5. レダンホールとは。

名門ノースベーリックが伝えたもの

ティーインググランド(以下ティの略)からフェアウェイを対角線に捉えるダイアゴナルなレイアウトは、コース設計家がプレーヤーの飛距離に対抗する手段として、風の効力も活用する戦略性あるアイデアのひとつです。
しかし20世紀初頭までのリンクス時代、ダイアゴナルなラインはグリーンを狙うアプローチショットに重点が置かれていました。それを発案したのが当時、コース設計界の巨匠と称えられたハリー・コルトです。彼の描く砲台グリーンの美しさに、人はコース設計のミケランジェロとも称えました。

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彼はグリーンのフロント(花道)を左右にどちらかに振り、その手前にバンカーを斜めに配置させました。これによって広くとられたフェアウェイでも、どの攻略ルートがグリーンフロントに対し正対するのか、それをプレーヤーの技術に求めました。仮に正対しない場所からグリーンを攻める場合は斜めに配置されたバンカー群がハザード効果を発揮します。
では、アプローチにダイアゴナルな理論を論説したハリー・コルトのアイデアはどこから生まれたのかを解説しましょう。
それはある名門リンクスコースのPAR3ホールから誕生しました。
スコットランドの名門、全英オープンの開催コースでもあるミュアフィールドから車で東に10分ほど走った海岸線にノースベーリック(North Berwick)という19世紀に開設された古いリンクスコースがあります。海岸線に沿って一つのループで構成されるこのコースは、他の名門と比べるとフェアウェイも狭く、一見何でもないただのリンクスコースにも思えますが、実は米国のゴルフ創世期において、聖地セントアンドリューズと共に、設計上、多大な影響を与えたコースなのです。ノースベーリックのいくつかのホールは、米国クラシックコース時代の設計の定義として引用されいます。

丸山も嘆いた難攻不落のパー3「レダン」

その中のひとつにレダン(Redan=要塞)の名称を持つパー3ホールがあります。(図1参照) グリーンはティから見て斜め45度角に配置され、その手前にバンカーがグリーンの配置角度と同じく並行して置かれています。グリーンセンターから後方部にかけて緩やかな傾斜が流れ、ピンがグリーン左サイドにきられた時に、ピンデッドに攻めれば打球はグリーンからこぼれ落ちるか、又は距離が足りなければ斜めに配置されているバンカーに捕まる設計になっています。つまりどこにピンが切ってあろうと右サイドのフロントラインを攻略ルートに選択し、2パット又は2ショット+1パットのパーセーブの攻めが、オールドマンパーの賢者が選ぶ道である事を唱えるホールです。またこのレダンのオリジナルとは逆に、クラシックコース時代には、グリーンとバンカーの配置を正反対にした逆レダン(Reverse Redan)の設計も、フェード系ヒッター(当時のゴルフではスライサーという言葉が適している)向けに発案されます。

©MASA NISHIJIMA, LARRY LAMBRECHT, GCA

日本の方に馴染みのあるレダンホールは、2004年全米オープンが開催されたシネコックヒルズの7番ホールでしょう。晴天が続き、固くなったグリーン面はボールが止まらず、ハザードへと転がり落ち、ボギーどころかダブルボギーを連発させた難ホールと化しました。日本人として健闘した丸山茂樹が、打つ手がない難攻不落のパー3と評したのは記憶に残るところです。

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6. パンチボウルグリーンとパンチボウルホールについて。

リンクスから伝えられたクラシック設計の中に、パンチボウル(Punchbowl)があります。パンチボウルの名称には、グリーン面がすり鉢状になるパンチボウルグリーンと、グリーンの周りを土手で囲み、グリーン面は縦の起伏が入り、一部に歪みを持つパンチボウルホールとがあります。
まずパンチボウルグリーンの元祖とは、リンクスの砂丘の谷間に配置されたグリーンで、その四方からの砂丘のスロープがグリーン面に流れ込み、交差するポイントがすり鉢状になったものを指します。

パンチボウルグリーン(Punchbowl Green)とは。

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【例1】四方から地形のSlopeが入り込み、Contourがセンター中心に集まっている。

