Photo by Larry Lambrecht

Photo by Larry Lambrecht

今回のジ・オープン会場となるカーヌスティーゴルフリンクス(Carnoustie Golf Links)は、オールドコース(St.Andrews)、ミュアフィールド等、8つのレギュラーオープンコースの中で最もタフなコースだと言われています。

コースはほぼフラットなリンクスランドですが、馬蹄型を描くようにレイアウトされた18ホールの流れは、砂丘の凹凸をよりホールに取り入れ、蛇行するかのようなルーティングです。海岸線が近いにも拘らず、コースからはそれを望むことはできない、それだけに風への計算をミスするとほぼ直角の壁を持つソッドウォールバンカーや砂面にフラットがないポットバンカー、そして深いフェスキューのラフなど、あらゆるペナルが待ち受けています。

16世紀の地図当時はKarnoustieと記されている。

16世紀の地図当時はKarnoustieと記されている。

 カーヌスティーの名の由来は、かつてバリーリンクス(Barry Links)と言われたこのリンクスランドに、11世紀デンマークからのバイキングが侵略をしてきた歴史があるからです。英国の中で、Car(Kar), Wich,Wickなどが付く地名はバイキングの痕跡が残る町です。戦いがあったバリーリンクスで初めてゴルフが行われたのが1560年であると教会の記録に残されています。その後、名手アラン・ロバートソンが10ホールのコースを造成し、その後、12ホールと拡張していきます。そして18世紀後半に、バリーリンクスの北東部にカーヌスティーの町が誕生し、1839年にコースはゴルファーたちが集うカーヌスティクラブと名称されます。その後、1857年にオールド・トム・モリスが18ホールコースに拡張し、The Openを迎えるに相応しいコースに進化していきます。

1888年のレイアウト図、当時は5617ヤードのコースだった。

1888年のレイアウト図、当時は5617ヤードのコースだった。

しかしカーヌスティーがジ・オープンを初めて迎えられたのは、1926年、名手ジェームズ・ブレイドによって大体的にコースが改造された後の1931年第66回大会であり、当時モンスターと称された全長6,900ヤードになってからの事でした。優勝者トミー・アーマーは8オーバーのスコアでした。以降、前回の2007年の大会までジ・オープンは計7回開催されています。

1953年の大会では優勝者ベン・ホーガンの華麗なるスウィングに多くのギャラリーが酔いしれた年でした。6PAR5は右手にOBラインの木柵がフェアウェイに沿ってストレートに引かれ、センターには二つの巨大なバンカーがあり、その為、多くのプレーヤーたちはバンカー手前右手にレイアップし、確実に3オンを狙う攻略法を選択しました。ところがホーガンは、2打目でグリーンが狙える木柵とバンカーの狭い間を狙い、更に風を計算しては、バンカーをターゲットに右サイドからの攻めを行うなど異次元のプレーを演出しました。

黒線がホーガンが最終日に果敢に攻めた2ショットの攻略ルート、点線が通常の攻略ルート。

黒線がホーガンが最終日に果敢に攻めた2ショットの攻略ルート、点線が通常の攻略ルート。

ホーガン愛用のOld 1.62

ホーガン愛用のOld 1.62

R&A2003年、1999年のチャンピオン、ポール・ロウリーはじめ、アダム・スコット、アルジャン・アトウォール、VJシン、コリン・モンゴメリー等に、1953年当時のドライバーとOld1.62のボールで、この6番ホールを打たせてみる実験を試みました。結果、アトウォールの251ヤードが最長で、続いてロウリー245、スコット231、シン219、モンゴメリーの203ヤードの順で、当時525ヤードだったこのPAR5を果敢に2オンに挑戦したホーガンの飛距離とその正確性に改めて驚嘆し、木柵とバンカーの間のルートをホーガン通り(Hogan’s Alley)と名称、クラブ側もこのホールのクラシックネームをロングからホーガンズアレーに変更しました。

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 現在、この6番は578ヤードに延長され、更にバンカー右サイドのルートは、その20~30ヤード先に二つのバンカーが設けられた事から、プレーヤーはその先端のバンカーをターゲットに300ヤードキャリードライブが可能でない限り、ホーガンズアレーのルートを選択せざるを得ない、非常にタフなパー5となっています。決勝ラウンドでは前半のキーホールになるでしょう。

さてカーヌスティーが後世に伝えた二つの設計理論があります。その一つは左右前後からの風に対し、縦長のグリーンをどのように活用し、戦略的に進化をさせる事でした。カーヌスティーの4番と14番グリーンはセントアンドリュースオールドコースに見られるようなダブルグリーンです。但し左右を分けるのではなく、前後で分けています。実はこの二つのホール、元々は縦に向いあっていたもので、1980年代後半にこの二つのグリーンを繋げ、カーヌスティーの特徴でもある縦長のダブルグリーンに改造しました。このアイデアは後に、コース改造を行うコースに強い影響を与えました。オーストラリアの名門キングストンヒースは、90年代初頭に8番と16番のグリーンだけを一つのダブルグリーンに改造しました。同じようにこのアイデアで二つのホールを一つのダブルグリーンにするコースも続々と登場してきます。

 

