数年前、日本のメディアを賑わせた「ゴールデンホース」をご記憶でしょうか。

艶やかな毛色が、まるで黄金のように輝く馬・トルクメニスタン原産のAkhal-Teke(アハルテケ)という品種の馬が、日本のメディアに取り上げられたところ、有名人が原産地を訪れたり、日本国内で純血種の繁殖を試みたりと、あちらこちらで話題となりました。

アハルテケのAkhal(アハル)とは、イランと国境を分つコペトダグ山脈の北斜面に沿ったオアシスの名前。そこに住む、トルクメンのTeke(テケ)族たちと共に暮らし、進化を続けてきたのがアハルテケだと考えられています。

ただ、この馬たちを「アハルテケ」と名付けたのは、後にロシア帝国の陸軍大臣となり、日本の軍事力を高く評価したことでも知られるアレクセイ・クロパトキンでした。

南下政策の一環として、中央アジアの征服に乗り出していたロシアは、1881年、ギョクデペの地でテケ族に勝利し、トルクメニスタンを占領すると、この時、ロシア軍の参謀を務めていたクロパトキンが、この美しい馬たちをたいそう気に入り、繁殖牧場を設立。部族の名にちなんだ「アハルテケ」の生産を始めたのです。

元来、砂漠地帯の乾燥や、傾斜の険しい山岳地帯でも強く逞しく生き抜いてきたアハルテケは、耐久性とスピードに優れ、強い忠誠心を持ち合わせていました。また、外見的には比較的小柄で華奢な馬が多く、何より短く光沢のある毛並みが特徴です。

さらに遡ると、絶滅したと考えられているTurkoman horse(トルコマン種)とも非常に似た特徴をもち、共にArabian(アラブ種)に影響を受けていると考えられています。また、サラブレッドにも影響を与えたと言われ、アラブ種かターク種だったとされるバイアリータークもアハルテケの祖先に近い可能性を残しています。

さらにさらに一説では、このアハルテケこそ「汗血馬」の子孫であるとされ、今も中国ではトルクメニスタンから輸入したアハルテケを飼養しているのだそうです。

「汗血馬」とは、「血の汗を流す馬」。ただし、実際には血のように見える汗を流して走る馬のことだと考えられ、馬の皮膚表面に寄生する寄生虫が吸血し、皮膚に滲んだ血が汗と混ざり、文字通り、血の汗となったのです。

特に、河原毛や月毛、佐目毛のような薄い毛色で知られるアハルテケの馬体であれば、赤色がより鮮やかに映ったことも容易に考えられます。

また、アハルテケを汗血馬に断定する理由は他にもあります。汗血馬は一日に千里(中国の単位で約500km)走るとされ、アハルテケにもまた4,000kmを84日間で走破。その間、砂漠を通過した3日間は水も飲まずに横断したという記録が残っています。

そして、記録といえば、アハルテケがオリンピックチャンピオンに輝いたこともありました。1960年のローマオリンピック・ドレッサージュでロシア(当時はソビエト連邦)に馬術競技初の金メダルをもたらしたのが、セルゲ・フィラトフ(Sergej Filatov)と、当時8歳だったアハルテケのアブセント(Absent)でした。

アブセントは、その後も長く活躍を続け、1964年の東京オリンピックでは、同じくセルゲと共に個人とチームの両方で銅メダルを獲得。1968年のメキシコオリンピックでは、イワン・カリタ(Ivan Kalita)と共にチーム銀メダルに貢献し、今なおロシア馬術の歴史にその名を残しています。

見て良し!乗って良し!世界中の馬愛好家を魅了するアハルテケ。現在、トルクメニスタンでは外交上の贈答にアハルテケを重用している他、種の保存にも力を入れ、その資金調達を目的に、ヨーロッパ諸国やアメリカをはじめ、日本にも輸出されています。

 

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。