開催コースCountry Club of Charlestonから米国ゴルフ史を探索。

※ Harleston Greenでのゴルフ風景  Charleston SC

米国ではいつどこでゴルフが始められたのか、最初に設立されたゴルフクラブはどこであるか? これを判定するのはゴルフ史家たちにとって永遠のテーマであるかも知れない。つまり現存するクラブとコースを古い順に並べるならばOakhurst Links(1884年), Quoque Field Club(1887年), St.Andrews GC(1888年), Shinnecock GC( 1891年), Chicago GC(1893年)となります。

しかし現存するクラブでジョージア州のThe Savannah GCは設立が1794年とされています。市には1796年の年次総会でゴルフボールの保持が記録されていますが、実際にゴルフコースは何ホールであったのか等、詳細は不明です。このクラブの歴史にコースが登場してくるのは1899年で、1917年に現在の場所に移転しています。では何故100年もの間、Savannah GCの歴史は消えてしまったのでしょうか? その最大の理由は南北戦争と考えられます。内戦によってそれまでのクラブ史は失われ、以降、同じメンバーたちによってクラブを継承されてきた記録もなく、クラブ名は同じであっても1794年設立と1899年設立のこのクラブは別物と考えるべきではないかとゴルフ史家たちは唱えています。

 

同じような史説で語られているのが、サウスカロライナ州チャールストンに存在したSouth CarolinaGCです。ここでは1739~1743年にかけてスコットランド商人たちが船でスコッチと共にゴルフクラブの荷を積んできたという記録が残されています。そして彼等はチャールズタウンゴルフィングソサイティを設立します。

彼等が残した記録の中から1786年に、彼らを含めたゴルフ好きの者たちが、市のハーレストングリーンの草原でゴルフをしたという記録が残されています。これが米国では最古のものと記録とされ、South Carolina GCが誕生したと伝えられています。

その後、このクラブも南北戦争で記録の大半が消え去り、1900年にその末裔たちが新しく立ち上げたのが、現在全米女子オープンが開催されているCountry Club of Charlstonと言われています。

※ 小さな枠内は現在のハーレストングリーンの高級住宅地

※ Harleston Greenの豪邸

 

チャールズタウンゴルフィングソサイティの歴史を伝え残すものとして、ハーレストングリーンの銘柄のスコッチウィスキーがあります。決して高級酒ではありませんが、ご興味のある方はお買い求めになられてはいかがでしょうか。

さて新しく設立されたクラブですが、ホール数が増えていくことから二度移転します。その後1923年に現在の場所に移り、設計を名匠Seth Raynorに依頼します。

※Raynor 直筆のレイアウト図面

アシュレイ川沿いの湿地に面するこのフラットな土地は、当時の造成技術では決してゴルフコースに向いているとは言えませんでしたが、土木工学の才能を買われ、コース設計界に入った彼にとって、この土地で18ホールをレイアウトすることは決して難しい事ではありませんでした。しかしコースとして使用できない湿地が所々絡む事から池を設けるなど工夫を凝らし、その為に通常の彼のレイアウトとは異なり、一場所にグリーンとティが4つも配置されるなど複雑なルーティングになっています。それでもRaynorは師であるC.B.Macdonaldから伝えられたクラシックのテンプレートホールの数々を披露していきます。

 

 

※12,14,16,17番のグリーンが一場所に集中している。

※クラブハウスの周りをホールが囲む。丸印の上が10番、枠内に入りハウスの左手が11番、正面に18番と 1番ティが並ぶ。

 

そのコースの全容

※6番は池越えのOld Biarritz

#11番は大会でも多分最もタフなホールとなるだろうReverse Redan Hole

 

スコアカードに記載されたホールの名称だけからも、3 Eden, 4 Alps, 5 Narrow, 6 Biarritz, 7 Maiden 8 Hogsback, 9 Long, 11 Redan, 12 Road, 14 Knoll, 17 Shortとリンクスの攻略理論を唱えたクラシックの定義ホールが続きます。

更にこの中の4番は以前このコーナーでも解説させて頂いたLeven holeの理論も織り交ぜ、14番のフェアウェイにはオールドコース16番がオリジナルのプリンシパルノーズのバンカーをセンターに配置されています。

※14番のプリンシパルノーズバンカー、Knoll Greenは馬蹄型の形状を持つタフなものとなっている。

※16番 Lion’s Mouthを後方から見ると三方が土手で囲まれたPunchbowl Greenであることがわかる。

 

また名物ホールとされる16番Lion’s Mouth(ライオンの口)は、Raynorのオリジナルでは左右後方を土手で囲むPunchbowl Greenでしたが、後に手前にバンカーが置かれ、その後左右にフリンジが引かれ、現在はそこもグリーン面のフロントとして活用されています。

※15番ではアプローチ付近に突然バーム(Berm)のリッジが登場し、グリーンをセミブラインドにする。

 

コースは名門でありながら、継承メンバーの減少などもあり、80年代の不況時にはサウスカロライナの枯れたクラシックコースのイメージでした。またノースカロライナとの境を跨ぐマートルビーチ一帯は、ウィンターバードのゴルフツーリスト達はもちろん、シニア層を迎え入れるための大規模なゴルフ場開発が進められていました。又、チャールストン周辺もキアワアイランドでライダーカップ用のピート・ダイのオーシャンコースの開発が決まり、豪華なパブリックの名コースが続々と誕生し、プライベートクラブの存続の意味さえあやぶまれる状況にありました。しかしここでクラブは枯れかけたRaynorの作品を甦らす手段として資金を調達し、89年、キアワの造成に来ていたPete Dyeにアドバイズを依頼し、マクドナルド、マッケンジーの名門の改修でも知られたJohn LaFoyにリノベーションを任せることに決定しました。90~91年にかけて修復工事は行われ、コースは徐々に輝きを取り戻していきます。そして06年、日本では我孫子の改造でも知られるBrian Silvaに全面改修を依頼し、Raynorの名作は完全に蘇ることに成功したのです。

全米女子オープンを迎えたCountry Club of Charleston, その秘められた長い歴史とコース設計の定義となったテンプレートホールの愉しさ、その魅力をメジャー大会通して観ていただけたら幸いです。

 

Text by Masa Nishijima

Photo by Masa Nishijima, Andy Johnson, Graylyn Loomis, History Museum of Charlston. Etc.