東欧のゴルフ場開発は民主化への象徴を表すものであり、自国の観光産業との一体化を狙ったゴルフツーリズムが主たる目的でした。

そしてEUに加盟する事によって、自国のゴルファーだけでないEU圏を中心としたゴルファーを迎え入れる事に成功し、メンバーシップを含めたリゾート開発が進みました。

東欧のプライベートクラブ及びメンバーシップリゾートでは自国民以外のインターナショナルメンバーたちが20%以上を占めているクラブも多く、これはEU諸国の平均15%を大きく上回る数字です。

ブルガリアのリゾート開発

民主化へのスタートがやや遅れた感がしたブルガリアではゴルフ場開発は今世紀に入り始められ、2004年に首都ソフィア郊外にSt.Sofia Golf & Spa, スリベン郊外にSliven Golf Courseがオープンしました。

現在まで国内に10コースが点在していますが、ゴルフリゾートの極め付けともなる開発は壮大なスケールの黒海沿岸で行われました。2008年にバルチク市の東沿岸にイアン・ウーズナムをプレーヤーズ監修にEGDが設計したLight House Golf Resort, そして隣接するようにゲーリー・プレーヤーの設計チームによるBlack SeaRama Golf & Villasが開設され話題を呼びました。

更に2010年にはそこから東へ僅かに向かった壮大なスケールの岸壁の上にプレーヤーチームのブルガリア第二作目となるThracian (トラキアン)Cliffs Golf & Beach Resortが完成、戦略性も高いが黒海とゴルフコースがコラボした絶景ポイントがあちらこちらに登場してくるまさにリゾートコースの極め付けと高く評価され、GOLF World誌欧州TOP100コースにも選出されています。

この黒海沿岸の3コースは、旧東欧諸国の中で最も外国人客を迎え入れている人気のスポットとなっています。

* Thracian Cliffs Golf & Beach Resort

*Thracian Cliffs Golf & Beach Resort トラキアンクリフスはGary Player 設計チームの最高傑作との高い評価を得ています。

*Black SeaRama Golf & Villas Resort

*Black SeaRama Golf & Villas Resort

* Lighthouse Golf & Spa Resort

*ブルガリアは共産主義時代を知らない若い世代によって経済は活性化されています。
元琴欧洲関の故郷 古都Valiko Tarnovoもその一つで、IT分野では多くの研究機関が集まっています。


共産主義時代でもワールドカップに出場したルーマニア。

東欧諸国でゴルフに最も力を注いでいる国の一つがルーマニアではないでしょうか。

現在まだ8コースしか存在していませんが、2004年にゴルフ連盟が誕生、更に2015年にルーマニアゴルフ協会(RGA)設立後、才能ある多くの選手達は自国でレッスンカリキュラムを終えた後、連盟の指導のもと国外で腕を磨いているようです。

しかしルーマニアのゴルフ史は古く、戦前には6コースが存在していました。一つは首都ブカレストのBucharest CC “Diplomatic Club”、黒海沿岸沿いにMamaia, Eforie Nordの2コース, 米国人による設計のTeleajen, ブカレスト近郊のPrince Stirbeiが所有していたBuftea等です。

戦時中2コースはロストリンクスとなり、他の4コースは1948年に共産主義政権により閉鎖となりました。共産主義時代に存命、1923年クラブ設立のClubul Diplomatilor(Diplomatic) Golf Clubは、1937年には一時18ホールコースに拡張されましたが、現在はヘラストラウ公園の一部として6ホールだけが残り、他の用地はテニス、サッカー場、スイミングプール、BBQ用のパーティ会場、結婚式場、レストラン、クラブハウスは会議室にも活用されています。

* Clubul Diplomatic

現在ルーマニアで18ホールのコースを持つクラブは僅か2つだけで、どちらもハンガリー、ウクライナと国境を接するトランシルヴァニア地方中部にあります。

トランシルヴァニア地方と聞けばすぐに思い浮かばれるのが吸血鬼ドラキュラ伯爵ではないでしょうか? そのモデルとなったブラン城はブラショフ市の南西30kmほどの所にあり、途中にはルシュノフの要塞もあります。

