連載 GOLF Atmosphere No.137 / 市民憩いの場のパブリックコース、その行方。PART 1

首都ワシントンDCは1780年、ポトマック川を跨ぐかのように100平方マイルの正方形都市として誕生しました。河川の東側にホワイトハウス、国会議事堂など行政に関わる施設が建設され、西側はペンタゴンやアーリントン墓地など軍に関わる施設及びロナルドレーガンワシントンナショナル空港があります。リンカーン記念堂とワシントン記念塔の南、丁度空港の対岸となる中洲に全米で最も多くの来場者を誇るイーストポトマックゴルフリンクス(East Potomac Golf Links)があります。年間のラウンド数は何と10万5千を数えた年もありました。
施設の内訳は、メインはPAR72のブルーコース、それにパー4を中心に構成されたPAR34のホワイトコース、PAR27のPAR3コースのレッドコースが続きます。更に1930年に設立された全米最古の18ホールのミニゴルフコース(パターコース)は国家歴史登録財指定されているというから驚きです。そして2階建て100打席を誇るドライビングレンジは各打席に冬用のヒーターとトップトレーサーを配備した打席もあります。


では何故に首都ワシントンDCのど真ん中の中洲に、このようなゴルフを中心としたレジャーアイランドが造られたのか、まずはその歴史をお話ししましょう。
このゴルフリンクスがあるイースト・ポトマック・パーク(East Potomac Park)は、実は19世紀末に米陸軍工兵隊(U.S. Army Corps of Engineers)によってポトマック川の浅瀬・泥州(マッドフラット)を埋め立てて造られた人工の島なのです。
その米陸軍工兵隊がこの大規模な埋め立て事業を行った最大の理由は、「公共衛生の改善(悪臭と病気の防止)」と「ポトマック川の航路確保と改善」が目的でした。
首都の誕生による人口の急激な増加と共に、19世紀半ばからポトマック川周辺は深刻な環境課題を抱えていました。深刻な不衛生状態と害臭は、 当時の下水処理設備が不十分で、街の下水や泥土がすべてポトマック川へ流れ込んでいました。川底に汚泥が溜まって広大な浅瀬(ポトマック・フラッツ)が形成され、夏場になると激しい悪臭を放ち、蚊が大量発生してマラリアなどの感染症の温床となったのです。
川の北側にあるホワイトハウスにまでその悪臭や瘴気が届くほどで、リンカーン大統領をはじめ歴代大統領が避暑地へ避難せざるを得ないほど深刻な公害問題でした。
また洪水と浅瀬による航路の閉塞 は物流を閉ざす大問題であり、泥土が積もることで船の航行が困難になり、河川の港としてその機能は低下していました。更に1881年に起きた大規模な流氷洪水により、街の中心部が大規模な浸水被害を受けたことで、議会は根本的な対策に打って出たのです。
軍(陸軍工兵隊)が担当した理由は 、当時、主要な河川・港湾の浚渫や治水工事等は、国家インフラ建設として米陸軍工兵隊の管轄業務でした。1882年に連邦議会からの予算承認を受け、ピーター・ヘインズ(Peter Conover Hains)少将率いる工兵隊が大規模な埋め立ての土木事業に着手しました。
工兵隊はポトマック川の川底を深く削り取って大きな船が通れる「深い航路」を確保し、その掘削作業で出た大量の泥土や土砂(浚渫土)を浅瀬に積み上げて石垣で固めていきました。 約30年間に及ぶ埋め立てと護岸工事により、約330エーカーの新しい人工の陸地が完成しました。これが現在の「ウエスト・ポトマック・パーク」と「イースト・ポトマック・パーク」なのです。
1897年、議会はここを市民のための公園への指定 、「国民の休養と娯楽のための公園として永久に保持する」法律を制定し、正式に公園都市計画に組み込まれました。そして1902年の「マクミラン計画(都市美運動)」に基づき、市民のレクリエーション場としての開発が進められていきます。
イースト・ポトマック・パークの南端の角は、埋め立て工事を指揮したピーター・ヘインズ少将にちなみ「ヘインズ・ポイント(Hains Point)」と名付けられています。1910年代〜1920年代にかけて、現在のリンカーン記念堂とワシントン記念塔の南に位置するタイダルベイスン(潮汐池)とタイダル機構が完成し、潮の満ち引きを利用して川の水を取り込み、ワシントン海峡へ流し出すことで水質を保つシステムが整備されました。また1912年には東京市から寄贈された桜の苗木がポトマック・パーク周辺に植樹されました。
そして1913年、遂にこの人工島にゴルフ場建設が議会で決議され、当時まだ少なかったパブリックコースが開発される事となります。
コース設計は、 全米アマチュア選手権の覇者であり、ゴルファーとしても政財界の大物達から厚い信頼を得ていたウォルター・トラヴィス(Walter Travis)が担当しました。当時彼はコース設計でもその才能を発揮し、シネコックヒルズの設計でも知られるウィリアム・フリン等とも見識を分かち合い、多くの作品を残し、ジャーナリストとして出版社も運営していました。

