まさに20世紀が始まろうとする1900年のこと。

「馬には高度な知力がある」と確信したドイツの学校教師、ウィルヘルム・フォン・オステン(Wilhelm von Osten)は、ロシアから買い入れた5歳の雄馬・オルロフトロッターのハンス(Hans)と学習を始めます。

それから約2年の後、オステンは軍の週刊広報誌に記事を掲載するようになりました。

「私の美しい馬は、言葉を理解し、色を識別し、和音を聞き分け、数を数えることができ、さらに簡単な計算までできる」のだと言います。

 

馬がどうやって「正解」を示すのかというと「蹄」です。

例えば、オステンが「1+2は?」と問えば、ハンスは3回床を蹄で叩きました。

今では信じる人などいないかも知れませんが、当時はまだまだ「神が万物を創造された」と考える人が多かった時代。1859年にイギリスの科学者、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin)が「種の起源」発表し、進化論が一般社会へも広まり、動物の進化や能力に大きな注目が集まっている時期でもありました。

そこで、その真偽のほどを確かめるために、ドイツ教育委員会は哲学者であり心理学者でもあるカール・スタンフ(Carl Stumpf)に調査を依頼します。そして、獣医師や動物の専門家、騎兵や教師、サーカスのマネージャーに至るまで、13人のチームを組んでハンスの能力調査を行ました。

もちろん、オステンには絶対の自信がありますから、何度でも繰り返します。ハンスもまた、正解の度に大好きなりんごやにんじん、砂糖をご褒美にもらえるのですから、得意げに披露します。そして、調査チームは「ハンスのパフォーマンスには、いかなるトリックもない」と結論づけたのです。

オステンがハンスとトレーニングを始めてから4年あまり。ついに、ハンスは「クレバーハンス(Clever Hans=賢いハンス)」として、周知されることになりました。

ところが、この調査チームの結論に、「馬は出題者の行動を読んでいる」という指摘が上がります。そこで、スタンフの生徒でもあったオスカー・フングス(Oskar Pfungst)が、更なる調査を続けることになりました。

定められた条件下で複数回のテストを行い、正解を導き出す確率を調べます。出題者が馬のオーナー(オステン)であるか否か、観衆の有無、馬から出題者が見えるか否か、さらに、出題者が答えを知っているか否か。

その結果、出題者が馬から見える場所に位置し、出題者が正解を知っている場合の正解率は、他の条件下の場合よりも圧倒的に高いという判定が出ました。そして、これはハンスのパフォーマンスには決してトリックは無いものの、ハンス自信が考えて答えているのではなく、出題者をはじめとした周囲(外部)からの情報によって答えているのだという結論を導き出すのに十分な証明にもなりました。

ハンスにとって最も有力な情報は、出題者や観衆の頭の動きでした。ハンスのパフォーマンスを見る人々は、ハンスが蹄を叩き始めると、自然にハンスの肢下に注目するようになります。そして、今まさに正解の数を叩く直前に頭を上げるのです。その動きはわずか0.5-2mm程度。

また、半信半疑で見守る周囲の張り詰めた空気感も、ハンスにとっては貴重な情報源でした。固唾を飲んで見守る人が多ければ多いほど、正解の瞬間に緊張が解けるのです。人の呼吸、表情や身体の弛緩など無意識の行動も、馬にとってはまるで合図のようだったのでしょう。

ハンスの知力を信じて疑わないオステンは、この結論に強く反発しましたが、実際、オステンは正解の直前になると、眉毛がほんの少し動き、表情が緩むのだそうです。ハンスはそのわずかな変化も見逃しませんでした。

ただ、この能力は馬に限ったことではありません。特に集団性の動物にとっては、互いにわずかな動きを察知してこそ、命を守ることに繋がります。言わば、動物の本能なのでしょう。

とはいえ、やはりごくわずかな人の動きをこれほど正確に把握できるのですから、ハンスが飛び抜けた注意力をもつ、賢い馬だったことに違い無いのです。

その後、動物が人の行動や表情を読み取る能力や、人の意向を読み取り、それに沿って行動しようとする事象を「クレバーハンス効果」や「クレバーハンス現象」と呼び、動物との実験や訓練を行う研究者やトレーナーの教訓としても伝えられています。

一方、ハンスはというと、研究の結末を他所に、その後も主人・オステンと共に傑出した能力を披露し続け、大勢の人々を感嘆させました。1909年にオステンが亡くなると、その後は実業家のカール・クラル(Karl Krall)に引き取られます。

クラルもまた、「思考する動物」に興味を抱き、大変熱心に研究を進めていましたが、事業の失敗と同時に研究の継続も難しくなりました。そして、1916年にドイツ軍に徴用されたという記録を最後に、残念ながら行方知れずとなってしまったのでそうです。

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。