*ドラキュラの城ブラン城とルシュノフの要塞

ルーマニアの各都市近郊にはオスマントルコなどからの侵略を受け続けたその国の歴史からいくつもの要塞が観光地化されていますが、中部にあるアルバ・ユリアは街そのものが7つの堡塁で守られる星型の要塞都市として知られています。

ゴルフ設計で言えば7つのレダン(Redan)要塞を持った都市となります。大聖堂では1922年ルーマニア王フェルナンド1世の戴冠式も行われました。アルバ・ユリアを流れるムレシュ川沿いの丘陵地はルーマニアワインの生産地としても有名ですね。

* Alba Luliaの要塞都市

*Theodora GC & Villas

* ルーマニアのゴルフレジェンド Paul Tomita(1914-2004)

アルバ・ユリアから川を挟んだ北に18ホールPAR73のTheodora GCが2017年に完成され、コースの質、管理ともルーマニアではベストコースとの評価を受けています。宿泊用の豪華なビッラも備えています。

しかしもっと注目して欲しいのはアルバ・ユリアの南西32km、ピアヌ・デ・ジョス(Pianu de Jos)の牧歌的台地に戦前から共産主義時代までもルーマニアのゴルフ文化を守り続けた一人の男が造り上げたロマンの18ホールがあることです。

その男の名はPaul Tomita(1914-2004)、1914年この村で生まれ、15歳でゴルフを学び、1937年に英国でプロゴルファーの承認を得た人物です。69年から73年まで5度のワールドカップ出場などPaul Tomitaは世界25カ国での大会に出場しました。彼が初めてワールドカップに出たのは54歳の時でした。

それだけルーマニアではゴルフをされる方はチャウシェスク一党独裁の時代では限られていました。政権とのパイプを築いていた彼にとって幸いだったのはチャウシェスクがソ連と距離を取り、やや西側寄りの政策で東欧の異端児となった事がゴルフを伝授、継承していける理由ともなりました。

75年プロ生活を引退、長く務めたブカレストCCを去った後は故郷のピアヌ・デ・ジョスに帰郷します。

* Paul Tomita

彼は当時の事をこう述べています。

「私には夢がありました。自由に狩りをしてゴルフをすることができる場所が欲しかったのです。私は平和な時間を望んでいました。西側諸国に出向く私には常に付き人つき、そんな生活にはうんざりしていました。ルーマニアの秘密警察は私がブカレストに住んでいたとき、ずっと見張っていました。それは私が故郷に戻ってからもしばらくの間は続いたのです。」

彼は故郷で地元の農家や子供たち、そして周辺の都市シビウ、クルージュ、ティミショアラに住み始めた外国人ビジネスマンにゴルフを教える夢を持つようになります。それにはゴルフコースが必要でした。

彼はアルバ・ユリアの市長たちの協力も得て、農地と丘陵地をつなぐ70ヘクタールの土地を借り、そこにまずハンドメイドの数ホールを造ります。

そして共産主義が崩壊した89年から数年後、ルーマニアにゴルフコースを造るその願いを英国のR&Aに申し出て、何と£45,000ポンドもの資金援助を受ける事に成功します。

* Golf Club Paul TomitaとGolf Hotel Pianu

そして1995年最初の牧歌的な手作り感ある9ホールコースとクラブハウスが完成します。

ゴルフクラブ名も彼の名が付いたGolf Club Paul Tomitaと名称し、更に7年をかけて18ホールに拡張しました。ルーマニアのゴルフレジェンドを表敬訪問しに世界中からゲストが訪れます。そして地元の有志たちはクラブハウスに隣接してゲストを迎え入れるGolf Hotel Pianuを完成させます。