1980年台始めの頃の4番と14番グリーン。二つのグリーンの間にはハロウが流れていた。

1980年台始めの頃の4番と14番グリーン。二つのグリーンの間にはハロウが流れていた。

現在の14番ホール。グリーン後方は4番グリーンとなる。

現在の14番ホール。グリーン後方は4番グリーンとなる。

次にカーヌスティーの設計の心臓部とも言えるのが、偶然にも用地に流れていた二つのクリーク、バリーバーン(Barry Burn)とジョッキーズバーン(Jockie’s Burn)の蛇行ルートを巧みにコースレイアウトの中に活かした事です。1968年のジ・オープンで、ゲーリー・プレーヤーとここで死闘を演じたジャック・ニクラウスは、クリークの存在のあり方をカーヌスティーで学び、後に自身の設計理論において、「クリークは設計上、カーヌスティーのバーンのように描けなければ、それはナイスショットをクリークに飛び込ませるアンフェアな設計との境界線をさまよう結果となる。」と述べています。事実、ニクラウスはデェスモンド・ミュアヘッドとの共作となったミュアフィールドビレッジの設計において、ミュアヘッドがアイデアしたクリークのハザード理論に強く反発し、あくまでミスショットにおけるペナル的配置を強調していた。実は東京クラシックにおいても15PAR5で、アジアンプロジェクトの設計パートナーが描いた池からグリーン手前まで流れるクリークの存在を最後はプレーヤーがクリークを確認できずアンフェアであると変更依頼をしたほどです。その為に東京クラシックは当初予定していたグランドオープニングを数ヶ月遅らせる結果となる。しかしニクラウスの突然の変更は、オーナー側にとっても辛いものがあっただろうが、メンバーをアンフェアな環境でプレーさせたくないと願うニクラウスの最善の処置であったことは間違いありません。

戦前、カーヌスティーのクリークのあり方を自らの設計に巧みに取り入れ、クラシック設計におけるクリーク理論を発表された方が、全米オープンコース、ニューヨークの名門シネコックヒルズを完成させたウィリアム・フレイン(William Flynn)で、彼は自身のオリジナル作品であるランカスターCC4番を始めとする数ホールで、カーヌスティーから学んだクリーク理論の定義を実践し成功しました。又、彼は自身が設計協力した名門メリオンにおいてもそのクリークのあり方を設計家ヒュー・ウィルソンに伝えています。

 

ランカスターCC4番、グリーンは右小高い丘の上にあり、クリークがフェアウェイを分離させ、どのアングルからグリーンを攻めるべきかを問う攻略理論となっている。

ランカスターCC4番、グリーンは右小高い丘の上にあり、クリークがフェアウェイを分離させ、どのアングルからグリーンを攻めるべきかを問う攻略理論となっている。

名門メリオンの設計にもカーヌスティーのクリーク理論は重要なマニュアルだった。

名門メリオンの設計にもカーヌスティーのクリーク理論は重要なマニュアルだった。

ベストウォーターハザードとその悲劇 

ウォーターハザードのベストホール?と尋ねれば、多くの専門家たちはオーガスタの12,13番ホールのピンポジションによって異なる攻略性を唱えるでしょう。オールオアナッシングのホールだけで捉えるならば、誰もがあのTPCソウグラスの17番アイランドグリーンと答えるでしょう。しかしメジャー大会で最大の悲劇を演出したウォーターハザードと言えば、カーヌスティーの17, 18番ホールに蛇行するバリーバーンのクリークではないでしょうか。1999年のジ・オープン、17番を終了して、2位に3打差をつけて独走していたフランス人、ヴァン・デ・ヴェルデがこの蛇行する悪魔のクリークにはまり、結果はトリプルボギー、ポール・ロウリーとのプレーオフに持ち込まれ、優勝を逃しました。

その時の悲劇の一部終始がこの映像に残されています。当時の解説、戸張捷氏、青木功プロ、羽川豊プロの三人がその悲劇の模様を伝えています。

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カーヌスティーの悲劇1話から6話までありますが、4話からどうぞ。

4話https://youtu.be/EqGiioIJeTg

5話https://youtu.be/Pu7YXtdHq2o

6話https://youtu.be/5-g5XmXNeZs

 

17番(左)と18番(右)のホールレイアウト図

17番(左)と18番(右)のホールレイアウト図

カーヌスティーの悲劇はヴァン・デ・ヴェルデでだけでは終わりませんでした。
2007年の大会では悲願のメジャー制覇を狙うセルヒオ・ガルシアが最終日3打差を追いつかれ、パドレイグ・ハリントンとのプレーオフの結果敗れ、人気者セルヒオ・ガルシアのメジャー制覇はそれから10年後のマスターズまで待たなければなりませんでした。
カーヌスティーのリンクスはあらゆる難関が待ち受けている中で、グリーンに関しては他のリンクスと比べ、アプローチから捉えやすい形状になっています。グリーンの大半が縦長グリーンで、その多くは横のコンター(Contour=起伏、尾根)による二段形状のグリーンが多いことです。しかしながらリンクスによく見られる縦にコンターが流れるグリーンは、グリーン面が左右に分割される為、アプローチはスペースの狭い非常に厳しい状況となり、パッティングも縦コンターから流れるアンジュレーションを読み切るセンスが要求されます。                    

 

図上)縦コンター  図下)横コンター

図上)縦コンター  図下)横コンター

 

Text by Masa Nishijima

Photo by Larry Lambrecht and Masa Nishijima , Carnoustie Club