*Walter Travis (1862-1927)
1917年、現地を訪れたトラヴィスは、ほぼフラットな埋立地の島の地形から、スコットランドのセント・アンドリュース・オールドコースにインスピレーションを受け、幾つかのアイデアを出します。その一つに当時オールドコースが日によっては18ホールのルーティングを真逆にリバースしてプレーしていたように、時計回りの流れと反時計回りの二つのリバーシブルなルーティングプランを考えました。そしてフラットなフェアウェイとは対象的に、起伏のある広大なグリーンを設計しました。
彼は著の中でも「パットを制する者は世界を制す」の名言を残しているほど、グリーンの造成には一定の拘りを持った男でした。
風や季節によって打つ方向を逆にしてプレイできる「リバーシブル(Reversible)デザイン」のリンクス風コースを計画しました。起伏に富んだグリーンには大きな起伏を持たせ、パッティングとアプローチに高度な技術を要求しました。リンクスに見られる深いポットバンカーやハザードの位置を巧みに配置し、風向きや飛距離に応じた所謂リスク&リワード(危険と報酬)の判断をゴルファーに迫る戦略性を図ります。ポトマック川から吹きつける風は空間のハザードとなり、それをリバーシブルな設計で創り出したのですからトラヴィスの才能の高さが窺えます。
それでは改めてウォーター・トラヴィスの発案したリバーシブルコースについて説明しましょう。
長方形のフェアウェイの左右にグリーンを置き、それを右から進むルートと左から進むルートを想像されてみてください。


グリーンとフェアウェイは共有され、一つのグリーンに対して手前と奥の両方にアプローチエリアが存在することになります。
例えば、土曜日は「Aグリーン付近のティからBグリーン」に向かってプレーし、日曜日には逆方向の「Bグリーン付近のティからAグリーン」に向かって打ちます。
フェアウェイやバンカーも、順方向と逆方向でそれぞれ異なるハザードとなり、土曜日はクロスバンカーだったものが逆ルートとなる日曜日では距離を変えることで、グリーンサイドバンカーとして機能させるアイデアです。
トラヴィスはオールドコースで経験したリバーシブルコースを採用することで、限られた埋立地の用地の中、実質、18ホール分の設計で、36ホール分の異なるホールシチュエーションを提供できると考えたわけです。
またこのアイデアは、プレーする方向を切り替えることで、特定の箇所の芝の摩耗を防ぐ効果も生まれたのです。



