およそ700年前、英国に誕生したゴルフ。米国に渡り、日本・神戸に入ったのは今から約100年前のことです。戦後の日本では、企業の接待用に普及し、特にバブル経済を経て大きく発展することになりました。バブル期においては、真のゴルフ場づくりよりも、日本の発明であった預託金制度をもとに投機的な目的でのゴルフ場建設ラッシュとなりました。やがて日本のゴルフ場数は2400か所を超えることになり、米国・英国に次ぐ世界第3位のゴルフ大国が生まれました。しかしながら、いわゆる名門と呼ばれるゴルフコースは、財界の社交場として発展してきた経緯から、厳しい規律の中で閉鎖的に運営されてきました。一方、バブル経済の崩壊により、日本のゴルフ場の寡占化が進み、一般的なゴルフ場の大衆化という二極化現象になっています。
本来のカントリークラブとは、スポーツを楽しむために郊外につくられた、会員制のクラブおよびその施設を指します。会員制は家族単位が帰属することが基本であり、クラブを中心にソサエティが形成され、結婚式やさまざまなイベントも行われています。
日本でもカントリークラブを名乗るゴルフ場は少なくありません。しかし、広大な用地を必要とする乗馬などの設備はなく、ゴルフコースだけの場合がほとんどであり、月例コンペという交流はあるものの、ほぼすべてがゴルフのためだけの会員権です。従って、メンバー同士の家族が集う、クラブライフを中心としたライフスタイルが育つことはありませんでした。「東京クラシッククラブ」は、東京都心に住むソサエティを形成するにふさわしい人々のための、真のカントリークラブを目指して誕生します。そこではまさに、充実のクラブライフが展開されるのです。
全長7220Y、IP280Yとして設計当初から計画されているコースは国内には皆無のため、上級者が深く納得できる戦略性に飛んだチャンピオンコースであると同時に、トッププロからアマチュアまで幅広いレベルに応じてチャレンジングな醍醐味を充分に味わえるコースを実現している。また、環境に配慮した設計を心掛け、まさにゴルファーにとっての理想郷が誕生したのです。
ジャック・ニクラス
ジャック・ニクラスは、2014年に米国ゴルフマガジン誌が選ぶ[Architect of the Year]にも輝いている。このように世界で類をみないゴルフ場設計の第一人者であるジャック・ニクラスが、日本における偉大なキャリアの集大成となるゴルフ場として、東京クラシックゴルフコースを選んだのである。ニクラスのゴルフ場設計哲学の一つでもある本来あるべき自然を可能な限り損なわないこと。それを実現するのに最適の地形条件だった。ジャック・ニクラスは、「人は心から楽しめるもののみにベストを尽くせると、私は強く信じている。ちっとも楽しくないことに高い能力を発揮するのは至難の業だ。」と言っている。東京クラシックゴルフコースはまさに彼にとって楽しみながらベストを尽くせる場であったのである。
北海道クラシックゴルフクラブの開場から25年。日本で最後になるであろう東京クラシックゴルフコースの開発にあたりジャック・ニクラス自らが指揮を執り、現場責任者にはジャックの右腕として長年携わっている。
MARTIN C. COCHRAN(Senior Design Associate)を任命した。彼は、Valhalla GCや Muirfield Village GC の設計・改修にも中心人物として活躍しており、北海道クラシックゴルフクラブの現場責任者でもある。また、ジャック・ニクラス事務所のコース造成(シェーパー)スタッフであるJOSEPH MICHAEL MILLERは、あのオーガスタ・ナショナルのグリーンを改修した実績を持つ。
全長7220Y、IP280Y として設計当初から計画されているコースは国内には皆無のため、上級者が深く納得できる戦略性に飛んだチャンピオンコースであると同時に、トッププロからアマチュアまで幅広いレベルに応じてチャレンジングな醍醐味を充分に味わえるコースを実現している。また、環境に配慮した設計を心掛け、まさにゴルファーにとっての理想郷が誕生したのです。