ゴルフに祖国の夢をかけたPaul Tomitaは18ホール完成後の2004年、故郷ピアヌ・デ・ジョスで造り上げたゴルフコースの大地で永遠の眠りに尽きます。

尚、Tomitaの姓はルーマニアでは大変由緒ある名前でファーストネームに付ける方も多いようです。ちなみにTomitaの姓が最も多い国は米国で、次にルーマニア、日本は三番目だそうです。米国が多いのは英国に続き欧州からの移民が国を作ってきたのですから当然なのでしょう。

西側に最も近かったハンガリーのゴルフ史

ハンガリーのゴルフの歴史は1902年まで遡ります。

Géza Andrássy男爵が競馬場のレーストラック内でされたのが始まりだと言われています。ただそこにはゴルフコースはなく、フラッグを立てて遊んだ程度だったようです。

正式にゴルフが行われたとされるのは、1909年オーストリア-ハンガリー帝国時代、現在はスロバキア領のスキーリゾートで有名な標高850mの高原地帯、タトランスカ・ロムニカ(Tátralomnic – Tatranska Lomnica) の9ホールコースにて国内初のトーナメントが行われた歴史があります。

しかしハンガリーゴルフ連盟は、1911年6月7日、ブタペストGCが設立した年をメモリアルイヤーとしています。

それは首都ブタペストの街を見下ろすシュヴァーブヘジュ(Svábhegy 標高455m)の高台に三段のテラスタイプのレイアウトで構成させる9ホールコースが造られました。1914年に世界第一次大戦が勃発、18年に敗北してからは北部(スロバキア)、及び東部トランシルヴァニア(現ルーマニア)の領土を失い、ハンガリーのゴルフは暗礁時代を迎えます。

ブタペストゴルフクラブも帝国からハンガリー人民共和国に独立した事からハンガリアンゴルフクラブに改名されました。しかし20年に開催されたハンガリー選手権以降、欧州内でのトーナメントでハンガリーチームの活躍は徐々にゴルフ人気を復活させる要因ともなり、ハンガリーは欧州の重要な拠点ともなります。

そしてバラトン湖にも9ホールコース、ブタペスト市内、中洲のマルギット島には練習コースが造られます。ハンガリアンゴルフクラブも1929年には18ホール,トータル4820メートルのコースに拡張し、1936年のクラブ25周年記念式典には米国から球聖ボビー・ジョーンズもVIPゲストとして招きトーナメントを開催しました。

当時クラブのメンバーは148名で、うち24名が女性でした。

シュヴァーブヘジュには他に乗馬スクールとゴルフコースを周遊するトレイルがありました。ドナウ河を眼下にここだけがまさに別世界だったのです。

*式典に参加した時のボビー・ジョーンズ 1936

*当時のHangarian Golf Cub(Magyar GC)のコース風景海外からのゲストも多くなり、1939年には市内からの登山電車の終着駅となるセーチェニ・ヘジ(Szeheny hegy )の向かいに23室の客室を持つゴルフホテルが建設され、 2年後の41年には18室増加され41室の豪華ホテルとなります。

尚、このホテルは戦後、レッドスターホテルと名称され、ソ連が崩壊された89年以降もパノラマホテル~再度レッドスターと改名し存続していましたが、現在は個人所有の歴史的建築物になっています。

50年代にミッシングリンクスとなったハンガリアンゴルフクラブですが、ホテル前のレゲ通りと交差するゴルフ場通り(Golfpálya utcáig)の存在が、当時そこにゴルフコースがあり、ハンガリーのゴルフ文化の栄華を偲ばせます。

