No.47 著名コース設計家シリーズ③
幾何学的デザインのグリーンとバンカーでクラシック理論を構成した男セス・レイナー
ノンゴルファーのコース設計家
米国クラシック時代の代表的コース設計家セス・レイナーは、プリンストン大学で土木工学を専攻し、更に景観性造園学を学び、卒業後は土木技師兼造園家として仕事をスタートする。当時富裕層向けの住宅開発が進んでいたニューヨーク州ロングアイランドのサザンプトンにオフィスを構え、主に公共の排水路、水道、道路建設、公園の設計施工などを手がけていた。1908年34歳の時、米国ゴルフ界の父と称えられたC.B.マクドナルドが設計するナショナルリンクスオブアメリカの境界線の測量及び地盤調査の依頼を受け、そこで初めてゴルフというものに遭遇する。彼はそこでマクドナルドから土木技師と造園家としての才能を買われ、施工現場のチームに加わることになる。後に幾何学的コースデザイナーと称され、50以上もの大作を生んだ男の第一歩でした。
ゴルフとは無縁の人生を送ってきたレイナーにとって、マクドナルドの設計理論、哲学がすべてであった。彼の理想とするものを現場で作り、スコットランドギフトたるマクドナルドのゴルフコース哲学を学び、後にリドGCなどでは現場監督としてマクドナルドの右腕となって活躍するようになります。
1914年にはコネチカットで彼の最初のソロ作品となるカントリークラブ・オブ・フェアフィールド(Country Club of Fairfield)を発表します。
ピート・ダイがモデルとした幾何学デザイン
レイナーのデザイン性の特徴は、グリーンが正方形、長方形の所謂スクウェアグリーンもその一つで、グリーンサイドバンカーの壁は当時ではまだ珍しかった芝を覆ったグラスフェイスドタイプであった。はっきりと四方を模ったようなデザイン性に、まるで幾何学模様のフランス式庭園のようだと述べる専門家たちもいました。当時は自然のスロープラインに溶け込ませるデザインが主流だった時代、彼の作品は明らかに異質であり、マンメイド(人工的)な美学を最初に表現した設計家だったのです。
では何故彼がこれほどまでにスクウェアなデザインに拘ったのか、それはマクドナルドから伝授されたリンクスの起源、万人のためのゴルフ、フェアーとルールの精神から来ています。
リンクスランドでゴルフが始められ、ゴルフはあるがままにプレーする精神(Golf as it was mean to be)の中で、ルール作りが行われるようになるとティインググランドの位置付けが議論されるようになりました。当時のティインググランドは個々がよりコンディションの良い場所を勝手に選んで打っていった。しかしそれではフェアーが保たれない、そこでグリーンの端から1クラブレンクズ内で打つルールが作られたのです。まだコース設計というレベルになく、ゴルファーたちが気ままにグリーンの位置を決めていた時代、単純にスクウェアに図られたグリーンの形状はそのルールにマッチするものでした。
そしてティインググランドのルールと同時に彼らはスクウェアグリーンの配置角度を次のホールに正対させることで四方面からの打席にフェアーと技術の差を補うHCのようなものを求めたのです。
ゴルフをしなかったレイナーにとって、マクドナルドの設計哲学「スコットランドギフト」はバイブルのような存在でした。マクドナルドが米国に伝えたリンクスの名ホールの攻略法とその特徴を表したテンプレートホール(レダン、パンチボウル、プラトー、ビアリッツ、ショート、アルプス、ロード、イーデン)は必ず作品の中に入れていました。従って彼のコースに行けば、必ずこれらのテンプレートホールに遭遇します。これらがプロトタイプとしてクラシック設計理論の確立へと進化していくのです。
レイナーの設計はどれもフェアーであると言われる所以は、彼がゴルファーではなかったことも幸いしているのかも知れません。コースを難しくしよう等と余計なことは考えず、ただマクドナルドの理論を忠実に守り、それを幾何学的にデザインすることで自身を表現したのです。
米国で現役のコース設計家たちに「貴方が尊敬する設計家は?」の質問をすると大半の方が、アリスター・マッケンジーかドナルド・ロスと述べます。しかし鬼才ピート・ダイは違い、「私はC.B.マクドナルドの理論にセス・レイナーのデザイン性を尊重します。」と答えます。
ピート・ダイにコース設計について尋ねると、彼はマクドナルドの理論を延々と語り始めます。そしてマクドナルドのクラシック理論を現代のレングスに合わせ、グリーンを進化させたのが自身の作品のコンセプトだと堂々と述べます。
特にピート・ダイの初期の頃の作品はその特徴が強く出ているようです。
例えばニクラウスを監修に従えたハーバータウンゴルフリンクスなどはレイナーのスクウェア状の幾何学的形状に似たグリーンがいくつも登場してきます。
彼自身、86年にマクドナルド& レイナーの傑作、パイピングロッククラブ(Piping Rock Club)の改修の仕事を受けた時、しばらくその興奮は抑えきれなかったと語っています。そしてピートがスタッフとして引き連れていったのが、インターンとして造成を学んでいた若かりし頃のトム・ドォークでした。
それではここからマクドナルドがレイナーに伝授したテンプレートホール、後にクラシック設計のプロトタイプホールと呼ばれるホールをいくつか写真でご紹介しましょう。
C.Bマクドナルドの設計理論に進化を提供していく。
日本では海難事故が多いことから魔の三角海域とも言われるバミューダ諸島ですが、実はここにもマクドナルドとレイナーが残した名作、ミッドオーシャンクラブがあります。実はこのコース、ロングアイランドのナショナルゴルフリンクス、オハイオのカマーゴクラブと同様に、米国ゴルフ界の父、C.B.マクドナルドの理論を忠実に守るクラブとして知られています。もちろん設計パートナーとして造成現場を指揮したのはセス・レイナーです。
