連載 GOLF Atmosphere No.120 / プライベートクラブの生き方 苦難の時代を過ごした北欧の名門。
ストックホルムゴルフクラブ(Stockholms GolfKlubb)は1904年に設立され、スカンジナビアで3番目に古いゴルフクラブです。1898年に設立されたデンマークのロイヤル・コペンハーゲンゴルフクラブ(Københavns Golf Klub)、1902年に設立された同じスウェーデンのヨーテボリゴルフクラブ(Göteborgs Golf Klubb)に次ぐ歴史を誇ります。同年スウェーデンゴルフ協会も設立されました。
ストックホルムゴルフクラブ (SGK) の歴史は市街地に3ホールコースから始まり、市の中心部に近いストレージボッテン(Storängsbotten)に移転し、7ホールのコースとして本格的にスタートとします。1912 年、更にロースンダ(Råsunda)近くのヤルヴァフェルテット(Järvafälte)に移転し、9 ホールを持つゴルフクラブとなりました。同時に彼らはより良い広大な土地をコースに求めて新しい土地を探し始めます。
ストックホルム近郊のリディンゲ ゴルフ クラブ (LGK) は、スティックリンゲ農場だった場所にコース建設する目的で、1924 年 11 月 1 日に設立されました。ストックホルムゴルフクラブはそのリディンゲと合併し、LGKのメンバーのうち約50人はSGKに移ります。そしてストックホルムゴルフクラブはその後、スティックリンゲに新しいコースを建設し、ストックホルムゴルフクラブがレンタル契約をリディンゲ側の親会社ABリディンゲスタデン( AB Lidingöstaden)と締結しました。

*Båstad Golfklubb 1930年設立
新しいコースの最初の 9 ホールは 1926 年 8 月にオープンし、1927 年 3 月末までに 18 ホールに拡張されました。当時コースは国内初の18 ホールコースでした。クラブの多くの創設メンバーの1人には、後にグスタフ6世アドルフ国王となり、10年間クラブの会長を務めたグスタフ・アドルフ皇太子が含まれていました。彼の息子であるベルティル王子は、生涯を通じてクラブで最も勤勉な選手の一人でした。
(注 グスタフ6世アドルフは、ベルナドッテ王朝第6代のスウェーデン国王。グスタフ5世の長男。母はバーデン大公フリードリヒ1世の娘ヴィクトリア。 1980年に発行された10クローナ紙幣に肖像が使用されていました。)
その後、スウェーデンでは1930 年にファルステルボ(Falsterbo Golfklubb)とべスタッド(Båstad Golfklubb)、1931 年のジュルスホルム(Djursholms Golfklubb)、そして1932 年にはリディンゲから独立し、現在のケビンゲに移ったストックホルムゴルフクラブが18ホールを完成、他には1933 年にはホバス(Hovås Golfklubb)、1938 年にはリゾート地ティルエサンドビーチ(Tylösand beach)にハルムスタッドゴルフクラブ(Halmstad Golf Club)がそれぞれ18ホールコースを完成させました。尚、大学都市マルメの南半島に位置するファルステルボは1985年スウェーデンで初めて世界TOP100コース入りを果たしたリンクスコースです。2000年にデンマークコペンハーゲンとスウェーデンマルメを結ぶオーレスン海峡橋が完成されてからは、スウェーデン西海岸の名門は非常にアクセスがよくなり人気を誇っています。

*Falsterbo GK 1930年設立
さて話をストックホルムゴルフクラブに戻します。
現在のケビンゲ(Kevinge)のコースは、1904年クラブ設立から5度の移転を経て完成させたコースであり、スウェーデンで建設された5番目の18ホールのコースでもあります。ストックホルムゴルフクラブは1926年から1927年にかけて、今日のリディンゲゴルフクラブ(Lidingö Golfklubb)の所在地であるSticklingeにスウェーデン初の18ホールのコースを造成しましたが、土地の借地権問題の不確実性と1929年のスチールシャフト誕生により、リディンゲのコースは短すぎる問題などのさまざまな理由からそこを離れる事を決議します。
AB Lidingöstaden 側はストックホルムゴルフクラブに対し、レンタルではなく買収を提案していました。当時の額で100,000 スウェーデンクローナと 17,500 スウェーデンクローナの40 回の年払いでした。SKG理事会はそれが経済に大きな負担となると判断しました。硬い粘土質の土壌は、干ばつの間に石のように硬くなり、ひび割れ、特に秋に雨が降ると、コースは濡れて泥だらけになりました。必要な労働力の確保さえ困難とされました。1930年にリディンゲを離れてケヴィンゲに移った後も、リディンゲのコース賃貸契約は残りました。ストックホルム側はこの高額な契約からできるかぎり解放されるよう努め、リディンゲに新クラブを設立するというアイデアを提供します。その設立資金の一部を提供します。昨今リディンゲGC(Lidingö Golfklubb) は開設 80周年を迎えるまでの長い期間をかけて包括的な改修工事が完了しました。コースは2006年から2009年に再建され現在に至っています。

