*El Boqueron のオリジナルレイアウト図

 

ゴルフコース史で多くの設計家たちに影響を与え続けたコース設計家といえばアリスター・マッケンジーの名が一番に浮かぶでしょう。1932年に完成したオーガスタ・ナショナルの設計を筆頭に、サイプレス・ポイント、クリスタル・ダウンズ、ラヒンチ、パサティエンポ、ロイヤル・メルボルンなど、ゴルフコース設計のバイブルともなる偉大な傑作を生み出しました。著名なコース設計家による新しい作品が生まれると同時に戦争や経済の恐慌など、その時代の間で失われたロストリンクスも多く、その作品一つに失われた宝物のストーリーがあります。

 

*Jockey Club (Red Course) 1930 Alister Mackenzie ブエノス・アイレス

 

*Dr Alister Mackenzie

 

1929年、マッケンジーは設計家としての最盛期に、NY株式市場の暴落から世界大恐慌が始まりました。そんな情勢の最中とて、他の著名設計家同様にマッケンジーもグローバルな視野で新しい仕事を探し始めます。そんな中、アルゼンチンの富豪達から声がかかります。経済的苦悩にもかかわらず、裕福なエリート達はブエノスアイレスのジョッキークラブで、2つの18ホールコースを設計するよう彼に依頼してきました。1930年1月24日、マッケンジーを乗せたNew Munson Steamship Lineの豪華蒸気船はニュージャージー州ホーボーケン(Hoboken)の港を出航します。途中、バミューダに立ち寄り、2月10日にブエノスアイレスに到着します。

 

 

マッケンジーは4月9日、英国のサザンプトン(Southampton)に向けて、ブエノスアイレスを出航するまでの長期滞在中、ジョッキークラブ以外にも隣国ウルグアイも含め、7つの改修及び新規プロジェクトを参加します。
その中の一つ、ブエノスアイレスから250マイル南東に位置する海岸線リゾート、マール・デル・プラタ(Mar del Plata)からアルゼンチンプロゴルファー、ファン・デントーネ(Juan Dentone)が設計したコースの改修相談も受け、現地に赴きます。
そこで彼は広大な土地を所有する男爵家の一人、エンリケ・アンチョレーナ(Enrique Anchorena)と出会います。
アンチョレーナ男爵は近郊のエル・ボケロン(El Boqueron)の750エーカーの広大な所有地にビジネス上必要になるだろう南米で最も壮大なプライベートリゾートパーク構想を計画していました。自国に大金を投じるプロジェクトを任すだけのコース設計家がアルゼンチンにいなかった時代、ジョッキークラブの設計を担当したマッケンジーに自身のプライベートコースの設計を依頼するのは当然の流れでした。3月4日、彼は用地を視察する為にエル・ボケロン(El Boqueron)にあるアンチョレーナ男爵邸を訪問します。男爵家族が保管していたゲストブックにマッケンジーのサインが記されていました。ゲストブックの他のページにはアルゼンチン大統領、文学界の巨匠ホルヘ・ルイス・ボルヘスと詩人ガブリエラ・ミストラル、アルゼンチン女性と結婚してマル・デル・プラタに住んでいた全英オープン3回の覇者ヘンリー・コットンの署名などもあります。

 

*Baron Enrique Anchorena

 

マッケンジーが男爵家の用地に描いたコースでしたが、大恐慌の荒波は南米の富裕層にも押し寄せた事から計画は中止となってしまいました。しかしそのレイアウトのスケッチと解説文が60年経た1990年代にかつて邸宅の暖炉だった保管庫から発見され、トーマス・ダン(Thomas Dunne)等、ゴルフ史家達からの注目を集めたのです。
下図はオリジナル図を分かりやすくコピーされたものです。マッケンジーは与えられた用地の中でセントアンドリューズオールドコースと同じダブルグリーンを9つ描きました。普通に考えるならば9ホールコースを2周して18ホールのスコアにすると考えるところですが、図のホールナンバーをご覧下さい。マッケンジーは最初のアウトの9ホールのルートをインでは来たルートを遡るように、彼が設計のバイブルとしたセント・アンドリューズ・オールドコースと同じルーティングのアイデアを用いたのです。例えば11番は7番、12番は6番が共有グリーンとなるように一つのグリーンを使用するホールナンバーの合計が18となるオールドコースの設計哲学を伝えようとしたのです。ゴルフ史家たちが最も注目した点はそこでした。一つのダブルグリーンはPAR3のグリーンでありながらもPAR4やPAR5のグリーンにもなっています。このルーティングプランこそ、アリスター・マッケンジーが天才と言われた所以でもあります。

 

*El Boqueron

 

