1942年、海軍がこの島を基地とした事から、ニューヨークの投資家たちの栄華に溢れたリドークラブはその華麗なる歴史に幕を閉じました。

かつてホテル&クラブハウスだった五階建ての建物がコンドミニアムとして残りその栄華を伝える中、戦後、1948年にかつてコースがあった土地の東側にR.T.Jones Sr設計の市営のパブリックコースが完成しました。

リドーゴルフコースと名称はされても、それはかつてのリドークラブのコースを復元したものではなく、Jones Sr設計によるパブリック向けに造られた作品です。

 

リドークラブがゴルフ史家たちによって伝説化されていく中、赤いハードカバーでC.B.Macdonald(1855-1939)の痕跡を伝える24ページの記事と写真、それは購入者自身がMacdonaldとの思い出を付け足していけるカスタムメイド式のアルバム本「The Evangelist of Golf (ゴルフの伝道師)」が発見されました。著者はスコットランド出身のHenry James Whigham。彼はMacdonaldの義理の息子であり、Macdonaldが設計や顧問として関わったクラブのメンバーでもありました。リドーの開発にも関与され、彼の文筆家としての能力は後にTown & Country誌の編集長兼創設者の一人になったほどです。

米国ゴルフ界の父と称されたMacdonaldへのオマージュとしてリリースされたこの本は彼が亡くなった1939年か1940年に発行されたとされ、その著の中にはスコットランドから米国に移住したMacdonald家の華麗なる歴史も記されています。

 

* 右から二人目がC.B.Macdonald その向かって左側の紳士がH.J.Whighamである。提供John Sabino

* C.B. Macdonald

 

オンタリオ州ナイアガラフォールズで生まれ、後にシカゴの富豪の子息として育ったC.B.Macdonaldですが、父はスコットランドのアーガイル地方の出身の名士で、祖父ウィリアムが住んだキンタイヤ半島(Kintyre)の大邸宅の地は、バリーシェア(Ballyshear)と呼ばれていました。そしてC.Bは自らが設計し生涯のホームコースとして愛したニューヨーク州ロングアイランドの名門ナショナルゴルフリンクスの向かいの森に建てた豪邸をバリーシェアと名称しました。

当時C.B宛への手紙はBallyshear, Southampton NYで届いたというのですから驚きです。

この35エーカーの敷地を誇る大邸宅は2011年当時ニューヨーク市長だった大富豪Michael Bloomberg氏が購入しています。現在大庭園の中にはGil Hanseが彼から依頼され造成した2つのショートホールもあります。

そんな事から、現在タイのバンコック郊外でGil Hanse設計アドバイズの下、造成中のリドーのインスパイアコースの名称もBallyshearの名を借りています。これについては後ほど詳しく解説しましょう。

* NY州Long IslandにあるBallyshearの大邸宅。

 

さてEvangelist of Golfの著者H.J.Whighamはゴルフ以外で、ペルシャ問題(1903)、満州と韓国(1904)、ニューディール(1936)など、ゴルフとは無縁の政治的メッセージの本も何冊か出版しています。

 

現代のゴルフ史家やコース設計家たちからC.B.Macdonald/Seth Raynor研究家の第一人者として崇められてきたGeorge Bahto(1931-2014)は、National Links, Chicago GC, Sleepy Hollowなど、これまで彼らが残した名作のコース修復、改良に多大な貢献をされてきました。

 

* George Bahtoと筆者

 

また彼が2002年に出版した現代版「The Evangelist of Golf」は、Macdonald&Raynorの設計理論、哲学に纏わるコンテンツを作品ごとにすべて紹介し、その中の一つとして詳しく書かれていた現存しない幻の名コース、リドークラブの研究資料とその論説は、ゴルフコースに関わる者たちにファンタジーな世界を描かせるキッカケともなったのです。

著 George Bahto

Bandon Dunes Golf Resortの開発などで、一躍米国ゴルフ界に名を馳せたMike KeiserもこのBahtoの著に、リドーへのロマンを描いた人物の一人でした。

Keiserはごく一般家庭で生まれ育ち、大学卒業後、長い下積み生活を経験しながらシカゴで再生紙事業に成功し、グリーティングカードにおいてはその業界のトップに躍り出ました。

 