*Walter Travisのオリジナルレイアウト図
第一次世界大戦による中断を経て、最初の9ホールが1920年から1921年初春かけて開設しました。当時のウォレン・ハーディング大統領(第29代)がグランドオープンに訪れ、プレーされた記録が残されています。1923年には残りの9ホールが完成します。現在のブルーコースのオリジナル版がそれで、同年には全米パブリックゴルフ選手権が開催されました。更なる増設とミニゴルフコースも計画され、1925年にはウィリアム・フリン設計の距離の短いショートPAR4をメインとした9ホールコースがオープンし、1930年には全米最古級のミニチュアゴルフ(パターゴルフ)コースも開設されます。
イースト・ポトマック・ゴルフ・リンクスは、ワシントンD.C.のポトマック川沿いに位置する100年を超える歴史を誇る巨大な公営ゴルフ施設です。ワシントン記念塔やジェファーソン記念館などの建造物を望みながらプレーできる唯一無二のロケーションにあります。
民権運動における人種統合の舞台
戦中は軍の施設に活用され、コースも改造を余儀なくされてきました。しかしイースト・ポトマック・ゴルフリンクスは全米屈指の歴史を誇るパブリックゴルフ施設であり、ワシントン記念塔やジェファーソン記念館等を一望しながらプレーできる唯一無二のロケーションにあります。しかし大都市の中心にあるだけに、これまで幾つかの難題も抱えてきました。それが1940年代から1950年代に起こった人種統合の歴史です。ワシントンD.C.の多くの公共施設同様、ここもパブリックコースでありながら人種隔離政策により、アフリカ系アメリカ人の利用が禁止されていました。
1941年、黒人ゴルファーたちがコースでプレイを試みた際、白人グループから石を投げられるなどの暴力的な行為を受けました。これに対しゴルファーたちは内務長官ハロルド・アイクスに直訴し、連邦保安官の警護のもとでプレーが行われました。
その後も人種差別の緊張状態や制限が続きましたが、市民権運動の高まりと共に、1955年にワシントンD.C.の全公営ゴルフ場において人種隔離が撤廃され、誰もが自由に利用できるようになり、イースト・ポトマック・ゴルフリンクスの施設はその文化的拠点ともなったのです。

*East Potomac Golf Links
全米で湧き起こるウォーター・トラヴィス作品への再注目。
現代のゴルフコース設計界の第一人者トム・ドォーク(Tom Doak)の造成パートナーで、自身も数多くの名門の修復工事やリノベーションを行なっているブライアン・シュナイダー( Brian Schneider)が2013年、ウォーター・トラヴィスの名作Hollywood GCの復元作業を4年のスパーンで行いました。完了後、全米TOP100コースにランクアップされるなど、その高い評価からトラヴィスの作品が再度注目されてきます。

*Hollywood GC NJ est.1917

*Cape Arundel GC ME est 1896/ R. 1920 Walter Travis)
シュナイダーによって、トラヴィスの作品が再度注目を受け始めた頃、トム・ドォークは地元ミシガンのフォレストデューンズGC(The Forest Dunes GC)の第2コースとなる「The Loop」の設計に入っていました。このコースは彼自身初めてとなる時計回りと反時計回りの2つのルーティングを持つリバーシブルコースで、オープンと共に大変な話題となりました。そしてシュナイダーは更にTravis作品の研究も兼ね、作品の修復改善の仕事に努めていきます。