上の図はオリジナル図を分かりやすくコピーされたものです。マッケンジーは与えられた用地の中でセントアンドリューズオールドコースと同じダブルグリーンを9つ描きました。普通に考えるならば9ホールコースを2周して18ホールのスコアにすると考えるところですが、図のホールナンバーをご覧下さい。マッケンジーは最初のアウトの9ホールのルートをインでは来たルートを遡るように、彼が設計のバイブルとしたセント・アンドリューズ・オールドコースと同じルーティングのアイデアを用いたのです。例えば11番は7番、12番は6番が共有グリーンとなるように一つのグリーンを使用するホールナンバーの合計が18となるオールドコースの設計哲学を伝えようとしたのです。ゴルフ史家たちが最も注目した点はそこでした。一つのダブルグリーンはPAR3のグリーンでありながらもPAR4やPAR5のグリーンにもなっています。このルーティングプランこそ、アリスター・マッケンジーが天才と言われた所以でもあります。
マッケンジーは幻となったエル・ボケロンのダブルグリーンのアイデアをオーガスタナショナルのPAR3コースとしてクリフォード・ロバーツにプレゼントします。そのレイアウト図が下記のスケッチです。

 

 

しかしこれも当時まだ続いた大恐慌の影響からボビー・ジョーンズは延期せざるを得ず、現在のPAR3コースは、1958年マスターズウィークのイベント用にジョージ・コブによって設計されたシングルグリーンのもので、このマッケンジー案は活用されることはありませんでした。それだけにマッケンジー研究家やゴルフ史家達にとって、マッケンジーのダブルグリーンコースの探求は永遠のテーマとなったのです。

さて話をエル・ボケロンに戻しましょう。1990年代半ば、コース史家たちからのエル・ボケロンのダブルグリーン論説を受けたプロゴルファーで技術開発者のディビッド・イーデル(David Edel)は、プロとしてカリフォルニアのマッケンジーのコースで育ち、その研究に没頭していたことからすぐにアルゼンチンまで飛び、エル・ボケロンの図面が事実であることを確認します。そして彼はこの「失われたマッケンジーのダブルグリーンコース」をアメリカの大地に甦らせたいという考えに夢中になりました。その資金を作るのに10年かかりましたが、2006年にイーデルは家族の貯蓄のかなりの部分を費やしてこれらの計画を出来る段階に至り、州でこの夢のコースを建設するための適切な場所を見つけるプロセスをスタートしました。そして彼はテキサス州オースティンの郊外にエル・ボケオンと同じような高低差の地形とコースに適した用地にめぐり合いました。彼はこの計画の設計をミシガンのマッケンジー作品の名門クリスタルダウンズをホームコースにするマッケンジー研究家の一人、マイク・デヴリーズ(Mike DeVries)に依頼しました。当時まだ設計家として著名ではなかったデヴリーズはゴルフコースデザインの世界で彼が最も尊敬しているマッケンジーに敬意を表する一生に一度の機会と考えました。彼のスケッチはまさにマッケンジーの設計コンセプトを伝えるかのように写ります。

 

*11番グリーンのスケッチ by Mike DeVries

 

しかしながらこの計画もまたサブプライムローンに続いて起きたリーマンショックから破綻となってしまいます。後に幻のコースとなったエル・ボケロン(El Boqueron)が話題になったのは、マッケンジー研究家として知られるゴルフ史家のトム・マックウッド(Tom MacWood)のGOLF CLUB ATLASでの論説からでした。

ウィスコンシンのサンドヴァレーゴルフリゾート(Sand Valley Golf Resort)で、トム・ドォーク(Tom Doak)が、造成パートナーのブライアン・シュナイダー(Brian Schneider)を率いて、C.B.マクドナルド設計の幻の名コース、ゴルフ界のアトランティスコースとも称されたリドGC(The Lido GC)の完全復元版を造成しているとの噂が全米のゴルフ史家たちに広まったのは2022年春の事でした。あらゆる資料や写真をもとにブライアン・ザガー(Brian Zager)がデジタル画像を作成し、完成の一年前から多くの専門家達が注目し現場を訪れ、その情報をSNS上にアップしたりしました。リドの復元版に注目した一人にオーガスタの隣町、サウスカロライナ州エイケン(Aiken)の郊外で壮大な21クラブを開発計画していたウェス・ファレル氏(Wes Farrell)の耳にも入りました。彼がマックウッド氏の記事を読んで、リドに対抗するべき作品として、エル・ボケロン再建を自らの計画に取り入れたいと願うのはディベロッパーとして当然の事でした。彼はマックウッド等、多くのマッケンジー研究家たちを集約させ、リドでも活躍したデジタルコースデザイナー、ブライアン・ザガー(Brian Zager)にも参加を募りました。コース名はMackenzie コースと付けられました。21Clubにはマッチプレーに適した設計コンセプトのHammerコースも計画にあり、プレーオフ用のRコースもそのレイアウトに含まれています。
21 Clubは、ハイエンドのターゲット市場に合わせて、最先端のパフォーマンスセンターと高級メンバー所有のキャビンハウス、および家族向けの施設も計画しています。完成はMackenzieコースが2026年秋、Hammerコースが2027年に予定されています。これまで幾度も計画され、その度ごとに不況がきては計画が頓挫したマッケンジーの幻のダブルグリーンコース El Boqueron, 果たして今回は計画通りに完成に至るのでしょうか。トランプショックが全米中に起こらないことを祈るばかりです。

 

*21 Club 左端がマッケンジーコース El Boqueron

 

*マッケンジーコース 完成予定デジタル画像  Brian Zager作

 

 

Text by Masa Nishijima
Photo & Map. Golf Club Atlas, Mike DeVries, Alister Mackenzie of Society,21Club.
Eric Wiberg Nautical Author & Historian. Jockey Club.