*Kevingeのコースは農場を開発したものでした。
1930年、ストックホルムゴルフクラブはケビンゲ農場の148エーカーの土地を購入し、農場の古い納屋はクラブハウスになるために再建築されました。土地の買収とコース建設ために、クラブは有限会社として登録スタートしましたが、資金調達の為にクラブはゴルフコース自体を株主会員制度として株主を募ります。当時としては画期的だったそのシステムはどこか現代のゴルフプロジェクトの資金調達方法と類似点が感じられます。
この美しい土地を手に入れた後、最高品質のコースを造成する開発には専門家たちからの多大な努力が払われました。何と10の考案が出された後、最終的に理事会はコース設計を英国コース設計界の巨匠ハリー・コルトと彼の設計パートナーであるC.H アリソン&J.F モリソン(H.Colt、C.H.Alison、J.S.F. Morrison)のチームに依頼しました。ちなみにC.Hアリソンは広野や川奈の設計者です。
彼らのチームの名作ロンドン郊外アスコットのスウィンリー・フォレストゴルフクラブ(Swinley Forest GC)の特徴をケヴィンゲのコースにも導入してほしいと願います。それは30mの高低差がある148エーカーの土地の特徴を活かすにはスウィンリーフォレストのようなコンパクトなルーティング、18ホールのレイアウト構成が必要と考えたからでした。
ハリー・コルトの作品の特徴は、美しい砲台状に盛土されたグリーン(米国ではElevated Greenと呼びます)とそれを囲む戦略的バンカーの配置は、グリーンコンプレックスに独特な美観性を醸し出していました。特にティからそれを一望出来るPAR3や距離の短いショートPAR4にその特徴が強く出され、英国人はコルトをショートホールのミケランジェロと称賛したものです。そして彼らの最大の特徴は18ホールのルーティング、各ストロークの流れに戦略性を追求することでした。当時高齢だったコルトに代わり、図面を片手に現場を指揮したのはJ.F.モリソンでした。
コースは1932年10月7日にグランドオープンを迎えます。このデザイン性に当時コース設計家を目指していたプロジェクトマネージャーのラファエル・スンドブロム(Rafael Sundblom)は強い影響を受けました。彼自身、1938年にハルムスタッドゴルフクラブ(Halmstad GK)を設計し名声を得ます。大戦後、スンドブロムはストックホルムはじめ戦前に開設されたクラシックコースをニルス・スケルト(Nils Sköld)をパートナーに改良を加えていきます。戦後の北欧のゴルフコース設計界で最も活躍した設計チームでした。14の作品を残し、その中にはドロトニングホルム宮殿の広大な敷地内に造られたRoyal Drottningholms GCも含まれます。

*1932年オリジナル図面

*造成中のストックホルムGK 14番PAR3(旧16番)

*Stockholms GK 現在のレイアウト図
ストックホルムゴルフクラブはコースが株主形態にあった為、市や株主からの要請に応える必要性がありました。
1960年代後半、ストックホルムゴルフクラブはフロントナインの3つホールが周辺の開発で失われるまで、トータルパー72のレイアウトでした。スンドブロム(Sundblom)が担ったグリーン委員会代表の後継者になった設計家ニルス・スケルド(Nils Sköld)は、現在の9番、10番、11番ホールを設計し、失われたホールと置き換えました。
次の変更は欧州全体が不況に落ちた1980年代後半に起こりました。
現在の5番と6番ホールが老人ホームの建設に対応するために土地を売却した事から距離は大幅に短縮されました。その結果、現在のレイアウトは偏ったフロントナインがパー5無しのPAR33、バックナインはパー5が3つのPAR36のトータルPAR69のコースとなったのです。しかしこの時に土地の見返りに得た資金で、コースは老化を防ぐためのリノベーションを行うことに成功します。
2000年代に入り、スウェーデンのゴルフクラブでは、自然の地形を活かしながらもモダンなデザインのコースが、一般的に人気がありました。
それはこの国が世界的にも知られるジュニアゴルファー育成のカリキュラムを持ち、トーナメントに相応しいフェアなデザインを求めていたからです。
古いクラブとて、コースのオリジナルデザインの歴史を振り返ることはめったにありませんでした。
しかし2020年にストックホルムゴルフクラブは設計家クリスティアン・ルンディン(Christian Lundin)を呼び、コルト、J.F.モリソン時代のオリジナル設計の復元を依頼します。
プロジェクトの主な焦点はバンカーの形状とグリーン面の復元にありました。
クラブハウスの資料室に残る歴史的な写真や図面はその作業の最大の助けともなりました。その作業の中、4番ホールと9番ホールのPAR3は改めて再建されました。
PAR69の18ホールはパー5が3ホール, パー4が9ホール, パー3が6つある構成になっています。ショートホールのミケランジェロと称されたハリー・コルトのプロトタイプホールが6つも楽しめるのが最大の特徴、魅力ともなっています。
さてここまでの名門ストックホルムゴルフクラブが歩んだ歴史、いかがだったでしょうか。大戦後のコース再建はもちろんの事ですが、市の開発要請からトータルヤーデージが短くなろうが、PAR72がPAR69になろうが、クラブ運営を継続する為のメンバー達の努力には敬服するものがあります。またクラブ史を誇るために戦前のオリジナル設計の復元に挑戦していく姿にスウェーデンナンバー1の名門クラブとしての誇りを感じざるを得ません。
Text by Masa Nishijima
Photo & Map by Stockholms GK, GOLF Pass, Masa Nishijima,