世界中で開催され、人々の心を惹きつけてきた競馬。

とは言え、どれだけ長い歴史を刻んでも、どんなに優雅で華やかでも、ギャンブルだと眉をひそめる人が多いのも事実。

馬は好きだけど、賭けはしない!というのは万国共通の常套句です。

そんな中、国を挙げて競馬を盛り上げてきたのがオーストラリア。

「The race that stops the nation = 国を止めるレース」としても知られるメルボルンカップの開催日は、なんと祝日!! メルボルンを含むヴィクトリア州では、今も11月の最初の火曜日をMelbourne Cup Dayの祝日と制定し、大人から子どもまで、誰もがビッグレースの行く末を見守るのです。

実は、オーストラリアの競馬こそ、イギリス連邦の象徴。19世紀初頭、イギリスによる植民地化が本格するや否や、間も無く彼らは新天地でも競馬を催したのです。

長い間、地理的に隔離され、厳しい自然環境に閉ざされ、独自の生態を繋いできたオーストラリアに、初めてヨーロッパ人が到達したのは1606年のこと。大航海時代も後半に差し掛かり、高い航海技術と探究心で未開の地を探り当てたのは、オランダ人のウィレム・ヤンツ(=Willem Jansz)でした。

ところが、オランダは入植を諦めます。その後、150年以上の歳月を経た1770年、イギリスの英雄・クック船長(=James Cook)が、時の国王・ジョージ3世(=George III)の名において、東海岸一帯の領有を宣言しました。

その後、オーストラリア全土がイギリス領となったのは1828年ですが、競馬はそれ以前、1810年に初めて開催されたという記録が残っています。

領有宣言からわずか40年。当然のことながら、新地開拓に必要不可欠だった馬は、人々にとって身近な存在であり、馬がいれば競わせて見たくなるのが人の本性。

さらに、本国でも花盛りの競馬が、娯楽の少ない新大陸で行われるとなれば、老若男女が挙って夢中になるのも無理はありません。

ニューサウスウェールズ州・シドニーで始まったオーストラリアの競馬は、領地拡大と同時に、瞬く間に広く普及していきました。

そして、入植から100年あまり。1861年に創設されたのが、ヴィクトリア州でのメルボルンカップでした。整備された競馬場、統制されたルール、そして血統管理の下で行われる近代競馬は、新天地でも大人気。年齢や職業、階級を問わず、入植者の半数以上が競馬の虜になったとも言われ、1877年、ついに祝日と定められました。

150年続く2マイルのハンデ戦。昨今、オーストラリアだけでなく、世界的にも3,000メートルを超えるレースへの人気が劣える風潮にあっても、メルボルンカップの人気や知名度は格別。

レースに先立ち、1週間以上前から行われるメルボルンカップカーニバルでは、町中がお祭り騒ぎ。カフェもバーもレストランも、デパートでもショップでも、軒並みメルボルンカップに因んだイベントを開催すれば、競馬場ではメルボルンカップに並ぶ数々のビッグレースを実施。

こよなく競馬を愛する人も、それほどでない人も、この時期ばかりは競馬、競馬、競馬。世界中から訪れる競馬ファンと共に、メルボルンカップデーを祝うのです。

今や競馬の一人当たりの投資金額ではイギリスをも凌ぐと言われ、競馬場の数は世界一。広大な大地を活かし、馬産も盛んに行われ、サラブレッドの生産頭数は世界第2位。

イギリス発祥の近代競馬を踏襲しただけでなく、世界有数の競馬大国へと成長を遂げたオーストラリア。その繁栄の歴史を今に伝えているのがメルボルンカップなのでしょう。

余談ですが、159回を数えるメルボルンカップの歴史に「日本」を探してみると、目に止まったのが2つ。

一つは2006年、第146回メルボルンカップを制した「デルタブルース(=Delta Blues)」。彼はこの年のオーストラリア最優秀ステイヤー(長距離馬)にも選ばれ、その名をオーストラリアの競馬史に残しました。

もう一つは2018年からタイトルスポンサーに掲げられた「レクサス」。トヨタのブランド戦略に競馬が一助となる?! 

もう一つの余談。恥ずかしながら、私はメルボルンを訪れて初めて、クック船長の生家がメルボルンにあることを知りました。その名も「クックス・コテージ」。

そもそも、クック船長についても、知るは名ばかりで、日本人の私にとっても耳障りの良い響き「キャプテン・クック」。イギリス人?!という程度の疑問を抱えつつ、聞けば1934年にメルボルンの100年祭を機に、イギリスから移築されたのだそうです。

ただし、クック船長の生家ですから、正確にはクック船長のご両親のお家。現在は、当時の生活を垣間見れるように、記念館として公開されています。

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。