そして1995年に入り、長年の夢であったゴルフ場事業に着手し、96年市の自然保護区に囲まれたBandon Dunesの壮大な砂丘地帯に巡り会い、ノースベント市の再開発計画も相成って、Bandon Dunes Golf Resortの開発に乗り出します。第一コースにはまだ無名だった弱冠26歳のスコットランド人設計家David M. Kiddを採用し、その2年後に開発した第二コースには当時新鋭の設計家として売り出し中だったTom Doakに依頼、何とこの二つのコースが立て続けに世界TOP100コースの上位に選出されたのです。当時話題となったのはコースの内容だけでなく、開発にかけた資金でした。彼が1コースにかけた開発コストはコース設計料も含め僅か350万ドル、予算のかかるUSGA方式のグリーンの床構造体は採用せず、リンクスランドの良質な砂とピートを混合し固めただけのPushed Up Green工法に挑戦、それは戦前のクラシックコースのグリーン造成と同じでした。当時Jack NicklausTom Fazioの設計料が200万ドルとも言われていた時代です。

* Mike Keiser、彼の人を思いやる暖かい人間性に多くの人たちが引き寄せられていく。

 

クラブハウス、ロッジなど含めたリゾート全体の開発にはシカゴとニューヨークの名士達19名がファンダーメンバーとして名を連ね、Keiserは彼らの為だけのプライベートコース、Sheep Ranch Courseを計画、その設計と造成を第二コースであるPacific Dunesを設計したTom Doakと彼のパートナーだったJim Urbinaに任せました。

Doakのアイデアから1世紀以上前の名門Prestwickのオリジナルとなる12ホールのレイアウトを含む18ホールコースをBandonの砂丘地帯に再現させたのです。

数十頭の羊も放牧し、彼らにバンカーを造らせるオールドリンクスのアイデアはKeiser本人が考え出したものでした。コース管理もあえて片手間にさせ、メンバーたちが入り込めば、そこは19世紀のリンクスコースと同じ光景、その条件に近いものを演出したのです。

* 2002年当時のSheep Ranch Course

 

その後、Keiserは豪州タスマニアにBarnbougle Dunes、及びカナダでのCabot Linksでの共同開発者として参加、その全てが成功し、Mike Keiserの名は全米に知れ渡ります。

* Cabot Linksではコース設計の基盤となるレイアウト、ルーティングプランにも参加する。

 

Bandon Dunesで第三コースが計画され、Bill CooreBen Crenshawのコンビに設計を依頼し、その造成が進む中、第二コース(Pacific Dunes)の北側の海岸線に開発許可が降りて第四コースの計画へと入っていきます。そこでKeiserは夢にまで見たリドーのコース再現をTom DoakJim Urbinaの二人に提案します。Urbinaはそれに賛同しますが、Doakは自然の砂丘の高低差を壊してまでもリドーを再現するべきか?と疑問を投げかけます。そこでKeiserMacdonald研究の第一人者であるGeorge Bahtoに相談し現地を視察してもらう事にしました。しかしBahtoの出した答えもノーでした。リドーは人工的に作られた起伏の丘以外はほぼフラットな条件に埋め立てられたコースであり、それをこれほど優れた砂丘の大地を崩してまで作る理由もないとKeiserにアドバイズしました。やや打ち拉がれるKeiserBahtoは一つの提案を出します。「リドーにあった18ホールのMacdonaldのテンプレートホールの設計コンセプトをこの大地に描けばいい、見た目はリドーのコースとは違うかも知れないがホール攻略法の定義をインスパイアすれば、イミテーションを作るより価値はあるはずだ。」そしてDoakUrbinaならばそれが出来るはずだと述べ、Bahto自身もアドバイザーとして造成チームに加わることを約束します。

Doakが設計し、Urbinaが造成の全てを担当する。Urbinaはリドーがあった場所を幾度も訪問し、Bahtoが提供するその資料からリドーのテンプレートホールの全てを徹底研究します。しかし砂丘の高低差をそのまま活かしたいと願うDoakの強い信念からリドーにあった幾つかのホールは諦めざるをえなくなり、他のMacdonaldの作品から本場リンクスと繋がる名ホールのテンプレートを代わりに使うことになります。そしてこのコースの名称はOld Macdonaldと名付けられました。何とクールなネーミングでしょうか。

 

Old Macdonald  Hole紹介

* 7番のOceanホールだけはDoakのオリジナル設計となったが、LidoにもあったOcean の名称でタフなBiarritz ホールをリスペクトしてのアイデアだ。

 

*完成後 試打をするJim Urbina

 

Old Macdonald  Hole紹介

*#3 Sahara

#5 Short

#6 Long

#8 Biarritz

#10 Bottle

* #12 Redan Hole

 

Old Macdonald  テンプレートホール名称。

 

#1 PAR 4  Double Plateau

#2 PAR 3  Eden

#3 PAR 4  Sahara

#4 PAR 4  Hog’s Back

#5 PAR 3  Short

#6 PAR 5  Long

#7 PAR 4  Ocean

#8 PAR 3  Biarritz

#9 PAR 4  Cape

 

#10 PAR 4  Bottle

#11 PAR 4  Road

#12 PAR 3  Redan

#13 PAR 4  Leven

#14 PAR 4  Maiden

#15 PAR 5  West Ward Ho!

