴァレーGC(Pine Valley)は、今もバンカーはペナルハザードとしてレイキを置かない主義を貫いています。
Golf Magazineの調査では、1920年代にレイキは存在したが、それはグリーンキーパーたち管理スタッフの為のものであって、けしてバンカーにレイキを配置したという事ではないそうです。以前に日本のゴルフ史家、ゴルフコレクターの第一人者でおられた故・藤岡三樹臣氏に調べて頂いたかぎりではバンカーレイクの用語がR&Aのルール上に載るのは
なんと2004年からだそうです。1919年にはじめて、バンカーの整地義務が唱えられたそうです。但し、それは絶対に行わなければならないという文面解釈にはなく、打つ前の状態にできるかぎり戻すことが望ましいという内容です。
当時英国のプレーヤー達はクラブを使って均していたのだろうとの事で、パインヴァレーはその精神を頑なに守っているわけです。

*Oakmont CCのクラブハウスに展示されているバンカーレイキ
バンカーレイキの登場を調べる上で、オークモントの歴史は非常に貴重なものです。クラブハウスに展示されているバンカーレイキから、1920年代のオークモントCCが最初だろうと言われています。当時のオークモントにはパターで出すバンカーがひとつあり、そこはフラットに整地されていなければローカルルール上、宜しくないとの判断で、グリーンキーパー達が使用しているものをひとつ配置したそうです。
フォーンズはバンカーを数多く点在はさせたが、土壌は粘土層が強く、手作業で掘ったものだけに深さは4インチ程度のものが多かったのです。3,4番ホールで共有されている有名なChurch Pews Bunker(教会の椅子又ベンチ)も元々はその浅いバンカーが連なったものでした。
1927年の全米オープンの時は6つのバンカー群でしたが、1935年の全米オープン時にはこれらの6つのバンカーは、6つの芝生のベンチ(横長のマウンド)を備えた1つの広大なバンカーに統合されました。Church Pews Bunkerの誕生です。
その後、教会の椅子なるベンチの数は、1973年に二つ増えて8つに拡張され、2005年には2007年の全米オープンに備え、バンカーの前後両端にさらに2つずつのハンモックが追加され合計数は12になり、今大会では更に1本増えて13本に拡張されています。長さ140ヤード、幅40ヤードの巨大なバンカーです。ベンチの芝はブルーグラス、ライ、フェスキューの混合でしたが、今大会ではフェスキューだけとなり、バンカー面からの高さは最大で3フィートになります。
面白いのはオークモントCCでメジャー大会が開催される度にメディアが紹介するバンカーの数が異なっていることです。1953年の全米オープンでは215との紹介がされましたが、それはChurch Pewsバンカーをはたして一つとして数えて良いものか?の議論から、ハンモックのマウンド(Church Pew=教会の椅子)の数をバンカーの数として紹介した事からその数の異なりが生まれたようです。
ちなみにChurch Pews Bunkerは3番と4番で共有されている事から、当時はx2のダブルで数えられた事から215の数になったとの話がバンカー史に紹介されています。
尚、Church Pewsは今大会では更に1本増えて13本に拡張されています。
ちなみに2023年にGil Hanseの設計チームによりバンカーの多くはリノベーションされ、その数は175個と公式に発表されています。もちろんChurch Pews Bunkerは一つに数えられています。

*Church Pews Bunkerの空撮、確かに教会のベンチは一列増えています。

*初期の頃と現在のChurch Pews Bunkerとの比較 Photo by Larry Lambrecht.

*重いV字の熊手のレイキでならされた砂面はフェア?の物議を交わすこととなった
。1953年全米オープンではオークモントカントリークラブ側とプレーヤー側に立ったUSGAが、オークモントが使用している重くて幅広の熊手型バンカーレイキ使用に物議を交わしました。多くのプレーヤー達は、レイキが作った深い溝が過度にペナルで一貫性がないと不平を漏らしたのです。しかしクラブ側は、オークモントは常にそうであった。選手たちはそれに対処するべきだと主張。USGA側はレイキの変更が行われない場合、全米オープンはオークモントに戻らない可能性があると述べ、双方の妥協点を見出した結果、溝付きレイキはグリーンサイドバンカーでのみ使用される事となり、フェアウェイバンカーは一般のレイキ使用になりました。米国オープンは1962年にオークモントに戻りましたが、メンバーの意見もあり、重い熊手型バンカーレイキはこの大会を最後に恒久的な遺物となりました。現在は写真のようにクラブハウスに展示されています。バンカーレイキがトーナメントの歴史に初めて登場したのも1953年のオークモントが最初だったのです。
長男ウィリアム・C・フォーンズは40年以上もコースに関わり、トーナメントを観察しました。1930年代のスチールシャフトの出現により、幾つかのバンカーが時間の経過とともにハザード効果が無くなれば、彼はクラブ史に残る伝説的なグリーンキーパーのエミール・レフラーと協力して、バンカーの配置転換を行い、ホールの難度を維持しました。また日照に合わせたグリーン面の改造など想像力豊かな手法で高速グリーンを生む努力を惜しみませんでした。レフラーはそれをデザインのメリットであるとUSGAにも強調しました。
1, 3,10, 12番のようにグリーン後方がホールアウェイになるグリーンは、けして設計上難度を上げるためのものだけではなかったのです。
レフラーは48年に、ウィリアムは50年に他界しましたが、49年に残した空撮写真をもとに1990年代半ばにクラブは過去と未来を検証しました。その一つがツリークリアリング、伐採プログラムでした。ユニークな地形の高低差の用地が視界の前に復活しただけでなく、風の効用性を攻略ルートに絡めることでペナルタイプのコースに戦略性の扉を開けさせました。オークモントは再び、創設者ヘンリーフォーンズと息子ウィリアムが願ったリンクスコースを彷彿とさせる風景に戻ったのです。
ではここから樹木の植栽と伐採についての歴史をお話します。
Tree Clearingによるオリジナルへの復元作業
1953年の全米オープンでは劇的な変化を見せました。それはゴルフコースを美化する目的で5000本もの樹木が植えられたのです。ニューヨークの辛口ライターたちはそれに反論の記事を寄せましたが、コースはリンクススタイルから伝統的なアメリカの「パークランド」コースに変わっていったのです。
オークモントのフェアウェイに沿って木々は数十年にわたって成長し続け、アーニー・エルズが勝利した1994年全米オープンではそのピークを迎えました。しかし樹木の過剰なる成長は芝生が必要とする日照を奪い、管理を困難にする事に繋がりました。2000年に入り、Tree Clearing、伐採計画は本格的に始まり、2007年の大会では約5,000本、2016年の大会には更に5000本近くの樹木が伐採され、そうしてコースは創設者ヘンリー・フォーンズのオリジナルデザインの哲学に戻されたのです。
そして全米でのコースランキングは年々上昇を続け、今日ではワールドランキングでもTOP10前後に評価されています。

