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“Face like a Duchess, Bottom like a Cook” 

これは、最高のハンティングホースを表す格言なのだそうです。

顔は気品に溢れ、美しく、心は勇敢で、肢元は逞しい、それがハンティングを楽しむ人々にとって理想の馬なのです。

日本では「転用」が「善」とされているので、例えば、競馬を走るために生まれてきたサラブレッドを馬術競技馬や乗用馬、時にはセラピーホースに再トレーニングし、活用を目指しますが、欧米諸国ではそれを「酷」だと考える意見も少なくありません。

もちろん、馬には個体差がありますので、全てに当てはまりませんが、馬とは本来、目的に合わせて生産され、活用されることを「正」とするのが彼らの考え方です。そして、ハンティングにもまた「理想の馬」がいます。

100年前ならいざ知らず、今ではスポーツとなったハンティングですが、それでも野山を駆け巡り、牧柵を飛び越え、川を渡り、沼地を歩き、時には道無き道を草木をかき分けて進むことに変わりはありません。ハンティングを楽しむ人々にとって、馬は正に「相棒」。

では、ぜひ想像してみてください。人の足では敵わない場所に、相棒の力を借りて共に行くとすれば、彼らには何を求めますか?スピード?ジャンプ力?それとも・・・?

 

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私がハンティングに出かける直前、オリンピックの馬術競技に出場するほど上手なライダーに「あなたはクレイジーなの?」と尋ねられました。私はその真意もわからないまま、村のおじさんやおばさん、子どもたちも参加するのだから、ちょっと馬に乗れたら大丈夫でしょ!と余裕綽綽。

そして、ゲストである私に与えられたのは、小柄な牛柄(ブチ)タイプの馬。ちょっと小さいけど大丈夫かしら?小さい方が扱いやすいのかしら?等々、よろしくね!と私の方がリードするぐらいの気持ちで、意気揚々とスタート地点に立ちました。

 

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ところが!実際に走り始めると立場は逆転。

まずは集団で走ることにも慣れていないので、隣の馬に合わせて走ろうとするブッチー(と勝手に命名)に引っ張られ、着いて行くのに必死。川を渡るにも、きちんと浅瀬を選び、先の見えないフェンスを飛び越え、泥濘みに肢を取られそうになりながらも踏みとどまるブッチーに感謝。

この時、私は初めて気づいたのです。このハンティングには「下見」が無いのです。例えオリンピックでも、走行の前には必ず下見をします。先に何があるか分からないまま飛び越えるのとは根本的に違うのです。それを知っているからこそ、オリンピックライダーは私に言ったのです。クレイジーだと。

もちろん、ハンティングではその土地をよく知るマスターが先導してくれますが、いざという時に信じられるのは相棒だけ。私は出発からわずか15分で、ブッチーに声をかけました。「改めまして、よろしくお願いします!!」

振り返れば、5時間に渡るハンティングの全てのシーンがエキサイティングでしたが、もう一つ心に強く残るドラマがありました。

少しずつ相棒との息も合い、一度も落馬することなく迎えた最後の難所、沢。横から見ると「M」の形をした沢を飛び越えることになったのです。通常、マスターは上級者コースと初心者コースの2つを案内してくれます。道中、何度も選択肢を与えられる場面があり、自信のある方を選べるのですが、この沢だけは全員に渡れと言うのです。

お手本では、緩やかな傾斜を駈歩で登り、勢いよくジャンプ。沢を越えればまた緩やかな下り坂を降りていきます。途中、木の枝に注意しながら頭を低くするのもポイント。一人一人順番にチャレンジしていき、成功すれば拍手喝采。馬が怖がれば、全員で舌鼓を打ち大声援。落馬すれば助けに行き、常に皆で見守り、協力しながらこの難所を通過していきます。

そして遂に、私の順番がやってきました。正直なところ、不安な気持ちが強かったのですが、ここでは「日本代表」ですから、そう簡単に諦めるわけにはいきません。それまで幾度と無くピンチを救ってくれたブッチーと一緒ですから、ここは是が非でも成功させたい!

そんな気持ちを強くもって、最初の上り坂を駈け上がった矢先、ブッチーが初めて急ブレーキをかけました。誰もが飛ぶと思っていたのでしょう。あーっという驚きとため息が同時に広がりました。

その後、何度チャレンジしても頑として動かなかったブッチー。結局、私は馬を引いてその沢を渡ることになったのです。けれども、勾配のある泥濘みを長靴で歩くのですから、思うように進みません。後続の人馬が成功したり落馬したり賑やかな様子を後目に、私は悔しくて、悲しくて惨めな気持ちになりました。

泥だらけになりながら、ようやく沢の対岸に辿り着くと、今度は「乗る?」と言わんばかりにブッチーが止まりました。私はその瞬間「乗るわよ!」と鐙に足を掛けたのですが、一息つき、背に揺られているうちに、じわじわとブッチーの優しさが伝わってきたのです。

 

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私は見栄を張って行ける!と思いましたが、ブッチーは危険なことをわかっていたのかもしれません。あの時もし、ブッチーが飛んでいたら、私は沢に落ちていたかもしれません。はたまたマンガのように木にぶつかっていたかもしれません。いずれにしても、あの時の私とブッチーには歩いて渡ることが一番良い選択だったのです。

実はこのブッチーはハンティングの経験豊富な大ベテラン。オーナーが怪我だけはしないようにと、ブッチーを選んで下さったのだそうです。私がこれを知ったのは無事にゴールを終えてからのこと。既に家路に着いてしまったブッチーに、もう会うことはできませんでしたが、この日の私にとっては賢明なブッチーこそ理想の相棒でした。

たった一度の経験でハンティングを語るのは気が引けますが、そこには確かに他の何事にも代え難い達成感や充実感がありました。だからこそ、時代を経た今も尚、姿を代え、形を変え、ハンティングは続いているのです。そしてこの冬もまた、人々は慈しみ育てた理想の相棒と共に、ハンティングを楽しんでいます。

 

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MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。