連載 GOLF Atmosphere No.134 / 第108回全米プロ特集( 2026年度PGA Championship )

世界のトップツアープロNo.1を決める第108回全米プロ選手権は、ペンシルベニア州フィラデルフィアの西22マイルのニュートンスクウェアにあるAronimink Golf Club(アロニミンク・ゴルフクラブ)で開催されます。
Aronimink Golf Clubの歴史は、1896年フィラデルフィア市外にあったベルモント・クリケット・クラブのメンバーたちが、時代の流れでゴルフを始めたのがスタートでした。当初はクリケットクラブであった事から、ゴルフはベルモント・ゴルフ・アソシエーションと名称を付け、クリケットの名手であったハリソン・タウンゼント氏を中心に12月に発足しました。彼らは1900年にAronimink GC(アロニミンク・ゴルフクラブ)を立ち上げ、クラブを法人化しました。2年後の1902年、1マイルほど離れたウィットビー通りに土地をみつけ、1907年最初のゴルフコースが誕生します。ちなみにアロニミンクの名称の由来は、かつてこの土地に住んでいた先住民レナペ族の酋長「アロニミンク」にちなんでいます。
米国の名門ではシネコックヒルズGCやセミノールGCなど先住民族の名を付けるクラブも少なくありません。


*Aronimink GC アップヒルなラインにある#18& #9ホール
フィラデルフィアの都市計画拡張と共に、クラブは追いやられるように郊外に移転せざるを得なくなります。1913年にドレクセルヒルに移転し、そこで約13年間活動後、18ホールコースを建設する為により広大な土地を求め、更に西のニュータウンスクウェアに300エーカーの土地を購入しました。農地には険しい浅い谷間のような高低差25m用地は、むしろゴルフコースには適したユニークな地形にありました。
コース設計は米国コース設計界の巨匠ドナルド・ロスに依頼、クラブハウスはチャールズ・バートン・キーンが設計し、1928年のメモリアル・デー(戦没者追悼記念日)にグランドオープニングを迎えました。
そのユニークな地形の用地はスコットランド出身のドナルド・ロスにリンクスの特徴を表現するに最も適した土地に思えました。彼はホールのレイアウトを考案する中で、高地から窪地に流れる地形のスロープラインを巧みにフェアウェイの傾斜に活用しました。まだ低弾道だったクラシック時代のゴルフ、その打球のランは左右から流れるスロープを転がり、その行き着くポイントには幾つものバンカーを設けました。例えばフェアウェイ左に落下した打球はスロープで右に転がり、また逆にそこを折り返すホールならば、右から左へと転がります。

*Aronimink GC、各ホールごとのスロープラインを矢印で示しています。
ここにプレーヤーのコース攻略とコース設計家の戦略性のメソッド(Method)が交わります。そして当時としては大変長い全長6,619ヤードというリンクステイストのコースに仕上げたのです。幾つものバンカー群は蛇行するフェアウェイのポイントでドライブにハザード効果を巻き込みます。L字型や斜めに配置されたグリーン、地形のグランドレベルに合わせたグリーンの高さなど、砲台状のCrowned GreenやTurtle Back Greenで知られるロスの設計にしてはやや異色な作品だったのです。
当時フィラデルフィアは、A.W.ティリンガストやジョージ・クランプ、ヒュー・ウィルソン、ウィルアム・フレイン等がその知識を結集させたクラシック設計理論(フィラデルフィア・スクール)が確立されていました。パインハーストやセミノール、オークヒルなど、東部のロスの傑作品を知る彼らの眼にもそれは特別なコースに見えたことでしょう。
設計依頼が全国から届くロスは、その忙しさに現場に足を運ばず、図面だけを送った例も多くあります。アロニミンクでは開設日に訪問できず、ロスがここを再訪問したのは1948年、米国コース設計家協会(ASGCA)が発足した年の事でした。そこでロスが述べた言葉はクラブの顕彰に残されています。
I intended to make this my masterpiece, but not until today did I realize that I built better than I knew.
(これを自分の最高傑作にしようと思っていたが、今日になって初めて、自分が思っていた以上に素晴らしい作品に仕上がっていることに気がつきました。)
…Donald Ross.

