クラブハウスは古き伝統を醸し出しながらも、メンバーたちの振る舞いなど一見華やかにも見える米国の名門ゴルフクラブですが、メンバーへの規制、ルールなど非常に厳しいものがあります。

まずクラブ理事、役員以外はクラブハウスとクラブの運営を一括に任されている支配人(英国ではセクレタリー)に楯突くことは許されません。日本ですと「我はメンバーなり、支配人は使用人」的な風習が古くからありますが、欧米の名門のメンバー達からしてみるとこれはマナーのない可笑しなクラブ組織に写ってしまいます。

英国では昔からセクレタリーをメンバーから選出するクラブが多くあります。

例えば、英国北部の街リーズの名門Alwoodley GCは、1906年に地元の名士たちで立ち上げたクラブですが、その中の一人に医師であり、コース設計の経験を持つあのAlister Mackenzie博士(オーガスタナショナルの設計者)がおりました。

創設者であるメンバー達は彼にコース設計を依頼し、翌年クラブは開設されます。

そして初代セクレタリーにMackenzie博士を任命し、Mackenzieのコース設計への才能を高く評価した当時コース設計界の巨匠Harry.S.Coltのお墨付きで1912-13年にはクラブキャプテンにも任命されます。

同時にMackenzieの最初の妻であったEdithも女性の代表委員に選ばれます。

Mackenzieを設計界に送り出したHarry.S. Coltも自らの作品であるロンドン郊外の名門Sunningdale GCで長くセクレタリーを務めていました。

Alwoodley GCにはクラブ史家でNick Leefe氏が代表をするAlister Mackenzie研究ソサイティの本部がありますが、クラブ史にはMackenzieが渡米する以前、未亡人だったHilda Haddockとの不倫が発覚し、30年に正妻Edithとの離婚が正式に承認されるとAlwoodley GCはMackenzieを一時メンバーから追放したという逸話もあります。

彼は後にHilda夫人と再婚し晩年を米国モントレーのパサティエンポで暮らします。

話がやや横道に逸れてしまいましたが、クラブにおける支配人の存在、価値、地位というものをもう一度改めて敬意を持つことはクールなクラブライフを送るメンバーとして大事なことかも知れませんね。

次にクラブにおけるヘッドプロやグリーンキーパーの存在、地位について少しお話ししましょう。

ヘッドプロと日本の所属プロとの違いは、以前ここでもお話しさせて頂きました。

ヘッドプロとはクラブと契約を持つPGA公認のツアープロ、またはティーチングプロであり、彼らの歴史は20世紀当初メジャー大会に参加していたクラブプロ達が現地でクラブやボールなどの用品を購入してきてはそれをメンバー達に販売したことが始まりで、彼らは敷地内に独立した小屋を建てそこをプロショップとして用品販売からティーチングプログラムなどを運営しました。

米国のほぼ大半のプライベートクラブではメンバーの同伴なくしてクラブハウスに入ることは出来ません。

メンバーとの待ち合わせ場所によく利用されるのがプロショップで、ゲストはプロショップ内のビジタールームで靴を履き替え、メンバーとそのままCome and Goのプレースタイルを取る人たちもいます。

メンバーとヘッドプロとの間、またはコースを管理するプロのグリーンキーパーとの間には互いの価値を認め合うフレンドリーな関係がなくてはなりません。

プロに対する一定の壁があり、その壁を乗り越え、メンバーが彼らを使用人のごとく頭越しに口論となれば、クラブ委員会はメンバーに口論せずに留まるか、または脱会するかの選択を要求するケースもあります。

もし口論の理由が過度における飲酒、またはドラッグ使用の疑いがわずかでもあるならばクラブは脱会を要求する権利を持ちます。それはクラブハウスの外である敷地内で起こしたトラブルと解釈される罰則規定です。

日本の古き名門で起こった事件で、理事の一人が薬物保持の疑いで警察に連行されたにも関わらず、理事会は当人の名誉とメンバーとしての地位を守り問題をもみ消した例がありました。

こんな事は欧米では考えられない事で、即刻メンバーから追放されます。

長い歴史を持つゴルフクラブであろうが、そんな曖昧な処置をするクラブは名門とは呼べませんよね。

世間から名門と称されるならばメンバーはジェントルマンであり、名士である姿勢が望ましいのです。

ゴルフコースに漂う「オーラ」とは。

Brian Morgan, Larry Lambrecht, Joann Dost, Gary Lisbon etc. GOLF Magazineを通して世界的にも著名なGolf Photographer達と一緒に仕事が出来ていることは筆者の一つの誇りでもあります。

そんな彼らとゴルフコースが放つオーラについて論じ合った事があります。

早朝、日の入り前に撮影するフォトグラファーの視点はコースを正しく評価する上でも貴重なものです。

多くのゴルファーたちは名門とされるゴルフコースの1番ティに立ってコースを眺めた時、その空間の景色に古き伝統の香りを感じ、その圧倒感をオーラと表現されるでしょう。

長きに渡りゴルフジャーナリスト界をリードされていた故・田野辺薫氏は「一番ティに立った時、それも出来るならばグランドレベルに近い高さのレディースティから眺めた時、名コースであるかどうかの予測はつくものです。名コースにはそこから眺めるホールの空間にオーラのようなものが存在します。」と述べられていました。面白い視点ですね。

スターティングの1番ホールにコースの伝統美を醸し出したいならば、グリーンとそれを囲むバンカーなどのコムプレックスがティからしっかり確認できる事が望ましいでしょう。距離のないShort PAR4ならば更に良いでしょう。

