オーガスタナショナルに秘められたボビー・ジョーンズとクリフォード・ロバーツの壮大な計画。

  オーガスタの地に聖地セント・アンドリューズ・オールドコースのロマンを求めた球聖ボビー・ジョーンズは、油田開発で一躍財を成し、ニョーヨークウォール街に投資家としてデビューした銀行家クリフォード・ロバーツという財力を生む味方を得てその計画は着々と進みます。GOLF Atmosphere No.108でもご紹介しましたが、西海岸の旅で旧知のマリオン・ホリンズ女史からの紹介で知り合ったコース設計家アリスター・マッケンジーの才能に魅せられたジョーンズは、ニューヨーク州の名門Knollwood CCに彼を招いて、ロバーツとの三者会合を行いました。ホリンズ女史がここに参加したかの詳細な記録はこの時の詳細には残されていませんが、当時のメモ書きの中にクリフォード・ロバーツがジョーンズとマッケンジーに、エンパイアステートビルの完成に伴い、東部経済は大暴落から脱却し投資家たちの関心は南部への投資は進むだろうと想定し、当時のオーガスタナショナルの18ホール計画から更に飛躍したカントリークラブライフの計画案を持ち出したようです。

 

*Augustna National 女性用第二コース計画予定図

 

上の空撮写真をご覧下さい。写真の上が緑一面のオーガスタナショナルで、下のコースはバミューダ芝を使用していることから春はまだ色合いの薄いオーガスタカントリークラブです。(設計Donald Ross)

オーガスタカントリークラブの歴史は古く、1897年当時東部から避寒を求めやってきたセレブ達を迎え入れていたBon Air Hotelとそれに共同出資したアウグスタングループがホテルゲスト用の9ホールコース(当時はまだサンドグリーンだった)を造ったのが始まりでした。後の1901年にコースは18ホールに拡張され、ドナルド・ロス設計による6,174ヤードのヒルズコースが誕生します。同時にクラブ名もオーガスタカントリークラブ(Augusta Country Club)に改名されました。その後、第2コースであるレイクコースが造られます。185エーカーの敷地にトータル5,833ヤードのそのコースはオルムステッド湖を見下ろし、湖からレイズクリークへの境界に沿って存在していました。そのレイクコースが存在していた場所が空撮写真の黄線の丸で囲んだ辺りで、現在はご覧のようにカントリーヒルズの住宅地となっています。

ここからがオーガスタナショナルの歴史から消されてしまった三者会談で話された壮大な計画となりますが、その前にオーガスタのツーリズム経済を支えたBon Air Hotelについてちょっとお話しさせて下さい。オーガスタ全体を見下ろす丘の上に聳え立っていたBon Air Hotelは、後のオーガスタの経済を担う人たちが集ったグランドホテルでした。1889年12月2日にグランドオープンされ、バルコニーを備えた広大な4階建てのビクトリア朝の建物は105室の全室スィートクラスの客室を所有していました。当時はホテルの正面と南側のバルコニーテラスからはサバンナ川渓谷の壮大な景色を眺めることができました。

 

*1910年代のBon Air Hotel.

 

ゴルフにテニス、乗馬、更に最高の料理を提供するBon Air Hotelは、南部で最もエクセレントなホテルとしてカントリーライフ誌にも幾度も紹介されました。東部のセレブたちの憧れのホテル、つまり余暇の時間をすべて満たしてくれる「グランドホテル」としてその地位を揺るぎないものにします。そして北部からあらゆる分野の男性有識者たちがやってきては口実的な学術会議を開くなど話題となり、当時そんな夫達を送り出す婦人たちからは「Conversation Hotel」との別名も付けられました。しかしそんな男たちの集まりは後にサウスカロライナとジョージアとの州境になる交易ルートのような街オーガスタを薬学で名声を得る大学都市にまで発展させるキッカケともなるのです。

名声を得たBon Air Hotelですが、1921年に周辺から起こった火災に巻き込まれホテルは全焼してしまいます。一度は再建を見送ろうとしたBon Air側に市の経済を潤わせたホテル再建を望む市長はじめとする権力者たちはホテル業で財を成すヴァンダービルト家からの当時100万ドルもの資金提供を調達し、Bon Air-Vanderbilt Hotelとして再建させる事に成功します。そして1923年300室の豪華な客室を備えたホテルに生まれ変わり、翌年更に100室が増築されるなど南部最大級のホテルとなっていきます。

 

 

*再建されたBon Air-Vanderbuilt Hotel.

