No. 45 ライダーカップ特集
さあ2018年度ライダーカップが始まります。
1927年、米国vs英国チームの対戦として始まったこの大会、第二次大戦を挟んで、隔年ごとに開催されて今回で42回目を迎えます。
記念すべき第一回大会は、米国マサチューセッツの名門、ドナルド・ロスが設計をしたウースターCC(Worcester CC)で開催され、ウォルター・ヘーゲン率いる米国チームが圧倒的勝利を収めました。場所を英国に移した29年第二回大会は、アリスター・マッケンジーの初期作であるリーズのムーアタウンGC(Moortown GC)で行われ、今度はジョージ・ダンカン率いる英国チームが7-5で米国を下しました。
ライダーカップ、今でこそ米国チームvs欧州チームの対戦ですが、実は1971年までは、米国vs英国だけで行われ、73年からアイルランドチームが英国に加わり、79年からはスペインのセベ・バレステロスの登場などもあり、欧州大陸の選手が加わって現在の米国vs欧州チームの対戦になりました。
ライダーカップは前回のヘーゼルティンナショナル(Hazeltine National)の大会まで、米国が26勝13敗2イーブンと勝ち越していますが、79年欧州大陸の選手を含めた欧州チームが10勝8敗1イーブンと善戦しています。
97年にはライダーカップの会場が初めて欧州大陸に渡り、スペインのヴァルデラーマ(Valderrama GC)で開催されました。セベ・バレステロスをキャプテンとした欧州チームが激戦の上、勝利をしています。
今回のフランス、ル・ゴルフ・ナッショナール(Le Golf Nationale)での開催は、そのヴァルデラーマ以来の欧州大陸での決戦となります。
フランスのゴルフコース史
欧州大陸に初めてゴルフコースが誕生したのは、スペインとの国境に連なるピレネー山脈の麓、セレブの避暑地ポー(Pau)の街に、1856年に設立されたポーゴルフクラブ(Golf de Pau)と言われています。ゴルフ史家の中には1854年ハプスブルク家が領土としていたチェコのプラハにあるプラハGCのオリジナルの3ホールを最古と唱える人もいますが、現在はその痕跡もないことから、ポーを最古と認定しています。ポーの後、フランスでも歴史に語り継がれるコースが誕生していきます。それはスペインとの国境も近いビアリッツの岸壁の上に1888年に誕生したGolf de Biarritzです。名手ウィリー・ダンがセントアンドリューズ・オールドコースのエスプリをフランスに伝えようとしたコースで、クリフ越えの3番Chasm holeは、オールドコース18番グリーン手前の罪の谷(Valley of Sin)をインスパイアしたもので、後にこの作風をC.B.マクドナルド(C.B.Macdonald)がビアリッツホールとしてクラシックコース設計のプロトタイプホールの一つに加えます。
その後も海岸線に大砂丘地帯が広がるその用地の豊かさに魅せられた英国人著名設計家たちが次々とドーバーを渡ります。その中でも巨匠ハリー・コルト(Harry S Colt)と日本でもお馴染みのC.H.アリソンのコンビに、才人と称されたトム・シンプソン(Tom Simpson)は、フランスのクラシックコース時代の黄金期を築き、後世に残る名作を造り上げていきます。
その極めつけが、シャルルドゴール空港からも近いソンリス(Senlis)の村にトム・シンプソンが1927年に発表したモルフォンテーヌで、1985年から今日まで世界TOP100コースのランキング上位に君臨し続けています。
そしてこれら自然の大地との景観性を第一に重んじたクラシック理論の作品をフランスのゴルフ文化は戦後も継承していくのです。
ここで他のフランスの名作を幾つか写真でご紹介したい。
ライダーカップへの道のり
1972年、ヨーロピアンツアーが設立され、欧州大陸でもゴルフ産業が発展していきます。それまでゴルフコースは富裕層たちのレジャー、余暇のひとときを過ごす場所でしかなかったが、中流階級の参加により、競技志向のゴルファーたちが増え始めます。そんな中、フランスゴルフ連盟(La Fédération française de golf、以下はFFG略)は、欧州のどの国にも負けないチャンピオンシップコースの建設が急務と考え、スポーツ省と民間とのセクター事業として、ル・ゴルフ・ナッショナール(Le Golf National)の建設計画を発表します。