*樹木が茂るパークランドコース時代のOakmont CC 1987年
2025年US OPEN
HOLE BY HOLE
Hole 1 2 3 4 5 6 7 8 9 Total
Par 4 4 4 5 4 3 4 3 4 35
Yards 488 346 462 611 408 200 485 289 472 3,761
Ranked 1 13 7 17 12 11 5 8 2
Hole 10 11 12 13 14 15 16 17 18 Total
Par 4 4 5 3 4 4 3 4 4 35
Yards 461 400 632 182 379 507 236 312 502 3,611 7,372
4 14 10 16 15 3 9 18 6
Rankedは2016年度の全米オープンのスコアランクです。1番が最もタフで平均4.45は驚異のスターティングホールとなりました。次が9番の4.43でした。
オークモントにおけるコースセッティングの変化
USGAがトータルヤーデージにあまり変化はつけなくともホールバイホールで4日間のヤーデージに変化をつけ始めたのも2007年のオークモントでの全米オープンが最初でした。その年の話題は8番300ヤードのPAR3でした。しかし実際に300ヤードでプレーしたのは一日だけで、他は245~280ヤード前後で、これは2016年のオープンも同様でした。またショートPAR4をリスクと報酬を兼ねるドライバブル(1オン)に設定し、トーナメントの流れを変えるセッティングもオークモントから始まり、一連のブームとなりました。
恐怖のDitch(排水溝)
オークモントではChurch Pews Bunkerと同じくらいアイデンティティを持つものがコース内にあるかつて排水のために造られた溝、Ditchです。今大会175あるバンカー(Church Pewsは一つに数えている)より危険なペナルと恐れられ、USGAのチーフオフィサーであるジョン・ボーデンハマー氏は「2016年は、選手がそこに入ってプレーできるよう溝を掘りましたが、今年はあえて手を加えていません。Ditchの幅は12~18インチで、もし入れてしまった場合、幸運を祈るしかありません。」と述べています。以下の写真がUSGAが提供したDitchの写真です。溝はフェスキューで覆われている箇所もあります。

*USGAが紹介したDitch(溝)が強調された写真4点

*1940年代にペンシルベニアターンパイクがコースを横切る事になり、コースは2分割になりましたが、8番ホールをずらしただけで、レイアウトそのものも大きく変更することはありませんでした。ちなみにその8番グリーン左手前から延びる巨大なバンカーは通称オークモントのサハラバンカーと呼ばれています。
ゴルフの大聖堂と言われる所以
オークモントCCのグリーンはスローピングが強い為、スピードは普段でも湿度が低い日が続けばトーナメント並みに13フィート近く出る時もあります。芝種は1999年から多年生のポアアヌア(日本ではポアナ芝と紹介されています)を採用しており、夏にとけて絶滅しない研究開発された珍しい品種で、強度のコンパクションを生みます。これが高速グリーンの正体です。ペブルビーチもこれに倣い、ポアアヌアのグリーンになっています。
昔からオークモントが何かを始めると皆がそれに倣うと言われています。メジャー大会のスタンダードはここから生まれ、大会におけるバンカーレイキの歴史もそうですが、ロバート・トレント・ジョーンズSRをリーダーに高速グリーンの開発が行われた何年も前から高速グリーンの計測実験が行われ、1930年代末にスティンプメーターが作られるキッカケともなったのです。あらゆるルール改正はオークモントでの大会をキッカケに行われたと言っても過言ではありません。樹木の伐採によりコースに往年のスケールを呼び戻し、現代のゴルフに対抗する戦略性をコースに持たせるアイデアもここオークモントが始まりと言われています。メジャー大会の開催数は群を抜いて全米一位、コースのタフさは、トッププロたちに弾道の高低、左右からの攻めなどあらゆるショットを要求します。コースセッティングの多様性、ペナルコースを基本に戦略性を兼ね備えたこのモンスターコース、クラブハウスは1987年に国定歴史建造物に指定され、2016年USGAはオークモントをゴルフの大聖堂と名称したのです。
今回の大会に備え、名匠ギル・ハンスと彼のパートナー、ジム・ワグナー、造成にはカイ・ゴルビーが第一シェーパーとなって、バンカー全体の修復、2,3,7,13番をツリークリアリングした際に活用した1949年の空撮写真を参考資料にリノベーションしました。
さあいよいよ今年の全米オープンが始まります。皆さんも優勝スコアを想像してみて下さい。
Text by Masa Nishijima
Photo Credit by Larry Lambrecht, R&A, USGA, Library of Oakmont CC,
History of Ball Park, History of Pittsburgh,GOLF.com