連載 Golf Atmosphere No. 100/第151回 全英オープン特集
本年度最後のメジャー大会、全英オープン(The Open )が始まります。
第151回を迎える今大会の会場は北イングランドの港町リバプール近郊にあるロイヤル・リバプールGCでの開催となります。1869年に最初の9ホールがリバプールハントクラブ競馬場の周りに造られて、その地名から登録名はホイレイク(Hoylake)GCとなりました。
1871年当時ゴルフ好きだったコノート公アーサー王子の後援によりロイヤルの称号を受け18ホールに拡張され、ロイヤル・リバプールと名称されるようになりましたが、英国ではゴルフクラブの登録名は地名をつけているところが多く、ゴルファー達はここをホイレイクと呼ぶのが通常です。例えば同じ全英開催コース、ロイヤル・セント・ジョージス(Royal St. George’s)も一般的には地名からのクラブ登録名サンドウィッチGCと呼ばれています。
ホイレイクでは1897年に初めて全英オープンを迎え入れてからこれまで12回開催されています。
1967年44歳のアルゼンチンゴルファー、ロベルト・デ・ヴィチェンツォ(Roberto de Vicenzo)が−10アンダーでジャック・ニクラウスを2打差で破りチャンピオンに輝い大会後、ホイレイクはメジャー大会に相応しいコースの施設、整備、ギャラリーウェイの狭さ、更には駐車場を含めたインフラがないと判断され、全英オープンのロータから外されました。
ビッグバンから金融経済の回復を取り戻し、好景気と共に米国資本がゴルフ場に入り始めると、スコットランドリンクスとてコースメインテナンスの状況は一変し、著しい管理体制の進化を迎えました。ホイレイクも同様で、周辺の土地の権利購入に加え、コースのリノベーションを大幅に行い、全英に相応しいコースとしてR&Aの承認を得る事に成功します。
そして2006年全英オープンは39年振りにホイレイクに戻ってきました。優勝者は当時絶頂にあったタイガー・ウッズで、彼はドライバーを一度しか使わずに−18アンダーを記録し、圧倒的な強さで優勝、前回の2014年ではロリー・マキロイが−17アンダーで待望のクラレットジャック(全英オープンのトロフィー)を手にしました。
2019 年にホイレイクは創立 150 周年を祝い、伝統あるウォーカー カップ(英米男子アマチュア対抗戦)の誇り高き開催地となりました。 それはアマチュアゴルフ界の発展に貢献してきたホイレイクに相応しいイベントとなりました。
ちなみに女子の英米対抗戦カーティスカップも過去に開催されています。
ゴルフミュージアムのようなクラブハウス
アウターホール (Outer Hall)
全英オープンの3番と18番ホールの間にはかつて競馬場のレーストラックの痕跡が今も残され、トラック内は普段練習場ですが、大会期間中はここにパビリオンやショップ、給水所(ペットボトル廃止運動から)、飲食店などが設置されます。
ここでの競馬の歴史は1846 年から 1876 年までで、当時ビクトリア朝時代の主要なスポーツは競馬でした。 貴族階級と肩を並べるかのように中産階級が社会をリードしていく時代になって、彼らも貴族文化の遊びに触れたい思い馬に夢中になるのですが、それはまだ高価過ぎる遊びでした。その代りに登場してきたのが一般市民でも参加できるゴルフであり、その後に英国全土でクリケット、ラグビー、テニス、フットボール(サッカー)が続き、英国にスポーツ文化を根付かせます。
設立から僅か30年、ホイレイクで競馬が廃止になったのもゴルフの人気が高くなり、コースの拡張が必要となったからです。アウターホールでは競馬場時代の歴史がご覧頂けます。
インナーホール (Inner Hall)
ボビー・ジョーンズは史上最高のアマチュアゴルファーとして世界中で認められており、ゴルフ史の中でも最も語り継がれているゴルファーでしょう。
インナーホールにはボビー・ジョーンズコーナーがあり、1930 年にはセント・アンドリューズでの全英アマに勝利し、数週間後の 6 月にホイレイクで行われた全英オープンを制しました。ジョーンズはこの年、全米アマ、全米オープンも制し、年間グランドスラムを達成します。
ここでは当時の記録やオープンのプレゼンテーションが紹介され、彼の華麗なるスイング写真、1969 年の創設100 周年記念にジョーンズが送った手紙も展示されています。彼は冒頭に「私が英国で最初の競技ゴルフラウンドをプレーしたのはホイレイクであり、また最後のラウンドもホイレイクでした。」と執筆しています。彼の肖像画は階段の上に飾られています。
