No.13 リオオリムピックゴルフの真実。PART 1
リオデジャネイロ(以下、リオ略)のゴルフ史は意外に古い、ブラジル最古のコースは、日系4世等も多くメンバーに在籍されるサンパウロGC(Campo de Golfe Sao Paulo)で、1915年の設立である。次がリオのガヴェアG&CCで、クラブ設立は1920年、鐵道会社のオーナーが発起人となってリオデジャネイロゴルフ倶楽部を設立したが、コース建設の認可が降りる用地がなかなか見つからず、民間団体の反対などもあり、25年に現在のGavea地区に用地を見つけ建設した。完成は翌年の26年となる。当初は現在の用地の山側に6ホールだけであったが、31年に18ホールに拡張された。戦後、海岸沿いの用地を手に入れて、トーナメントコースに大改造される。Up and Downの地形の中、そのユニークなレイアウトは、現在でも南米のTOP10コースに評価されている。
Gavea G&CC
ガヴェアに続き、1935年にイタニャンガGC(Itanhanga GC)が開場する。ここは高級住宅地イパネマの北に位置し、1933年にポロクラブ設立がその始まりであった。従って、広大なその土地には27ホールのコースとポログランドがある。夕刻にはリオのセレブたちが敷地内を乗馬されている光景を目にすることができる。設計はバンフスプリングス、ハイランドリンクスなどの作品で知られるスタンレー・トンプソンである。ロバート・トレント・ジョーンズSRが若かりし頃、トンプソンのパートナーとして設計学を学んだことは意外に知られていない。
Itanhanga GC
JOCやJGAから発信されたリオのゴルフ事情は、その歴史の説明はともかくとして、この二つのクラブの存在だけを伝えていたと思う。実際に当初リオオリムピックゴルフはこの二つのクラブで、男女分けて開催される予定だった。この辺りの実情は後に解説したい。実は、リオ市内にはもう一つゴルフ場がある。それはイタニャンガGCから、オリムピックコースに向かうその途中、バーハダチジュカ(Barra da Tijuka)のマラペンディ運河の東端、何と海外沿いの住宅&ビル街に囲まれた中にある。ゴールデングリーンGC(Golden Green Golf Club)は、1995年にリオデジャネイロゴルフフェデレーションが、一般ゴルファー及びジュニアゴルファー育成の目的の為に設立し、誰もがゴルフレッスンを受けられ、誰もがプレーできる6ホールのパー3コースを備えている。ブラジルで最初に設立された真のパブリックコースである。池も絡めた素晴らしいパー3コースである。
Golden Green Golf Club
この存在があるにも関わらず、リオ市長は、オリムピックコース完成式典の場で「これまで市には二つのプライベートコースしかなく、一般市民はゴルフに触れることも出来なかったが、ここに市が20年の運営権を持ったパブリックコースが完成し、市民の誰もがオリムピックのレガシーを引継ぐことができ、ショートホールを備えたその練習場はビギナーを育てていくだろう。」集まったプレスに対し、こんなスピーチの内容だった。しかし地元メディアの中で、このゴールデングリーンGCの存在をぶつける者はなく、むしろ何故にホテルだのコンド、ビッラの建設計画があったり、一体リオの一般市民の誰がこんな立派なコースをプレーするのか?の質問に及んだ。それほどカリオカ達(リオ生まれリオ育ちの者たち)にとって、ゴルフは無縁なのだ。彼らは金のかからないサッカーやビーチヴァレー、サーフィンボードを楽しむ。メディアたちはこのオリムピックコースの建設費用が、賄賂や利権で無闇に高騰していく中、地元有志たちだけでない、海外からの某財団からの資金提供があったことなどその噂の真相を追求していった。元々は絶滅危惧種の動植物が生息する環境保護地区とそのBIOセンターがあった土地が、環境保護を唱える市民団体の反対も押し切り、オリムピックを理由にしたゴルフ場建設予定地になったのだから、リオ市民の心は穏やかではなかった。 …Continue
MASA NISHIJIMA
ゴルフコースコメンテーター&コースアドバイザー。東京生まれ。
明治大学卒業後、米国留学。
ドン・ロッシーの元でゴルフコースのクラシック理論を学ぶ。
現在まで世界56カ国2300コース以上を視察。
1989年より、米ゴルフマガジン誌世界トップ100コース選考委員会に所属。
1991年から2015年までは同委員会の国際委員長を務める。
「ゴルフコース好奇心」,「ゴルフコース博物誌」「The Confidential Guide 」などの著書もある