No.32 戦略性を表すクラシックホールの名称とグリーン、バンカーの名称。
1. サハラホールとサハラバンカー
ロングヒッターが1オン可能なショートPAR4を、ドライバブル4と呼びます。(英国ではドライブエーブル=Drive-Ableとも発音します。) 米国では1900年代初頭に、米国ゴルフ界の父と称えられたコース設計家C.Bマクドナルドが、英国の名ホールの攻略理論を唱えたナショナルゴルフリンクスオブアメリカの設計において、サハラ、及びケープホールで、風の効力を味方につけた時のプレーヤーに挑戦意欲を掻き立てるドライバブルを設定したのです。それはハザード超えを義務づける所謂「リスクと報酬(Risk & Reward)」のショートパー4の設計理論でした。
* Gossip 名門サイプレスポイントの隠された秘話。
米国西海岸の名門サイプレスポイント(Cypress Point )は、オーガスタナショナルの設計者アリスター・マッケンジーの大作として知られています。ここの海岸線のクリフを活用した15,16番と続くパー3は世界中のゴルファーが、一度はプレーしたいと願うでしょう。150ヤードに満たない15番はクラシック設計の「ショート」の理論で構成されていますが、16番は231ヤードの入江超えのパー3で、左手に2打でグリーンを攻める2ショットルートが設けられています。風がアゲインストの場合、ロングヒッターであろうとリスクは負わずに、この賢者のルートで2オン1パットの攻略ルートで、パーセーブを狙うでしょう。しかしこのホールには名門に隠された秘話があります。マッケンジーがサイプレスポイントの仕事を受ける以前に、クラシック設計の定義をC.B.マクドナルドと共に確立させたセス・レイノー(レイナー=Seth Raynor)が、ハワイのワイアラエCCの設計現場に行く前に、サイプレスポイントにより、18ホールのレイアウト図を描きました。つまり最初のオリジナルの設計者は、マッケンジーではなく、セス・レイノーだったのです。レイノーはこの16番を入江超えの「ショートパー4」として、ドライバブルなサハラ、ケープのクラシック理論を用いていました。しかし1926年にワイアラエから帰宅したレイノーは、52歳の若さで突然他界してしまいます。そして彼を引き継ぐ者として、当時サンフランシスコ近郊で、名手ロバート・ハンターとコンビを組んでメドウクラブ(Meadow Club)を発表し、話題を呼んだマッケンジーに白夜の矢が立ったのです。そしてマッケンジーは全体のレイアウトの一部とルーティングを変更しながら、16番をレダンホールなど、リンクスには多く見られる2オン1パットの定義のパー3ホールに変更し、その変わりに打ち上げのパー3だった18番を、ティをクリフ後方に移動し、距離の短いパー4に変えます。その結果、16番は世界のベストパー3と称賛され、逆に18番は最悪なるショートパー4として批評を受ける事となります。
1980年代のモダンコース時代になると、ショートパー4は、グリーンをバンカーなどのハザードで囲み、更にティショットのIPエリア(落下地点)付近にもハザードをセッティングし、運が良ければバーディやイーグルも可能だが、ひとつ間違えればボギー以上のスコアになる設計趣向が流行り始めます。日本でもそれらのショートパー4は一時期ブームを呼び、プレーヤーからドライバーの選択権を奪い取り、無理やりプレースメントを要求する設計にも拘わらず「賢者なゴルファーのホール攻略」と称された時期もありました。しかし英米では1オンであるドライバブルというゴルフの楽しみを奪い取る設計家たちの一方的な発想と非難する専門家たちも多かったのです。皆様もご存じのように、最近のメジャートーナメントでは、飛距離に対抗するかのように300ヤード超えるパー3が登場したかと思えば、逆にドライバブルなパー4を復活させ、18ホールの流れにアクセントをつけています。全米プロが開催されたウィスリングストレイツの6番は記憶に新しいことでしょう。最大距離は355ヤードですが、それはホールレイアウトに沿っての距離で、設計家ピート・ダイはティを右に移動することにより、グリーンまでダイレクトなカットルートでの実質距離を330ヤード前後に設定し、ドライバブルを考案しました。更にダイはグリーン手前のマウンドの傾斜を活用すればランでボールがグリーンに乗るよう地盤を固め、そして挑戦する者へのリスクにグリーン手前中央に深さ3メートルはあるバンカーを設けました。このバンカーに入るとパーセーブ率さえ50%弱でした。まさに鬼才ピート・ダイの「悪魔のバンカー」です。