FFGでゴルフコースに最も精通していたユベル・シノー(Hubert Chesneau)がコース設計のパートナーに選出したのが、87年フランスセレブ界のクラブ、レ・ボルド(Les Bordes)で成功を収めたロバート・フォン・ヘギー(Robert von Hagge)でした。その設計手腕は、絵画を好むフランス人から「水と光のイルージョン」と絶賛を受けていました。
そして政府との協議の末、彼らが決定した用地は、パリ郊外、イル・ド・フランス地方(Ile de France)、ベルサイユの森から南西に繋がるサン・カンタン・アン・イヴリーヌ(Saint-Quentin-en-Yvelines)の湿地帯を含んだ平原地帯の枯れた農地でした。
シノーはこの広大な用地に、3つのコンセプトでゴルフを国のトップスポーツに伸し上げる案を設計家ヘギー等に説明する。それはアマチュアトーナメント用にリンクスのテイストをテーマにしたコース、そしてトッププロが集まるヨーロピアンツアーに相応しいすべてのプレーが観衆の視界に入るスタジアムコース、そしてビギナーや子供たちをレッスンするためのパー3コースの建設でした。ホール数の合計は45、80年代半ばに立ち上がったスポーツ省とFFGの壮大な計画は、88年にスタートをします。
しかしこの計画には、フランス政府のもっと深い都市計画も絡んでいたのです。
サン・カンタン・アン・イヴィリーヌの都市計画
ベルサイユからは車で15分足らず、パリからは郊外線RER C線に乗って40分足らずの通勤圏にあるサン・カンタン・アン・イヴィリーヌは、1980年代までは人口は10万にも満たない小さな町でした。しかし国のニュータウン法に基づいて、この町では政府のパリ5大副都市計画が進められようとしていました。
サン・カンタン・アン・イヴリーヌは町全体が低層建築の田園型都市計画の中、自然の森を抜ける県道に沿っては、中産階級用の円形状のユニークな郊外型アパートなどが建てられ、当時世界中から多くの視察団が見学にやってきたほどです。因みに他の副都心計画の町は、セルジー・ポントワーズ、エヴィリィ、マルヌ・ラ・ヴァレ、ムラン・セナールで、それぞれに異なったテーマを持って都市計画が進められました。そして政府が打ち出したミレニアム計画の中に、新4大学設立計画があり、2002年にはベルサイユ・サンカンタンアンイヴリーヌ大学の設立と共に、各産業別研究機関の誘致、ルノー、フィアット、日産などの自動車産業もここ周辺に集中し、現在25万を超える人口を数え、最も成功した新都市計画の例とも言われています。
そして街の南東からランブイエへまで広がるオート・ヴァレ・ド・シェヴルーズ国立自然公園はかつて王侯貴族たちが狩りの森として幾つも城館を建てたところであり、そこの再開発地区の北の玄関口がこのル・ゴルフ・ナッショナールだったのです。
つまり20年にも渡るパリ5大副都心計画の中、スポーツ省がゴルフをフランススポーツの文化として位置付けていた訳です。そして毎年ヨーロピアンツアーでは欧州大陸の中で最も賞金額が高いフレンチオープンが開催され、そして今年はライダーカップ、更に2024年のパリ五輪でのゴルフ会場としてFFGは既に決定を出しています。この壮大な計画、箱物を造っては壊していくどこかの国の曖昧な政策プランとはあまりにも違い過ぎます。
コースの完成
1990年10月5日にトーナメント用に設計されたスタジアムコース、アルバトロスコース(L’Albatros)が完成し、翌年にはフレンチオープンの会場となります。その年の9月に第二コースであるイーグルコース(L’Aigle)が完成し、数ヶ月後には9ホールのPAR3コース、バーディコース(L’Oiselet)が誕生します。
アルバトロスコースはトーナメントをエキサイティングにする為に、何とアウトで4ホール、インで6ホールの計10ホールに池又はクリークが絡む設計になっています。トータルヤーデージはパー71の7,234ヤードの設定で、今日のメジャートーナメントが開催されるモダンコースとしては、決して長いとは言えません。ちなみに最終18番パー4は通常パー5のホールです。