【例2】グリーンの一部の面がすり鉢状になっている。

パンチボウルホール(Punchbowl Hole)とは。

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グリーン面がすり鉢状気味になるパンチボウルグリーンとは別に、周りが砂丘やマウンドに囲まれ、グリーンはプレーラインから見て、縦のコンターが入り、二分割にしているものをパンチボウルホールと表現します。もちろん周りからもスロープが入り込み、グリーン面のどこかにすり鉢状のポイントが生まれます。この図のように、縦長のグリーンの三方が、高い土手やマウンドで囲まれ、グリーンのContourはセンターよりに縦ラインで分割されています。

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又、四方が土手やマウンドで囲まれ、ブラインドショット及び、セミブラインドになるものは、デルホール(Dell Hole)と呼びます。

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これらパンチボウルの形状は、米国ゴルフ界の父C.Bマクドナルドにより、リンクス攻略の定義として確立され、レダン同様に、現代の設計家たちに最も活用されているクラシック設計のひとつとなっています。

7. アルプスホールってご存じですか?

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先が見えないブラインドホールは、ゴルファーにショットのイマジネーションを提供します。リンクスにはグリーンを狙うショットにおいて、それがブラインドとなる名ホールが沢山あります。第一回全英オープンが開催されたプレストウィックGCの17番ホール、グリーンを狙うアプローチは、小高い砂丘とバンカー(通称サハラ)を越えて打つブラインドショットが要求されます。このホールの名称がアルプスで、このブラインドホールは、後にC.B.マクドナルドによって米国に伝えられ、クラッシックコース設計のモデルになりました。1930年、C.H.アリソンが日本にやってきて、東京GC旧朝霞コース、広野GCを設計した際にも、アルプスと名称されたホールを造り、同様に彼は鳴尾のコース改造でも同じアイデアを提供しました。広野の6番ホールには、現在もそのアルプスを示す名残のマウンドが残されています。広野でのアルプスは、アプローチにブラインドショットを要求するものではなく、ティショットにおいて、二つの攻略ルートをつくり、そのひとつがアルプスのマウンドと奥のサハラバンカーを越えて打つショートカットルートでした。ティショットで、フェアウェイセンターから左サイドを横切る巨大なバンカーを越えるリスクルートを避け、安全なフェアウェイ右サイドを狙った者に、アプローチでグリーンサイドバンカーがショットルートをガードします。広野のアルプスホールで、アリソンは二つの攻略ルートをプレーヤーに選択させました。これは元来から伝えられたアプローチのすべてがブラインドとなるアルプスホールの理論とは異なり、むしろ砂丘の谷間を縫うようにレイアウトされたリンクスでは当たり前のように見られるホールレイアウトを、ゴルフ創世期の日本に伝えたものでした。このアリソンのアルプス理論からヒントを得た大谷光明は、現在の東京GCを設計した際に、14番ホールでそれを実証しました。14番ホールのフェアウェイ左手にはアルプスたる高いマウンドを設け、グリーン手前にはサハラと呼ぶに相応しい巨大なバンカー群を配置します。当時のドライバーの平均飛距離から、このマウンドを越えて打つ打球は、バンカー群の手前に落ち、最もグリーンが狙いやすいアプローチになったでしょう。逆にマウンドを避けるルートを選択すれば、アプローチの距離は長くなり、右サイドに配置されたバンカーに捕まる危険も含んでいます。14番は巨大なバンカー群だけが注目されているようですが、このホールもアリソンのアルプスホールにおける二つの攻略ルートを継承した名ホールなのです。アリソンと大谷のアルプスホールは、日本で最初に誕生したリスクと報酬(Risk & Reward)の理論を持つホールでした。