さてクラシック時代に誕生したこのサハラホールの設計理論は、英国の名門ロイヤルセントジョージス(サンドウィッチGC)の3番パー3をモデルにしたものでした。C.B.マクドナルドが訪問した19世紀末期の頃、このホールは、芝も生え揃わない巨大な砂丘地帯を超えるブラインドのパー3で、砂丘を越えた打球はランをしてグリーンへ乗っていきました。打球の行方が見えないまさにイマジネーションショットの世界だったのです。この砂丘地帯を当時横断不可能と言われたサハラ砂漠に因んで、サハラと名称しました。これが発端となって、当時英国のリンクスコースでは、巨大な砂地が広がるエリアをよくサハラと呼ぶようになります。
リンクスコースに行かれた時、もし各ホールに名称があるならば、サハラの名称を持つホールがあるかちょっと注意してみてください。
それが巨大な砂丘を示すものなのか、又はコースの攻略ルートに絡むサハラなのか。リンクスマニアにとって、サハラの名称は、歴史へのロマンを感じさせる砂丘地帯なのです。
ロイヤルセントジョージスの3番ホールは、1975年、設計家フランクペニングによって、サハラ砂丘を越えない場所にティが移動され、その代わりに距離も200ヤードを超えるロングパー3に改造されました。サハラ砂丘はあれど、残念ながら私たちはプレールート上でその上を歩くことはなくなりました。
サハラの名称を持つ砂丘地帯は、米国に渡るとサハラホールのドライバブル攻略理論と同時に、巨大なバンカー群、及びヴェストエリア地帯にその名称が付けられていきます。
まず世界ナンバー1コース、パインヴァレーGCは、まだ樹木が数多く植栽されていなかった頃、7番パー5の2ndから3rd地点の間と、ホールを折り返す8番のティからフェアウェイまでの間は芝がはられていない砂地のヴェストエリアが繋がっていました。それらはその規模の大きさから地獄のハーフエーカー&サハラ(Hell’s Half Acre & Sahara)と名称がつき、戦後、樹木によってホールがはっきりと分かれてからは、7番のそれを地獄のハーフエーカーと呼び、8番にサハラの名称が付きました。
パインヴァレーの設計にも関与した名称アルバート・W.ティリングハスト(英.ティリンガスト=Albert W Tillinghast)は、自らがアイデアを出したフェアウェイを分離させるステレオタイプのレイアウト構想から、たまたま生まれたこの地獄のハーフエーカーとサハラの存在に強い印象を持ち、後に自らの作品であるバルタスロールGC #17番(Baltusrol GC Lower #17)、 ボルチモアCCファイブ・ファームス#14番(Baltimore CC Five Farms)、フェンウェイGC#3番(Fenway GC)では、パインヴァレー同様に、2ndから3rdの地点に、フェアウェイを分離する巨大なバンカー群を設け、それらを「サハラバンカー」と名称した。このティリングハストのサハラバンカーは、かつてC.B.マクドナルドが定義した3ショットルートを明確するパー5のクラシック設計理論「ロング=Long」を用いる時に活用しました。
日本にも巨大なバンカー群を持つコースは幾つかありますが、世界的に有名なものでは、東京GC14番アルプスホールのサハラバンカーでしょう。
又、東京クラシックの5番パー3のグリーンまで続く巨大なヴェストエリアも「サハラ」の名称で、世界のゴルフメディアに紹介されています。
次回は、パンチボウルグリーンについて詳しく解説しましょう。
Photo by GCA, Sandwich GC, Larry Lambrecht, Masa Nishijima,