コースは比較的フラットに見えますが、掘削して大量の土を盛られ完成されたスタジアムコースだけに、全体を見渡すとコース全体がどことなくすり鉢状のような地形にも見えます。バンカーの数も決して多くありませんが、効率性高いバンカリングの配置になっています。
現在フランスには600近いコースが全土に点在していますが、アルバトロスコースの国内評価は13位と意外にも高くはありません。自然の景観美を愛するフランス人ゴルファーにとって、人工的造形美のスタジアムコースはやはり肌に合わないのかも知れません。しかしFFGの努力は、ル・ゴルフ・ナッショナールの計画がスタートした88年からの30年間で、ゴルフ人口を大幅に伸ばしている事実です。その最大の理由は欧州のプライベートクラブ同様に、モルフォンテーヌやレ・ボルトなど特別なゴルフクラブ以外、大半のクラブが平日はビジターに開放している事です。これはゴルフツーリズムが活性化する今日、EU圏、及び海外からのゴルファーを迎え入れる体制にもなり、クラブ運営に好影響をもたらしています。ル・ゴルフ・ナッショナールも同様で、セミプライベート運営にありながら、グリーンフィのタリフはクラブ会員、FFG会員、EU、一般とに分かれており、我々外国人が対象となるパブリックレイトは200ユーロとフランスでは高額な部類に入ります。
9月25日から30日にかけて行われるライダーカップ。
PGAとFFGは最大7万人を超えるギャラリーを想定するマーケッティング開発をこの大会の為に行ってきました。
ただ設計者シノーにとって残念な事は、コース設計のパートナーであったロバート・フォン・ヘギーが2010年に83歳でお亡くなりになった事です。ヘギーは自らの作品がライダーカップの舞台になる事を見届けられなかった。
米国ゴルフコース管理者協会(GCSAA)は、このライダーカップのコース管理に、協会に加盟する欧米のスーパーインテンデント(コース管理責任者)を集結させ、大会に備えています。これは過去欧州での大会では無かったことで、ライダーカップに関わった米国のクラブのコース管理責任者がボランティアで参加しています。しかし本当に7万人もの大観衆が、イル・ド・フランス、サン・カンタン・アン・イブリーヌの森にやって来るのでしょうか?
フランスゴルフ連盟のコース見識者ユベル・シノーとロバート・フォン・ヘギーの設計チームが造ったスタジアムコース、ル・ゴルフ・ナッショナールは今その時を待っています。
パリからLe Golf Nationalまでの路線アクセス。
パリからはサン・カンタン・アン・イヴリーヌまでは郊外線RER C線が最も便利。そこからシャトルバスが出ているが、6~7 kmほどの距離ならば、地元の方や他の欧州諸国から来た方たちは徒歩で会場まで行く方も多いかも知れません。車で来られる方は、パリ市内を囲む環状線の渋滞、近郊の国道と県道の混雑状況はフレンチオープンの何倍もの来場者ですから想像を遥かに超える状態になることが予測されます。
指定された4箇所の駐車場へ、パリからは時間によっては2時間以上かかる事も予測されます。
各パーキングロットから会場までの図
チケットの値段は
初日、2日目が45ユーロ(16才以下10ユーロ)。
三日目が80ユーロ(16才以下10ユーロ)。
4,5日目は169ユーロ。
最終日が199ユーロ。23日現在、5,6日は既に完売(Sold Out)となっています。
つまり最終日には予定とされる7万人を超える大観衆が、サン・カンタン・アン・イヴリーヌの森までやってくる事が予測されます。
会場図
図で一番注目して頂きたいのは、5印の今話題にもなっているマンモススタンドです。ここのトップからは、図の右から9, 10, 3,2,1,18,15,16,17番のプレーが眺望できるとの事。またスタジアムコースですから、各ホールを分ける人工的に造られたマウンド群が、大観衆の為のスタンド代わりになります。
Text by Masa Nishijima
Photo credit by FFG, Planet Golf, Le Golf National, Golf de Chiberta,Golf de Moliet, RGD, Frank Pont, Masa Nishijima.