* ゴルフホテルの今と昔。

*かつてゴルフコースが存在していたシュヴァーブヘジュの公園

尚、ホテルを前にゴルフ場通りを左折していくとブタペストの名物でもある10~14歳の子供たちが運営を手伝う子供登山鉄道のセーチェニヘジ駅があります。

ヒューヴェシュヴェルジュ駅までの11.2kmの道のりは鉄道ファンにもたまらないスポットではないでしょうか。

1952年、ソ連の占領下でゴルフコースは無くなり、セーチェニヘジには彼らのレーダーステーションが設けられ、それはソ連崩壊の1991年まで運用されました。

以降、75年までゴルフは米国からの資本主義の白いスポーツと呼ばれ、ゴルフを語ることすら出来ない共産主義の時代に入っていきます。

そんな冷戦下の中、ハンガリーは60年代後半から70年代にかけてマルクス・レーニン主義に固執しないグヤーシュ共産主義の政治背景の中、ゴルフを復活させるチャンスを模索してきました。

ハンガリアンゴルフクラブがあったシュヴァーブヘジュの高台からも近いブダエルシュの地にゴルフコースを復活させる計画案が立ち上がり、79年Kék Duna Golf Clubが完成します。

現存するハンガリー最古のコースとなります。翌年にはMagyar GC(マジャールGC=Hangarian GC)がドナウ中州のセンテンドレ島に完成しました。

*Kek Dona GC(上)とMgyar GC(下)

89年ハンガリーはオーストリアとの国境にあった鉄のカーテンを撤去し、多くの東ドイツ人が西側になだれ込む中、ベルリンの壁はついに崩壊しソ連の共産主義は終わりを告げます。90年にはハンガリーゴルフ連盟が発足、オーストリアとの国境沿いを中心に新たなゴルフコースの建設がスタートします。

2015年に開設されたZala Springs Golf Resortは、R.T.Jones II設計チームのBruce Carltonがリードアソシエイツとなってトータル設計した作品で、 Biarritz, Double Doglegなどクラシック思考のホールとモダン設計を絡めた現在ハンガリーで最も高評価にあるコースです。

バラトン湖畔の街ケストヘイから10km, スパとしても人気が高く、国境も近い事から、オーストリアからのゴルファーたちも多くやってきます。

* Zala Springs Golf Resort、ここに別荘を持つ外国人も多い

Royal Balaton Golf & Yacht Club( Balaton GC)

ハンガリーのベスト3には常にランクされるコース。設計はオーストリアのシュタイヤー(Steyr)にオフィスを構え、欧州大陸で数多くの設計&リノベーションをしてきたHans-Georg Erhardtが2008年に発表した傑作。丘陵地からバラトン湖へのスロープを戦略に活かしたコース。アウトとインのイメージがやや異なるがどちらもバラトン湖の景観を楽しめる。

バラトン湖は冷戦時代も西欧からのリゾート客を迎え入れていた。そんな事から89年、西に亡命しようとした東ドイツ人が休暇を装って長期滞在し、ここから一気にオーストリアとの国境「鉄のカーテン」を目指し西に逃れた。そんな歴史からかバラトン湖畔は西側のドイツ資本によってリゾート開発が進み、ユーロ以前はハンガリーの通貨フォリント以外にドイツマルクでの値段も表示されていた時期もありました。

* Balaton GC

2011年ハンガリーは旧ブタペストゴルフクラブ設立からゴルフ100周年の祭典が開催されましたが、皮肉にもその年の経済危機により幾つかのゴルフコースは閉鎖されました。しかしながら17ある国内のコースの内、10コースは18ホールを持つコースであり、Pannonia , Forest Hill , Hanse National ,Old Lakeの4コースはどれも評価の高い。

ハンガリーは温泉国でもあります。従ってゴルフはリラクゼーションとのコンセプトで開発されてきました。ゴルフを楽しむだけでなく、おいしい食事とウェルネスを組み合わせる事が旅のテーマのようです。

 