*#5 PAR3, ドナルド・ロスもC.Bマクドナルド等と同様に短いパー3のグリーン周りはバンカーが包囲する設計をアロニミンクはもちろん、自身の傑作、セミノール、オークヒル、オークランドヒルズ等でも取り入れていた。所謂クラシック設計の「Short」のテンプレートホールである。
Anonimink GCのオリジナルにはバンカーの数が190もあったそうです。その理由はロスが描いた巨大の一つのバンカーを幾つもの小さなバンカーにクラスター化したからでした。その変更も理解した上で、ロスは上記の言葉をクラブに贈っています。
しかし1950年代にクラブ役員たちが、ウィリアム・ゴードンを招き、Off of Play(プレーの進行に意味のない、及び妨げる)のフェアウェイバンカーを排除し、グリーンサイドの幾つかのバンカーを繋ぎ合わせ一つにするなどしました。その後、ディック・ウィルソン、ジョージ・ファジオ、ロバート・トレント・ジョーンズ・シニア等によってコースはリノベーションされていきます。また戦後、他のヴィンテージコースの大半がそうであったように、ホール間を区切る大規模な植樹により、アロニミンクの地形にあったリンクスのテイストは影を顰め、パークランドタイプのクラシックコースに変貌していきます。
著者が初めてアロニミンクGCを訪問した1990年初頭の頃はその時代のコースで、ドナルド・ロスの歴史はあれ、けして高い評価にはありませんでした。
ゴルフコースがロスのオリジナル作品から変貌していった最中、アロニミンクは突然PGA側から全米プロ選手権の開催要請が届きます。その理由は当時のゴルフ界に強く残されていた白人至上主義でした。
1962年の全米プロゴルフ選手権(PGA Championship)は、名門リビエラカントリーからも近いロサンゼルス・サンタモニカのBrentwood Country Club(ブレントウッド・カントリークラブ)での開催が予定されていました。しかし当時のPGA(全米プロゴルフ協会)の規約にあった「人種制限条項(Caucasian-only clause)」をめぐる法的・政治的な対立が起こったことからPGA側は急遽候補コースのリストにあったアロニミンクGCに開催依頼を出します。
その主な理由とその経緯としては、
当時、PGAの憲章には「白人(Caucasian)のみが会員になれる」という差別的な条項が残っていました。これに対し、開催地となる予定だったカリフォルニア州のスタンレー・モスク司法長官(当時)が強く反発をしました。カリフォルニア州による法的圧力は凄まじく、モスク司法長官は、「人種差別を行う団体の大会をカリフォルニア州の公共施設や、公的な関わりのある場所で開催することは認められない」と訴え、PGA側がもしその規約を撤廃しないのであれば、同州での大会開催を差し止めるよう裁判所に訴えると通告したのです。この法的圧力を受け、PGA側はカリフォルニア州での開催を断念せざるを得なくなり、1962年の大会は急遽、東部ペンシルベニア州のアロニミンク・ゴルフクラブに変更となったわけです。この騒動からPGAは1961年11月にようやく憲章から「白人限定」の条項を削除します。しかしながらゴルフクラブなどはまだ女性、人種、カラーへの偏見が残されたままで、ゴルフ界はスーパーヒーロー、タイガーウッズの登場まで待つことになるのです。
さて話をコースに戻しましょう。
1990年代後半から2000年代にかけて、業界のオリジナル修復専門家の一人であるロン・プリチャードは、オリジナル設計家の図面とフィールドダイアグラムに基づき、アロニミンクをドナルド・ロスの構想に戻し始める計画が始まります。しかし前項でお話ししたバンカーの数の変更などがあったように、ロスが実際に描いた図面と実際に1928年に完成されたものとでは幾つもの食い違いがありました。幸運にも全米オープンコースのリノベーション、レストレーションで最近では現代のオープンドクターとも称されるコース設計家ギル・ハンス(Gil Hanse)が近隣に住んでいた事から、アロニミンク側は彼にオリジナルへの復元を持ちかけ、彼の設計パートナーであるジム・ワグナーもチームに参加しました。彼らはまずセピアカラーに焼けた開設当時の航空写真とオリジナル図面からバンカーの復元作業をメインとしました。
ハンスはその中で、グリーンコンプレックス(グリーン周り全体)をオリジナルよりやや拡大する事や、全米プロ用のティボックスの配置アングルからバンカーの数がオリジナルの190から174に減らす事を考案します。そしてユニークなアロニミンクの地形のスロープラインを視界の中に呼び戻すためにまず伐採作業から入り、数ホールをブロックごとに分け、オリジナルのランドスケープを取り戻す復元作業に入りました。復元作業は2016から2018年に渡って行われました。


その結果、アロニミンクGCはこれまでにない高いコース評価を得て、GOLF Magazine, GOLF Digest共に、全米TOP100コースに選出されています。
2026年はアメリカ建国250周年という記念すべき年になります。PGAはこの歴史的な節目を祝うため、建国の地であるフィラデルフィア近郊のアロニミンクGCを開催コースに選びました。この大会は、フィラデルフィアで行われる一連の記念行事のキックオフイベントとの一つしてのその役割も担っています。
Text by Masa Nishijima
Photo & Map by Aronimink GC, GOLF.com, Fried Egg Golf, Golf Architecture