 

 話をオーガスタナショナルに戻しましょう。Bon Air-Vanderbilt Hotelの顧問弁護士に就任したボビー・ジョーンズはヴァンダービルト家の計らいでバークマン男爵家が所有していたフルーツ農園&植物園の土地買収にこぎつけます。ジョーンズはそこに世界に誇れるトーナメントコースを建設し、オーガスタの地に永遠の潤いを齎すことを市議会などでも述べ、開発への投資、メンバーたちを募ります。既にこれらの経緯に関わっていたクリフォード・ロバーツはBan Air-Vanderbilt Hotelでのジョーンズの演説を聴いてゴルフ界のスーパースターだった彼の永遠のロマンに投資家としての人生をかける事に踏み切ったわけです。

ジョーンズとの入念に打ち合わせした内容で驚くのは彼等が抱いていたメンバーの数です。その数は最終的に何と1,800名で、メンバーの妻子たちも含みます。それは冬に南部訪れるセレブ家族の5%近くを占める数字であり、入会金とは別に年会費は男性60ドル、家族は一人当たり15ドルを想定していました。当然ながら彼らはBon Air-Vanderbilt Hotelに宿泊する事になります。そして彼らは黄線枠で示したオーガスタカントリークラブのレイクコースを買収し、そこに女性メンバー用の第2コースの計画する案がありました。もちろん設計はアリスター・マッケンジーです。その後、ホリンズ女史も敷地内に建設予定だった別荘の不動産販売など、ジョーンズの計画に協力してきた事もあり、彼らの計画にはオーガスタナショナルをメンズオンリーのクラブにする予定ではなかった事がわかります。クラブハウスも大きく改修増築計画にあり、そこには男子ロッカーだけで何と400、女性用ロッカーももちろん完備する計画にあったようです。

更にジョーンズとロバーツの計画立案の中にはやはりアリスター・マッケンジー設計による60ヤードから190ヤードの距離で構成される18ホールのショートコースもありました。これはクラブの会員数が1,000名を超えた段階で、女性のための2番目の18ホールのゴルフコース以外に、妻子用のコースとしてアピールする狙いがありました。クラブライフプランには、テニスコート、スウィミングプールはもちろんのこと、追加のレクリエーションオプションとして馬の厩舎とブライドルパスが含まれていました。オーガスタ・ナショナルの当初のコース建設予算を見るとマッケンジーが設計するチャンピオンシップコース(現在のコース)に20万ドル、女子用の第2コースに14万ドルが含まれていました。これは当時としては破格な建設費です。

 

*1はアリスターマッケンジー設計の18 ホールのショートコース(60~190ヤード) 2は女性用に計画された第2コース 3は厩舎とブライドルパス

 

今でこそオーガスタナショナルのクラブハウスへのゲートはマグノリア・レーンですが、当時そこは車が通るのには狭いとメンバーたちの散歩道、ベンチを置き会話を楽しむ場所に考えられていました。正面ゲートはワシントンロードとアイゼンハワードライブが交差する場所に新たなゲートを設け、クラブハウスへと繋げる計画だったようです。

クリフォード・ロバーツの計画には、ボビー・ジョーンズの功績を称えられるゴルフ界のためのクラブとしての地位確保を目指すためのものがありました。それがゴルフの殿堂Hall of Fameの建設計画でした。それは現在の11番ティの右側付近に予定されていたようです。下の空撮写真の黄枠辺りが建設予定地でした。

ちなみにニューヨーク州クーパースタウンにある野球の殿堂Hall of Fameは1939年に完成されましたので、もし出来ていれば、野球よりも早く、更にPGAがそれを考案した時期よりも1年早くジョーンズの功績と歴史的名手たちが紹介されていたことになります。そして驚くべきことに、当時クラブ名はオーガスタナショナルではなく、ジョージア州の誇る名門としてジョージアナショナルGCにしようとジョーンズが述べていた事です。

 

*現在の11番ティ右付近にGOLF Hall of Fameが建設計画されていた。

 

しかしながら大恐慌の余波は治るどころか更にゴルフ界を暗黒の世界へと引き込んでいきました。会員を募れば南部への投資とばかりに入会してきたのは僅か76名に過ぎませんでした。当初の計画は大幅に変更、延期せざるをえず、ジョーンズはコースが完成して直ぐに自身の名を冠にしたインビテーショナルトーナメントに世界中の名手たちを集め、1934年に第一回大会を開催します、その評価と話題性は暗黒のゴルフ界に光を差し込むものでした。しかし数年後世界は第二次大戦へと突入していきます。オーガスタナショナルの敷地にはプールやテニスコートではなく、軍用の家畜が飼育される時を迎えるのでした。

 

 

 

 大恐慌から続くゴルフコース暗礁の時代の中、ジョーンズ、ロバーツの計画は頓挫してしまいましたが、戦後ゴルフ復興の為にマスターズ大会をより盛大な祭典とし、多くのレジェンドスターを誕生させ、オーガスタナショナルGCを世界中のゴルファーたちの憧れの地に変えます。そしてタイガーウッズの登場から始まった放映権の高騰はオーガスタナショナルに莫大な富を与え、それらはコースのリノベーション、管理コスト、更に新しいビルディングとして7,14,16番グリーンと同じ形状のパッテインググリーンを持つホスピタリティスイーツセンターや莫大な費用をかけて新しく建設されたメディアセンター、マスターズショップ、駐車場の拡張など、利益の大半はマスターズ大会の為に費やされています。その名門クラブは女性会員4名を含めた300名のメンバーによって構成されています。

 次回のGOLF Atmosphereはオーガスタに女性会員を誕生させるキッカケを成したクラブやシュライナーズ(古代アラビア貴族教団/米国フリーメイソン)たちが設立したユニークなクラブハウスの建築様式など、米国に存在するユニークなクラブをいくつか紹介してみたいと思います。

 

 

 

Text Masa Nishijima

Photo & Map by Augusta Museum of History, ANGC, GOLF.com, GOLF Digest.