ポーランド、ゴルフこそが民主化の象徴。

ポーランドで最初にゴルフコースが誕生したのは1906年の事でした。

その後第一次大戦までに計3コースの9ホールコースが生まれますが、第二次大戦後、ソ連が制圧した時、スターリンが共産主義社会に相応しくないエリートスポーツとみなし全て破壊され、ポーランド国民はゴルフをする事すら禁じられました。89年ベルリンの壁が去ったと同時に海外に居住していたポーランド人によってゴルフへのルネッサンスは起こり、ソ連が崩壊した翌年の92年にはワルシャワ近郊にFirst Warsaw Golf & Country Clubが設立され、93年にはそこにポーランドゴルフ連盟が発足しました。

筆者がポーランドを初めて訪問したのは1993年、この年PGUポーランドゴルフ連盟が発足したばかりの年でした。連盟の会長に今後のゴルフ場開発について話を頂戴した。そこでポーランドのゴルフ史が日本とほぼ同じ時期からあった事を知らされました。

「第一次大戦前から3コース存在していましたが、大戦最中にスターリンによって破壊され、ゴルフルネサンスはソビエトが崩壊する91年まで待たなければなりませんでした。しかしスターリンは乗馬だけは認めたのです。今ではゴルフより贅沢なスポーツをね。何故か、軍事に役立つと考えていたらしい。ナポレオン時代のように騎馬兵でも編成するつもりだったのですかね〜。笑」と話される。

ポーランドではゴルフ場に隣接するかのように乗馬クラブの厩舎があり、ゴルフ場からも乗馬されている光景をよく見かけます。ポーランドの人は「世界中で最もゴルフと乗馬に適した自然の大地があると祖国を誇ります。」と語る。これは隣国ウクライナでも同じでした。皆さん祖国の大地に誇りを持たれています。

ポーランドには現在国内に47のゴルフコースが点在しています。この数は旧東欧諸国ではチェコの132に次ぐ数字です。

ワルシャワ中心部より25km,1992年に再建されたFirst Warsaw Golf & Country Clubは、クラブ史では現存するポーランド最古のゴルフクラブとなります。設計はスウェーデン人のJan Sederholm(1924-2012). 自然を重んじるクラシック志向のデザインにモダンな戦略性を取り入れ、北欧だけで50以上もの設計、改造のプロジェクトを手掛けました。

First Warsawではラストの18番PAR5にアイランドグリーンを用いるユニークなアイデアを提供しました。そしてこのゴルフ場の一帯がレジャー施設が充実した市民憩いの場となっており、隣接して乗馬クラブStable at Kepaがあります。

* First Warsaw Golf & Country Club 18番PAR5のアイランドグリーンの発想はユニークだ。

* Jan SederholmはドイツのBerhard von Limburger(1901-1981)と共に、欧州におけるクラシック設計の定義を守り抜いた人物であった。

* Stable at Kepa ポーランドではゴルフ同様に乗馬のジュニアカリキュラムもしっかりとされている。

Krakow Valley Golf & Country Club

11世紀から16世紀にかけて500年以上もの間、ポーランド王国の首都として栄えた古都クラクフ(Krakow)、1999年、計画から3年の歳月を経て、この街の郊外にも9ホールコース、Royal Krakow Golf &Country Clubがオープンします。コースやメインテナンスの質はともかく、民主化を象徴できるゴルフを楽しみたい。そんなポーランド人の熱い思いがこの古都にもゴルフコースを誕生させます。

*ポーランド文化を華、Krakov(クラクフ)の旧市街

そして2002年、市から北西に車で45分ほど走ったパチュウトビツェの丘陵地帯にアジアでは韓国のNine Bridgesの設計で知られるRon Fream設計チームの作品、Krakow Valley Golf & Country Clubが誕生し、ここからポーランドはゴルフ場の第一期建設ラッシュを迎えます。

そしてここでも隣接して厩舎が設けられ、乗馬トレイルはゴルフコース周辺の自然の大地と谷間を満喫するルートとなっています。

*ヒーリーな箇所も壊すことなく、自然のスロープラインを活かした作品となっている。

*ゴルフコースと乗馬のコラボはポーランドではリゾートの開発テーマとなっている。

2009年にはホシュチュノ市の田園地帯を抜けたラドゥン湖畔にGary Playerの設計チームがModry Las Golf Club & Resortを発表、そのコースの質の高さはポーランド人ゴルフコァーを更に進化させていく結果となりました。