英国や欧州の古いリンクスや丘陵地のゴルフクラブに行くと土地の条件からかスターティングにPAR3を物語のプロローグかのようにセットし、2番からゴージャスな景観を見せるレイアウトのコースもあります。

しかしPAR3が一番にセットされようとティに立った瞬間、ゴルフコースの扉を開けたような雰囲気を醸し出すならば、貴方にとって印象度の強いゴルフコースになるはずです。

周りの景観にもよりますが、オーラ感を作り出すにはPAR3はPAR4よりも優れたケースもあります。

* Golf Puerta de Hierro (Arriba) #1 Hole PAR3

スコットランド出身のフォトグラファーとしてR&AやUSGAからも長きに渡り公認されてきたBrian Morgan氏は「オーラは樹木や砂丘のフレームから抜き出た瞬間の広い空間の地形の高低差が視界に登場してきた時、最も強く放たれる。例えばAugusta Nationalでは11番のIP付近からの眺めはコースでも最高のオーラ感を醸し出す地点でもある。」

上記のBrianが撮影した11番IPから奥に12番グリーンと13番フェアウェイが眺められるこの開けた一帯は、地形の変化と贅沢な佇まいを一つの視界の中に写し出している。

この写真のようにそこに西陽が射す時間帯にでもなればとてつもないオーラを放つでしょう。確かにコースのオーラは必ずしもスターティングホールのティからの眺めだけではないようです。

オーラを失くした日本の名門の例。

リーマンショックの余波もなくなり、昨今日本もコースをリノベーションされる倶楽部も多くなりました。

戦前からの歴史を持つところでは、小樽、我孫子、東京、霞ヶ関、広野などがそうで、どこも外国人コース設計家に依頼しています。

確かに日本人でこれだけの名門の仕事を受けるに相応しい方は霞ヶ関や日光のレストレーション、リノベーションで実績を持った川田太三氏くらいかも知れません。

米国ではコースのリノベーションはもちろん、オリジナル設計を復元し現代のディスタンスに合わせるレストレーションのプロジェクトでは設計家だけでなく、倶楽部の資料を預かる史家、コースのグリーンキーパー、優秀なシェーパー(造成担当者)、倶楽部からの代表者、そしてコースに詳しい史家及び専門家がチームを組んで取り組みます。

リノベーション、復元作業では開設当時の写真や古い図面だけでは到底当時のオリジナルデザインや雰囲気は理解できないでしょう。

例えばグリーンコンプレックスにしても当時の図面はポイントに数字を入れ、グリーン面のスロープの流れやバンカーの深さや壁の高さなどを伝えるだけで、けして詳細な数値のコンターが入る今の図面とは違う粗図面に等しいものでした。

設計家はホールごとに設計の詳細な説明やその理論のルーツを解説し、それを文章に残しました。つまり当時は現場で高さや深さなどは擦り合せるのが常識だったのです。

開設当時はまだ管理技術が乏しく、芝種やその刈高は今とは大きく異なり、グリーン上の球の転がりにスピードを求めるならばスロープに頼る手段しかなかった時代です。

その良い例がAlister MackenzieがAugusta Nationalでも魅せた土地の傾斜を利用するスローピンググリーンの活用でした。

しかしこのスローピンググリーンを現代に復活させた場合、今の低い芝の刈高では球は転がり過ぎてグリーン上で止めることは不可能でしょう。

Augusta Nationalが時代の進化と共に、グリーン面の改良を図ってきたのはそれらの理由もあるのです。

日本で広野などを設計したAlisonも同様にグリーン奥や両サイドのマウンドの傾斜を活用してグリーン上での球の転がりを演出する設計を好みました。

これを現代に復元することは不可能への挑戦であり、姿、形は似てもどこかで現代のゴルフにマッチさせる造形の調整が必要になります。

担当した設計家の造成スタイルや特徴が登場してしまうのはその辺りで、例えばその設計家が理想するクラシック時代の巨匠がAlbert.W.TillinghastだとすればTillinghastの作品を担当するなら良いが、もう一人の巨匠Donald Rossの作品を手掛けた場合、Rossの造形の特徴、違いをしっかりと出せるかと言うと必ずしもそうとは言い切れません。

まして造成を担当するのは設計家に従事するシェーパーたちですから、シェーパーたちがクラシック時代の数ある作品に見識がなければその設計家の造形美の特徴を出そうとするでしょう。

大事なことは造形ではなく、オリジナルの戦略性をどれだけ復元できるか?にあるはずです。

リノベーション、オリジナルへのレストレーションを試みたが、完成してみたらコースに存在していたはずの伝統の美、オーラが消えてしまった例は、これらの調整ミスやオリジナルにはない戦略性を余計にはかろうと無駄な樹木の伐採を行ない、視界のフレームを失くしてしまった場合によく起こります。

新設コースとて優れたコースにはオーラを醸し出すホールがあるはずです。

もしそれを醸し出すホールがあるならば、そのホールの景観性を何枚もの写真に収め、コース修繕の際に役立てて下さい。それは絶対に触れてはいけないオリジナル設計の大事なポイントです。

そこをベースにコースは修繕、改良していく必要があるはずです。

Text by Masa Nishijima

Photo by Masa Nishijima, Brian Morgan, Larry Lambrecht, Frank Pont, Sunningdale GC, Colt & Company Society.