以前、このGOLF Atmosphereの連載でもお伝えしたフランスの避寒地、ビアリッツ(Biarritz)のGolf de Biarritzの3番パー3、入江越えのショットを要求するカジムホール(Chasm hole)を思い出してください。
設計を担当した名手ウィリー・ダンは、聖地セントアンドリュース・オールドコースの18番グリーン左手前にある急勾配なスロープのハロー、通称Valley of Sin(罪の谷)をマンメイドの世界で造ろうと考えました。この窪地にはまるとグリーンへ向けて打つアプローチパターがその勾配で戻されてきてしまうことから罪の谷と呼ばれています。
ご存知のようにオールドコースの18番はパー4ですが、硬いリンクスの地盤から打球は転がり、ドライバブル(1オン)も可能ですが、この罪の谷は時にプレーヤーを悩まし、プレースメントショットを選択される時もあります。しかしウィリー・ダンはその罪の谷を体験させたい為に、あえて距離のある入江越えのパー3にそれを設定したのです。パー3ならば大半の者が1オンに挑戦し、罪の谷の罠にかかると考えたのです。まだ用具が進化していない時代、当時のゴルフではパーオンという定義はありませんでした。クラブ競技ではボギースコアカードが当たり前だった時代です。パー3も2オン1パットのパーセーブの攻略法は最上とされました。世界一難しいパー4と言われるオールドコースの17番もそうです。賢者は3オン1パットでパーセーブを狙い、仮にボギーであってもそれはパーに等しい、つまりオールドマンパーの精神がそこにあるわけです。用具が進化した今日でもこの攻略法は当たり前とされています。
C.Bマクドナルドはダンのカジムホール(Chasm)をクラブ名のビアリッツと題して、米国に伝えました。
マクドナルドがコース設計界からセミリタイアした後、彼を引き継いだレイナーは、マクドナルドの作品を改良していく中で、このビアリッツホールをよりオールドコースに近づけたいと考えました。米国の土壌ではスコットランドリンクスの硬い地盤と同じ条件にすることは難しく、ならば手前のアプローチエリアもグリーンにすれば、もっと罪の谷の恐ろしさを縦のレングスでグリーンの前後を楽しめると考えました。つまり罪の谷をグリーンのセンターにすることで、ホールロケーションが罪の谷の手前にくることも演出できると考えたのです。( PS 写真 Yale University Biarritzをご参照してください。)
今日、ビアリッツホールと言えば、このレイナーの発想のものを呼び、マクドナルドのものはオールドビアリッツと名称されています。
名門サイプレスポイントのオリジナル設計はレイナーだった。
カリフォルニアの名門サイプレスポイントGC、コースランキングでは常にパインヴァレーGCの次にランクアップされるアリスター・マッケンジーの大作とされていますが、実はこのコースの最初のレイアウト図面を描いたのはセス・レイナーでした。彼はモントレー・ペニンスラCC(通称MPCC)の第一コースであるデューンズコースを設計し、西海岸でもその知名度は高かったのです。
そして彼はそこからハワイ、オアフ島に向かい、ソニーオープンでもお馴染みのワイアラエCC(当時はバミューダのMid Oceanの関係からMid Pacific Clubの名称だった)の設計現場に入ります。そして本土に戻り、フロリダで自身がコース設計したエヴァーグレイズクラブにある自宅で、肺炎が原因でなんと51歳の若さでこの世を去ってしまいます。
設計家を失ったサイプレス・ポイントGCは、レイナーの後釜としてアリスター・マッケンジーに設計依頼を出したのです。
巨匠C.Bマクドナルドに導かれ、コース設計の世界に入り、僅か18年足らずの設計家人生、しかしコース設計界に残したその功績はマクドナルドと共に称えられ、ゴルフの殿堂に彼のレリーフは飾られています。
彼がマクドナルドのゴルフ哲学から後世に伝えようとしたスクウェアグリーン等の幾何学的発想。それはピート・ダイにより継承され、今もPGAトーナメントの舞台となっています。
90年代、飛ぶ鳥落とす勢いだったコース設計家トム・ファジオ、リース・ジョーンズの作品は、2013年には世界のコースランキングからその名は消えましたが、マクドナルド、レイナーの理論を引き継いできたピート・ダイの作品の多くは、今も世界のコースランキング、全米のコースランキングの常連として、過去30年間燦然と輝き続けています。その違いは何だったのでしょうか?
クラシック理論の定義を守り続けたからではないでしょうか。
ピート・ダイから造成法を学んだビル・クーア、トム・ドォーク、そしてギル・ハンス、現代を代表する設計家たちは数字の入った図面は書きません。スケッチを描くだけです。そして現場で測量し、杭を打って重機を動かします。
その杭はピートの教えから、まず大きくスクウェアに測り、その中にバンカーのエッジラインを入れてグリーンを形状していきます。
レイナーが拘り続けたスクウェアな形状、これこそがクラシック時代から引き継がれたコース設計及び造成の基本なのです。グリーンコンプレックスという専門用語も最近よく聞かれるかと思いますが、単にグリーン周りという意味ではなく、グリーン造成用地をスクウェアに入りそこから自然のスロープをどのように活用するか、その全体をグリーンコンプレックスと表現します。
Text by Masa Nishijima
Phot Credit by Larry Lambrecht, Ken May, Jonathan Cavalier
Mr .Jonathan Cavalier
フィラデルフィアを拠点に活躍する弁護士。ゴルフコース研究家として知られ、全米中の名コースをくまなくプレーし、撮影をされている。