そしてホールにはジョーンズ以外にもホイレイクの歴史を飾った偉大なるアマチュアゴルファーたちが紹介されています。それはホイレイクがアマチュアゴルファーの本山としてR&Aとは別にアマチュアのルール規制を定めたところであることが象徴されています。
帝王ジャック・ニクラウスの願い。
ホイレイクがアマチュアの本山であることは、全英から引退を決意した時の帝王ジャック・ニクラウスの願いにも表れています。
2005年、R&Aでホイレイクが全英オープンの舞台として戻ることが決議されようとした時、その年にマスターズ大会と全英オープンから引退を決意していたニクラウスはR&Aの会長に「セント・アンドリューズでの大会は5年周期で開催されるのが望ましいし、私自身もプロゴルファーとしての引退の花道にホイレイクは相応しくないような気がする。」
やや遠回しに述べるニクラウスの願いにR&Aは応え、2005年にセント・アンドリューズ、ホイレイク復活の年を2006年に変更します。
ボール&ヒルトン(Ball and Hilton)
階段の左側のコーナーにはホイレイクが生んだ偉大なるアマチュア、ジョニー・ボール(Johnny Ball)とハロルド・ヒルトン(Harold Hilton)が肖像画と共に紹介されています。
1861年、当時クラブハウスが置かれていたロイヤルホテルのオーナーの息子としてホイレイクで生まれたジョニー・ボールは、1890年の全英オープンでイングランド系アマチュアとして初めて優勝しました。前回までの優勝者が全員スコットランド系のゴルファーだったことからイングランドでは地元ではヒーローとなりました。
また彼の 8 回のアマチュアチャンピオンシップのメダルも展示されています。ユニークなのはポニーに跨った軍服姿のボールの写絵。彼はボーア戦争に騎馬隊の一人として参加し、その時のポニーはクラブのメンバーたちから贈られたものでした。
キャビネットの右の展示はハロルド・ヒルトンです。
彼はミュアフィールド (1892 年) とホイレイク (1897 年) の全英で優勝しました。 彼はアマチュアでも 4 回優勝し、1911 年にはアメリカに渡り、同年の全米アマチュアでも優勝しました。彼はゴルフ作家としても著名であり、ゴルフコースの設計にも携わり、ゴルフ指導者としても活躍されました。
Michael Brownのゴルフ絵画展コーナー
19世紀後半にはメンバーの一人に風景画家マイケル・ブラウンがいました。
彼は1902年4月にホイレイクで行われたイングランドvsスコットランドの対戦風景を数枚の絵にしました。この2枚の絵には、初めて行われたこの大会に出場した選手たち全員が描かれています。後に彼の絵はスコットランドの保険会社の年間カレンダーにも使用され、その一部が最近オークションでとてつもない額で落札されたようです。
アマチュアコーナー(Amateur Corner)
1885 年に最初のアマチュア選手権がホイレイクで開催され、それ以来 17 回に渡りアマチュア選手権が開催されてきました。このアマチュアコーナーでは ホイレイクの受賞者の写真などが展示されています。
ヒルブレ・ルーム(Hilbre Room)
遠くにヒルブレ島を望むシックな雰囲気の部屋で、奥のキャビネットには1896 年の全英女子選手権で優勝したエイミー・パスコー(Amy Pascoe)の優勝メダルが飾られています。
偉大なるアマチュアゴルファー達の踊り場(Stairs and Landing)
この階段とその踊り場のポートレートは全英オープン覇者の偉大なるアマチュアゴルファー、ジョニー・ボール、ハロルド・ヒルトン、ボビー・ジョーンズの3人です。
1912 年当時のハロルド・ヒルトンのプレースタイルはジャケット、ネクタイで描かれています。ゴルフファッションの変化にも注目です。1930年のボビー・ジョーンズはセーターとネクタイだけで登場します。ここから英国もアメリカの影響を少しづつ受けていったのです。
2023年度全英オープンに向けたコースのリノベーション
ホイレイクのリンクスランドは他のオープンコースと比べ、巨大な砂丘地帯を縫うようにプレーするのではなく、高低差僅か8mのフラットな地形にあります。
かつてレーストラックだった痕跡を残す土手の外周にレイアウトされた18ホールにはブラインドとなる箇所が数箇所あります。またその土手やバームの尾根は用地内に拘らずOBゾーンを作り出しています。
1967年の大会ではOut In 共にPAR36のトータル6,995ヤードとほぼ7,000ヤードに届く距離は当時まだ珍しい時代でした。
特にバーナード・ダーウィンが自身の著の中で「Royal Liverpoolの最大の敵はディー河口から吹く風である。」と述べられているように、その風の変化は6,995ヤードを時に7,200に等しいコースに変貌させました。更に河口の干潟地帯の延長上にあるリンクスランドは、一部が不毛地帯のような箇所もいくつか見られ、自然に委ねるリンクスのメインテナンスの厳しさを伝えるコースの一つでした。