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8. ロードホールとは。

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St.Andrews Old Course #17

St.Andrews Old Course #17

ロードホールとは、皆様もよくご存知のセントアンドリューズ17番がオリジナルです。
(ホールデータSt.Andrews Old Course #17 Road 455yrds PAR4)
オールドコースの17番はPAR4でありながら右ドッグレッグのポイントから横長のグリーンが配置され、グリーンのフロント面は右サイドを向いています。そしてグリーン手前中央には一打で脱出することも困難とされる有名なロードバンカー(別名トミーズバンカー)があり、グリーン奥は道路となっています。ホテルの脇をターゲットに、ドッグレッグラインぎりぎりに攻めれば、2打目はグリーン右のフロントラインから攻めることができますが、ティショットがセンターから左サイドにいった場合、幅もなく固いグリーンをデッドに攻めるのではなく 、左右にレイアップする手段を選択するトッププロたちも多い。つまり2ショットホールが基本となるPAR4であっても、3ショットを余儀なくされるホールです。オールドコースの17番は、よほどアプローチの条件が整わない限り、プロであっても2オンを避けるパー4です。僅かなミスが、ボギー以上のスコアを叩く結果となります。
世界有数のロングパー4として、プロにとってもいまだに難攻不落なホールのひとつです。ハザードをターゲットに、自らの技術にあったティショットの攻略ルートを定め、バンカーでガードされた小さな横長グリーンを、正面左右からどのように攻めるか? このロードホール攻略の理論は、ロイヤルリバプールなど、あらゆるリンクスコースにも活用され、更に米国ではC.Bマクドナルドがナショナルリンクスオブアメリカの7番で、その攻略理論を伝えました。

以上、これが8つのクラシックコース設計のプロトタイプホールの全容で、これを基本にして、枝葉のように16、そして32の設計理論が誕生していきます。
ゴルフコースの設計で、32のクラシック理論から外れた発想で造られたホールは、よほど用地の条件に満たされたホールでない限り、高い評価にはなりえません。トム・ファジオという設計家をご存知かと思います。ピート・ダイと共に、80年から90年代にかけて、モダンコース時代をリードされてきた名匠のひとりです。
彼のホール構成の創造性は他を圧倒するものがありました。その美観性に、「グリーン上のダイヤモンドカッター」と称賛したほどです。更に彼は、予算が掛かり過ぎるモダンコースの造成法を、少しでも昔の素朴なスタイルに戻そうと、名手ベン・クレンショウやビル・クーア、トム・ドォーク等と共に考案した人物でもありました。90年代半ばには、ゴルフマガジン誌世界TOP100コースに、8つものオリジナル作品を登場させました。ライバルとも言われたピート・ダイの7作品を凌ぐ数です。しかしTOP100コースランキングが、30周年を迎えた2015年、世界ランキングにファジオのオリジナル作品はひとつも残っていなかったのです。ゼロです。(驚)
対照的にピート・ダイの作品はすべてTOP100の地位をキープしたままでした。この両者の作品に起った評価の明暗とは一体何だったのでしょうか? 誰が見てもトム・ファジオのコースは素晴らしい、美しい、落ち度が見当たらない、しかし彼の設計への創造性は、クラシックのプロトタイプの領域を遥かに超えてしまっていたのです。すべては彼の類い稀な才能とその感性がそうさせたのでしょうが、そこにクラシック理論をルーツにした攻略理論は見当たらなかったのです。逆にピート・ダイは、C.Bマクドナルドの理論とセス・レイノーの造成、形状スタイルを、現代のゴルフにマッチさせるための進化を求めていきました。
彼のトーナメントグリーンはまさにその一例でありますが、メジャー大会が開催されるあのTPCソウグラスやキアワ、ウィスリングストレイツのように、難ホールが幾つも続くコースであっても、その攻略理論はストロークの距離を伸ばしたに過ぎません。つまりそれらのホールはどのようなクラシック理論に基づき、自分たちに攻めさせる事を要求しているのかが、見識あるゴルファーたちには、一目瞭然に理解出来るわけです。
8つのプロトタイプホールから生まれ、進化した32のクラシック理論、日本のゴルファーたちも、そろそろ学ぶ時がきたように思います。

 


MASA NISHIJIMA

ゴルフコースコメンテーター&コースアドバイザー。東京生まれ。
明治大学卒業後、米国留学。
ドン・ロッシーの元でゴルフコースのクラシック理論を学ぶ。
現在まで世界56カ国2300コース以上を視察。
1989年より、米ゴルフマガジン誌世界トップ100コース選考委員会に所属。
1991年から2015年までは同委員会の国際委員長を務める。
「ゴルフコース好奇心」,「ゴルフコース博物誌」「The Confidential Guide 」などの著書もある