#16 PAR 4  Alps

#17 PAR 5  Littlestone (LidoChannel Hole)

#18 PAR 4  Punchbowl

 

PAR 71  7,152 yards.

 

* 中央にMike Keiser, 写真に向かって右に長男Michael Jr, 左に次男Chris Keiser

 

Mike KeiserにはMichael Jr と次男のChrisの二人の息子がいます。

彼らは学生時代から父を通してゴルフに精通しビジネスの修行を積んできました。Chrisは芸術分野でも才能を持ち、カレッジでは宗教学にも関心を持ちました。Keiserは長男のMichael Jrにはコースへの見識とマネージメントを学ばせる為に異国の地Barnbougle Dunesで修行をさせました。彼はBarnbougleを訪れる専門家たちからコースに関する多くの見識を植え付けられていきます。そしてBarnbougleDunesの第二コースとなるLost Farm Courseの開発では息子を担当に就かせ、設計者であるBill CooreBen Crenshawからゴルフコース開発について学ばせます。次男Chrisに関してはBandon Dunesでスポンサーであるケンパースポーツとの商品ビジネスにタッチさせるスーパーバイザーのポジションを与えます。兄とは全く別のポジションで修行を積ませます。そして2015年ウィスコンシン州のSand Valley Resortの開発に入って全てが軌道に乗った時、Keiserは二人の息子にマネージメントの全てを託します。そして自身は次のプロジェクトとして本場スコットランドの名門ロイヤル・ドーノッホ(Royal Dornoch)に隣接する土地の開発権利を得て、認可に相応しい新規のプロジェクトに入っています。

* Sand Valley Golf Resort

 

Sand Valleyは第一コースの設計をBill Coore & Crenshawのチームに, 次の第二コース(Mammoth Dunes)の設計はBandon Dunesでも馴染み深いDavid M. Kiddが担当し開発が進められました。現在どちらも全米のTOP100コースに選出されています。そして長男Michael Jrが第三コースの計画に入った時、その設計者をコース理論の師と仰ぐTom Doakに依頼しました。そしてMichael Jrが依頼した一つの願いにDoakは感銘を受けます。「コース用地は狭いがルーティング、レイアウトの構想で名コースは誕生する事を証明したイングランドの名門Swinley Forest GC(設計 Harry S. Colt & C.H Alison)の現代版を造る事は可能でしょうか?

第一、第二コースとは全く異なるコンセプトでの設計です。この第三コースの計画はすぐに地元メディアやコースマニアたちからも注目されました。しかしここで開発資金がショートしてしまう事態に陥り、コース造成は1/3を終えたところでストップしてしまいます。しかしMichael Jrはそのような事で怯むような男ではなく、次のビジネス戦略に出ます。街道を隔てたフラットな森林の用地を買収し、そこにはパブリックではないプライベートコースの開発プランと都市圏からは僻地にある立地条件を考慮し、メンバー用のビッラなどの不動産開発に乗り出します。そしてMichael JrDoakに持ちかけたプランが「ここにゴルフ界の失われたアトランティス、リドーゴルフクラブを再現してください。それは父の夢でもありました。リドーをSand Valleyのこの地に再現できるならば今の状況は一変します。」

 

Michael Jrの号令のもと、計画は一気に進み始めます。それまでのパブリックリゾートではないプライベートコースと住宅地を併合しての開発、リドークラブの再現にかけるKeiserの息子たちの野心に投資家たちは大いなる期待を寄せてきました。

シカゴでIT関連事業や困窮した銀行の買収に焦点を当てたコンサルティング会社を経営し、趣味の写真から始まったバーチャルリアリティなデジタル画像など幅広い分野に才覚を発揮するPeter Floryがこのチームに加わった事はメディアへのプロモーションに強い味方となりました。

*Lido  4番 Channel Hole   3D画像

 

彼は銀行とのビジネスが数年前から減速し始めた事からデジタル画像でゴルフコースを設計する事に夢中になっていました。

彼は古いコースに強い関心を持ち、デジタル画像でそれを開設時の姿にフィードバックしてデザインする事もしました。そして彼はゴルフ史家の永遠のロマン、リドークラブの再現にも挑戦します。