67年の大会から39年の歳月を経て、全英がホイレイクに戻った時、周辺用地の管理買収にも成功し、コースは大きくリノベーションされ、全長7,312ヤードにまで拡張されました。最大の変化はTV中継の関係からスターティングホールと最終のフィニッシングホールのルーティングの変化です。上の図をご覧ください。これは通常のホイレイクのホール構成で67年の全英もこれと同じでした。1番はロイヤルホテルの前辺りからスタートし、レーストラックの土手を右にドッグレッグするホールでした。そして16番ではトラックの土手に沿ってクラブハウスに向かうPAR5で、17,18番が用地の右側を行って戻ってくるルーティングでした。
しかしこれだとカメラの配置やギャラリースタンド、増え続けるギヤラリーの整理が付かないことから、17番をスターティングホールとし、18番を2番、1番を3番ホールにしてドラマを生む16番を最終の18番に変更したのです。そのことからOut 35, In 37のオープンコースとなりました。
しかし地形の高低差があまりないホイレイクのリンクスランドでは用具の進化を持って挑戦してくるトッププロたちにとって点で攻めていけるコースには変わりありませんでした。
干ばつがあった2006年、コースのフェアウェイは日焼けし、芝のランの度合いも高いものになりました。優勝したタイガー・ウッズは72ホールでドライバーを使用したのは僅か1度だけのプレースメントショットのゴルフを展開し、それでー18アンダーの記録を出しました。2014年の大会ではトータルヤーデージは同じでもバンカーの配置やグリーンの改修が数箇所行われましたが、優勝したロリー・マキロイはトータル−17アンダーとほぼ前回のタイガーと同じ好スコアを出しました。
今回2023年度全英に向け、ホイレイクはコースに大きな変化を求められました。
そこで全英オープンコースのリノベーション、修復作業でR&Aからも絶大なる信頼を得ているMackenzie & Ebertの設計チームがそれを担当することに決まりました。そして彼らが出した答えが、後半のトーナメントの流れに更なるドラマを生ますために、14番から18番までのルーティングを15番PAR3のティとグリーンの配置を真逆にした新しいPAR3を設計し、14-16-17-15-18のルーティングの流れに変更しました。
15番を真逆にレイアウトして17番となったPAR3、名称Little Eyeは以前より30ヤードも距離が短いが周辺を露出されたサンド地帯とバンカーで囲まれた何と350平米足らずの小さな面積のグリーンです。更に右サイドは厳しいスロープは一つ間違えるとバンカーへ転がり落ちるでしょう。ホイレイクのグリーンの平均面積は570~580平米と言われていますから、その小ささはまさに悪魔のLittle Eyeです。
今回のもう一つの大きな変更は大会10番(通常8番)で、532ヤードPAR5を507ヤードに短縮し、PAR4にしたことです。これによってOUT 35 IN 36のトータルPAR 71のオープン設定に変わりました。以下が全英オープン設定になります。( )内は2014年時のヤーデージです。
#1 PAR4 459(458)
#2 PAR4 454(453)
#3 PAR4 426(426)
#4 PAR4 367(372)
#5 PAR5 520(528)
#6 PAR3 201(201)
#7 PAR4 481(481)
#8 PAR4 431(436)
#9 PAR3 218(197)
Out PAR 35 Total 3561ヤード
#10 PAR4 507(532)
#11 PAR4 392(392)
#12 PAR4 449(447)
#13 PAR3 194(194)
#14 PAR4 454(454)
#15 PAR5 620(161)
#16 PAR4 461(577)
#17 PAR3 136(458)
#18 PAR5 609(551)
In PAR 36 Total 3,822ヤード
PAR 71 Total 7,383ヤード(PAR 72 7,312)
2023年度最後のメジャー大会、全英オープンがいよいよ始まります。
最終の5ホールの展開に是非注目してください。
Text by Masa Nishijima
Photo Credit by Gary Lisbon, R&A, Royal Liverpool GC, GOLF.com, World Atlas of Golf, Mackenzie & Ebert