*”The Loop” Tom Doakのリバーシブルコース。上と下の図のルーティングを比べてみて下さい。
The Walter J. Travis Societyの存在意義。
欧米にはハリー・コルトやアリスター・マッケンジーなど、ゴルフコースの歴史を築いた著名コース設計家たちの研究グループがあります。
そのHollywood GCの代表を務めるロブ・ウォルフ氏(Robb Wolf III)は、The Walter J.Travis Societyの会長も勤められ、シュナイダーの良き協力者であり、トム・ドォークのグリーン設計とトラヴィスの戦略的グリーンは共通性があると論じ、イースト・ポトマック・ゴルフリンクスの改修の話を聞くや否や、一番にこの二人がトラヴィスの作品に相応しいとソサイティでも語っていました。この方の事はまた後にお話しします。
運営を委託された非営利団体National Links Trust(NLT)
ドォークはGOLF.comやポッドキャスト番組Fried Eggからのインタビューで、その設計のアイデアはセント・アンドリューズのオールドコースのリバースループとウォーター・トラヴィスがイースト・ポトマック・ゴルフリンクスで発案したリバーシブルのオリジナルコースにあると語り、それがワシントンDC出身でコース史家兼コース設計家のマイク・マッカーティン(Mike McCortin)の耳に入りました。彼はパートナーであるウィル・スミス(Wil Smith)と共に、2019年に非営利団体National Links Trust(以下はNLT略)を設立します。そしてDCの歴史的公営のコースを昔の姿に再生し、これまで通りの手頃なグリーンフィで、ウォーター・トラヴィスの作品を体験してもらう理念を掲げ、ワシントンD.Cが持つ他の二つのパブリックコース、Rock Creek ParkとLangston Golf Course(アフリカ系アメリカ人の為に造られたコース、次回詳しく解説します)の改修案も含めた計画案を提出、彼らの熱意は連邦政府国立公園局から運営委託の長期リース権を獲得することになります。
マッカーティン達はトラヴィスのリバーシブルコースの復元と全体の再開発に向け、ウォルフ氏からの推薦を持って、トム・ドォークに協力を依頼しました。ドォークはトラヴィスの初期図面や過去の航空写真、研究資料をすでに持っていたので、トラヴィスが意図していた「戦略的でその攻略法を誰もが楽しめる設計」を、現代の技術と耐水・耐候対策を兼ね備えた形で復活させるプランをマッカーティンに提出し、自身は無償で設計に携わることを約束しました。このニュースはあっという間に全米中のゴルフコース愛好家、研究家達に伝わり、完成が待たれました。
マッカーティンはDCの他の二つのパブリックコース、市の北にある自然森林保護区にあるRock Creek Park Golf Course,と北東に位置するLangston Golf Courseの改修をGil HanseとJim Wagner、Beau Wellingにそれぞれ依頼しました
2021年、ゴルフコース改修の枠組みがすべて整った段階で、連邦政府国立公園局側とその行程や予算の組み立てなどが協議されました。
しかし、ここで再開発に慎重な環境保護、歴史的建造物保護をテーマにする研究団体が調査したデータから幾つかの問題点が発覚します。
それはイーストポトマックパークの人工島が、完成から100年以上を過ぎ、約5フィート沈下しており、更に温暖化による海面水位の上昇は、2フィートに達しています。又、ポトマック川沿いの入江であるタイダル・ベイスン(ジェファーソン記念館などを囲む水辺)からウェストポトマックパークかけて広がる桜の並木道も、すでに高潮による浸水被害を受けており、既に6億ドルの予算で決議された防波堤の再建築は急務となっています。

*Photo Credit by NPS
これらの事からゴルフコースの修復工事は、川沿いにないRock Creek Parkを一番手にスタートし、続いてLangston Golf Course、そして最後にイースト・ポトマック・ゴルフリンクス(East Potomac Golf Links)の順で決定されました。
そこで更なる問題が起こります。2024年にドナルド・トランプ氏が47代大統領に再選を果たしたのです。
昨年このイーストポトマックゴルフリンクス復元計画に対し、首都ワシントンのど真ん中でPGAのメジャー大会やライダーカップも開催できるチャンピオンシップコースに計画を変えるべきだと唱え、コース設計の担当は自身の3つのゴルフ場の設計されたトム・ファジオ(Tom Fazio)に決定すると、NLTとの再協議に彼流のディールを持ち込みます。それは我々の計画に合意するならば、50年間のリースは保証するが、そうでないならば契約は破棄するというやや暴力的とも取れる内容でした。

*Tom Fazioが提出したレイアウト図
そして今年6月28日NLTは折れ、トランプの方針に従うコメントを発表しました。トランプ氏は自身の就任期中に工事を終られたい旨、9月1日に着工させるとメディアに向けて公表します。
しかしこの発表に対し、地元や周辺地区からのゴルファー達からは「トランプは$42ドルで遊べる我々のゴルフコースを高級パブリックコースに変えようとしている。」
「そんな大規模なゴルフ場になるならば、我々のサイクリンロードやジョッギングコースも消されてしまう。」とポトマックパークがゴルファーだけの島でない事を訴える。もちろんウルフ氏はじめとするコース研究家グループやメディアたちも「トランプの勝手にはさせない!」と抗議を申し出ている。
はたして、米国が誇る公営のゴルフコース East Potomac Golf Linksの行方は、工事がしっかり着工されるのを確認してから、パート2として改めてご報告したいと思います。
Text by Masa Nishijima
Photo by NLT, The Walter J.Travis Society,East Potomac Park, RGD, Hollywood GC, Cape Arundel GC,Fried Egg, Fazio Design, Masa Nishijima.