* Modry Las GC

* Postolowo GC

バルト海にも面するポーランドだけに海岸線付近一帯のゴルフ場開発も早くから行われました。

Postolowo GC(1992年), Amber Baltic GC(1993年), Sierra Golf Resort(2002年), Kamien GC(2006年)、そしてPolandナンバ−1との評価が高いSand Valley Golf Resort(2008年)です。

Sand Valleyはフィンランド人設計家Lassi Pekka Tilanderによる作品で、ゴルフワールド誌の欧州TOP100コースに選出されています。広大なPrairieを思わせる広大な用地にはゴルフコースの他にプール付きの18のビッラ、及び宿泊施設が整っています。

*Sand Valley Golf ResortとVillas

ゴルフの発展が著しいバルト三国

2000年を過ぎてから驚くのはバルト3国のゴルフ場建設ラッシュでした。

これまでラトビア 13, エストニア 10, リトアニア 7 , 計30のゴルフ場が誕生しています。その多くは総合レジャー施設の中野ゴルフという位置付けでまだ9ホール、6ホールコースも多いですが、ジュニア教育のカリキュラムもしっかりとしています。

ラトビアには1998年に国内初のゴルフコース、Viesturi GCが誕生してから、現在はPGAツアーも開催できるOzo GC, Jurmala GC(旧SalienaGC)の二つのチャンピオンシップコースを持っています。2002年に開設されたOzo GCはバルト海も近い湖畔のロケーションをフルに活用したレイアウトでラトビアではNo.1の評価を得ています。

* Ozo Golf Club

2006年開設のJurmala GCはかつてSaliena Golf Courseの名称でしたが、オーナーが変わり、2017年にNicklausの欧州チームが大改造し、立派なトーナメントコースに変貌しました。

ヨーロピアンツアー開催に期待が持たれます。

 

* Jurmala GC & Sauna Room

エストニアは現在国内に10のゴルフコースが点在しています。首都タリン周辺を中心にバルト海沿岸部周辺にコースが建設されているのも嬉しいことです。

首都タリンから西へ30km程、Niitvälja Golf Clubは1993年に設立されたバルト三国では最も古いゴルフクラブで、エストニアゴルフ協会もかつてはここを起点に活動を始めました。

バルト三国のゴルフコースは自然環境を破壊せずともモダンなアメリカンタイプのコースが多く見られ、15番PAR5ではCry Islandと名付けられたアイランドグリーンになっています。クラブハウスは北欧風な外観に比べ、中は非常にモダンな造りになっており、大半のコースがサウナ施設を整えています。

* Niitvälja Golf Club #15番のアイランドグリーンとサウナ施設


タリン中心部から東へ25km、バルト海に面して2005年に開設されたEstonian Golf & Country Clubは、旧東欧のコースによく見られるコースのメンバー制度にクラブハウスやロッジ、ビッラの株主制度を加え運営をされています。

バルト三国では最初にヨーロピアンツアーが開催され、ワールドカップ予選会場にもなりました。欧州TOP100コースにも選出されています。

設計はフィンランド人設計家Lessi Pekka Tilanderで、彼は他にエストニアNo.1コースとされるParnu Bay Golf Links(2015年設立)やソ連時代は国境警備の島として住人は追放され、許可なくしては立ち入ることも出来なかったエストニアの文化史跡が残るサーレマー島(Saaremaa)のSaare Golf Course(2008年設計)の設計も担当しています。

又、Parnu BayにあるValgernnaのWhite Beach Golf Clubも同じフィンランド人設計家Kosti Kuronenの作品として高い評価を得ています。

