名馬・ディープインパクトの訃報は、あまりにも突然で、悲しいものでした。

国内のメディアでは特に大きく取り上げられ様子で、ちょうどヨーロッパに滞在中の私の元にも方々からご連絡を頂きました。同時に、ヨーロッパでも競馬関係のメディアが挙って哀悼の意を唱えると共に、改めて生前の彼の活躍を讃えていました。

競走馬としても、種牡馬としても強く、優秀だったディープインパクト。

彼の活躍については、もう既に知れ渡っています。

それでも、こうして彼の死に際して伝えたいのは、日本のホーススポーツにおいて、彼は唯一、世界から求められる存在だったということです。

私が馬のジャーナリストとして、世界最高峰の舞台で活躍する馬たちの姿を追いはじめた当時、競馬といえども日本は「挑戦者」でした。もちろん、過去に秀でた成果を収めた数頭の実績もありましたが、特に長い歴史と伝統を誇るヨーロッパでは、遠く東の果てからやってくる健気な挑戦者だったのです。

そんな中、関係者やファンの期待を一身に背負い、ディープインパクトが凱旋門賞を走ったのは2006年のこと。残念ながらその頂には手が届きませんでしたが、それでも、小さな身体をいっぱいに使い、懸命に走る彼の姿はヨーロッパのみならず、世界中の人々に大きな衝撃を与えました。

さらに、種牡馬となり次々と名馬を輩出するようになると、彼への注目はますます高まります。そしてついに、彼の遺伝子を求め、世界から日本へと客人たちが足を運ぶようになったのです。もちろん、過去に同じような事例が無かった訳ではありません。けれども、高値で取引されるディープインパクトの仔馬に大金を投じたり、ディープインパクトと交配させるために、優秀な牝馬を日本まで連れ出したり、血統を重んじるホーススポーツにおいて、よもや自分たちが日本の血を求めるとは、誰も思ってもいなかったことでしょう。

競馬を専門としない私にもディープインパクトの影響は大きく、ヨーロッパをはじめ競馬の盛んな国々で開催される世界屈指のレースを取材する機会を得ると、現地では必ず、日本馬・ディープインパクトの名が話題に上がるのです。それも、彼らの方から憧れや理想を抱いて語ってくれるのですから、何とも誇らしい気持ちになったのは言うまでもありません。

奇しくもヨーロッパで訃報に接し、その反応を目の当たりにした今、振り返ればディープインパクトはまさに、日本の”地位向上”の立役者でした。そして、その移り変わりの一片を実感し、伝えられたことに幸せを感じています。

ありがとう、Deep Impact。

 

MILKY KORA

馬ジャーナリスト / Maraque編集長。京都生まれ。
幼い頃から馬術を嗜み、乗馬専門誌の編集を経て馬ジャーナリストとして独立。2010年に世界最高峰のホーススポーツを伝えるEquine Journal Maraqueを、さらに2014年にはより専門性の高いMaraque for Professionalを創刊。現在は日本で唯一のホーススポーツ専門誌として発行を続ける傍ら、ライダーのマネジメントや馬イベントの開催など馬に関する幅広い活動を行っている。