しかし彼はコースが実際にどのようなものであったかについて断片的な感覚しか持っていませんでした。そこで当時の資料、雑誌記事、写真を出来るだけ集め、更にゴルフクラブアトラスの研究家メンバーたちに彼らが持っている資料を求めました。

最終的に、彼はリドークラブのデジタル設計をするに十分なデータを蓄積し、その情報をゴルフクラブアトラスのMacdonald研究家たち共有し、仕事を進めていきます。彼はそこから3D形式で見ることを可能にする画像のデータを取得していきます。

Michael JrChrisの兄弟はこのFloryとの出会いがプロジェクトを決断する上で最大のキーだったと述べます。

リドーをより正確に復元する為にFloryの存在は、かつて父MikeKeiserOld Macdonaldの開発でアドバイザーに置いたGeorge Bahtoに匹敵するものでした。

*Lido at Sand Valley  3番 Eden hole  3D画像

 

MichaelPeter Floryを実際の設計を担当するTom Doakに紹介します。

リドーの名をキャッチコピーに使う以上、コースはリドーを忠実に再現したものでなくてはならない。ルーティング、レイアウト、地形の高低差、etc

DoakOld Macdonaldでも述べたように本物を再現するならば徹底した分析が必要であることを述べます。しかしFloryから送られてきたデータとその画像を見た瞬間、彼は驚嘆し、コース設計家としてこのプロジェクトに100%の自信を持てるようになります。

Michaelもこの画像と資料からリドーを学べば学ぶほど夢中になっていきます。

しかし一番の問題点は僅か113エーカーのフラットな埋立地に作られたリドーを現在の高弾道の飛距離に対抗させるには、そのレイアウトは危険球を生む可能性があることです。

Doakはグリーン、フェアウェイ、ティはオリジナルとまったく同じになり、Flory3D画像から細かな起伏、ティから見たラグーンの景観なども再現できるが、ホール間の間隔を多少持たす必要が出てきます。更に7,000ヤードを少し超えるトータルヤーデージを満たすために幾つかのホールにバックティを追加する案もあります。とそのプランを語ります。

*Lido at Sand Valley  手前から14番G, 13番G, 5番G   3D画像

 

Michaelはメディアに対し、「現代のリドーはオリジナルと同じように高い戦略性を持ちますが同時に強いペナルを与えるコースになるでしょう。それはこれまでのSand ValleyのコースやOld Macdonaldにはないテイストになるでしょう。」と述べます。

*Lido at Sand Valley 左18番G, 右7番G  3D画像

 

The Lido at Sand Valleyはプライベートコースですが、Sand Valleyのロッジに宿泊し、第一、第二コース(Manmmoth)をプレーしたゲストには、午後からのティタイムが提供されます。

9ホールの仮オープンは2022年、18ホールの完成は2023年になる予定です。

丁度コロナが100%収束するでしょうその時期に、ゴルフ界のアトランティスと言われた永遠のファンタジー、再現されたリドークラブは我々の前にその全貌を現します。

*Lido at Sand Valley 18ホールレイアウトと住宅開発予定地区

 

尚、先ほどお話したタイのバンコック郊外で今年9月オープン予定のリドーのイミテーションコース Ban Rakat Club “Ballyshear Course”は、リドーのホールを再現はしていますが、ルーティングはアウトとインを用地の左右にはっきり分けており、レイアウトの構成もオリジナルとはやや異なるようです。これはDoak113エーカーの狭いオリジナルのレイアウトを懸念したのと同じように、設計を担当したGil Hanseもならばアウト、インの用地をはっきり分けて危険球のない安全策を取ったのでしょう。ただアジアのタイで失われた名コース、リドーの価値をどう伝えていくのか、その開発への歴史的価値をどのように伝えていくのでしょうか? 米国のコースマニアたちがタイに米国ゴルフ界のアトランティス、リドークラブのイミテーションが出来ることにどう感情を持つでしょうか。ウィスコンシンのSand Valley100%オリジナルに忠実なコースが造られるならば、彼らの関心はどれだけタイに向くでしょうか。尚、このクラブの共同オーナーは日本の横浜CCです。

* BanKarat Club “Ballyshear”  Thailand

* Lido Club オリジナルレイアウト図

 

 

Text by Masa Nishijima

Photo credit by Larry Lambrecht, Ben C Dewar, John Sabino, George Bahto, 

Masa Nishijima, Peter Flory , GOLF Digest. GOLF.com