* Estonian Golf & Country Club

* エストニアのベストコースと評価されるParnu Bay Golf Links

タリンから南へ国道2号線(E263号線)を南に20km、自然環境豊かな森林地帯にゴルフ発展の為のリゾートとして作られたRae Golf Center & Golf Club, ビギナーからスクラッチゴルフファーまでもが楽しめるゴルフコースとアカデミー施設があり、サウナファンにとって嬉しいのはスチームサウナの他に北欧の伝統でもあるスモークサウナ(予約制)が完備されている事でしょう。


*Rae Golf, サウナファンには嬉しいスモークサウナとスチームサウナが完備されている。

リトアニアには現在7つのゴルフコースがあります。バルト三国では最も少ない数ですが7コース全てが18ホールコースです。コースの質は全体的にはエストニアよりはやや落ちるかも知れません。

しかしリトアニアには首都ヴィルニュスの北西約20km近郊にバルト三国最大のリゾートと称されるVilnius Grand Resortがあります。複合施設として2009年に開設された The V Golf Clubはリトアニアのベストコースと評価されています。

ヴィルニュス郊外には2007年に設立されたEuropean Center Golf Clubもなかなかの評判です。又、ヴィルニュスから北西へ45km, エレクトレナイの湖水地方の南玄関口に位置するCapitals Golf ClubはThe V Golfに次ぐ評価の高さです。

*リトアニアが誇るVilnuis Grand Resort とThe V Golf Club

* Capitals Golf Resort

バルト海沿岸のコースとしてクライペダ市(Klaipeda)にカナダ人設計家Les Fuberの作品、Amber Golf Clubがあります。また近郊にはドイツ人の設計家、D.J.Krauseが設計したNational Golf Resortがあり、どちらも2008年に開設された作品です。

* Amber Golf Club(上) National Golf Resort(下)

さてリトアニアでもポーランド同様に乗馬は大変人気が高く、クライペダやヴィルニュスのゴルフ場周辺でも厩舎を多く見かけます。

*リトアニア観光でのアクティビティではゴルフ同様、乗馬も大変人気がある。

* Royal Kiev Golf Club ウクライナ

旧東欧シリーズ、最後の紹介になりますが、ロシアの侵略を受け、肥沃な大地が戦火となっているウクライナのゴルフ事情を紹介しましょう。

ウクライナにも7つのゴルフコースが国内に点在しています。しかしそのどれもが戦火を免れているという情報は入ってきません。

広大なゴルフ場は軍の基地にも活用されるでしょうし、攻撃の標的ともされるでしょう。30年の歳月をかけて作り上げてきた民主化の象徴たるゴルフはまた全て振り出しに戻されるのでしょうか。

ロシアのウクライナ侵略はあまりにも時代錯誤しています。ロシアとてこの20年間でゴルフコース数が26(計32)も増えました。

91年以降、今日までロシアにはオルガルヒの枝葉の連中が中心となって築いたゴルフクラブ&リゾートがあり、インターナショナルメンバーには中東アジアの富豪たちも名を連ねています。

今後、これらのゴルフ場はどのように扱われていくのでしょうか? オルガルヒ達や文化人達の海外脱出、経済制裁からロシアのゴルフ場はソ連時代のように「民主主義の贅沢」と罰され、閉鎖に追い込まれていくのでしょうか。

今、ウクライナにあるゴルフ場は戦火の地と化しているかも知れません。

自然環境保護をスローガンにした21世紀、侵略戦争など絶対に許される事ではありません。

Text by Masa Nishijima

Photo Credit by Masa Nishijima, Black Knight International, Light House Resort, Clubul Diplomatic, RGA, GC Paul Tomita, HGF, Hagylako Magazine, PGU, First Warsaw G& CC, Stable at Kepa, Krakow Valley, Postolowo GC, Sand Valley Golf Resort, Ozo GC, Jurmala GC, Nitvalia GC, EGCC, Parnu Bay Golf Links, Rae Golf, Vilnuis Grand Resort, Capitals Golf Resort, Amber GC, National Golf Resort, Royal Kiev GC.