*クリスチャン・ディオール氏(Christian Dior)

 

日本経済がバブル期だった頃、カリフォルニアのペブルビーチ、フロリダのベイヒルやドラールCC、ノースカロライナのパインハーストなど米国の有名なトーナメントコースには日本人ゴルファー達が大勢来られていました。しかし優雅にゴルフを楽しむはずなのに、乗用カートでのセルフプレーに慣れていないのか、ミスショットの時などパートナーに迷惑かけまいとコース内をクラブ持って走ったりしている光景をよく目にしたものです。日本と欧米のコースの違いはグリーンとネクストティ(次のティインググランド)の距離にもあります。欧米の古き名コースはリンクスのグリーンエッジから1クラブレングス内にティッアップする定義に従ってか、非常に近く、グリーン上で後の組がパッティングしているにも拘らず、ティインググランドから「ナイスショット!!!」の歓声が聞こえたりしました。何処に言っても日本の風習、仕来りのゴルフをされる生真面目な日本人ゴルファー達は、米国人には異様に写っていたのかも知れません。事実、パートナーを崇め、マナー良くしようとしても、米国では偏見の目で見る人も少なくありませんでした。更に日本企業が欧米の名コースを次から次へと買収、日本のイメージはあまり良いものではありませんでした。

 

話をフランス、パリの老舗ブランド店に移します。
バブル期当時、日本では清潔感を表すためか、無地の白いTシャッツを男女カップルがお揃いで着るのが流行っていたようです。それは新婚旅行で海外に行かれるカップルにも多く見られ、真夏のパリでもハワイと同じように白いTシャツにビーチサンダルルックのカップルがシャンゼリゼ通りを歩いていて、地元放送局はその光景をTVで流し、キャスター達はその光景に驚かれていた。当時のフランスでは白のTシャツは肌着のイメージでしかなかったのです。
当時ブランドビジネスの研究家のお一人で、某大学教授のN氏の解説が日本航空の機内誌に紹介されていました。それを拝読した時、パリの老舗店のブランドとは何かを初めて知る事が出来ました。それは売れ行きの高い人気商品ではなく、店に訪れる顧客こそが彼らにとっての最高のブランドだという事です。
クリスチャン・ディオールの商品を妻に頼まれ、パリの本店に行った時の事を思い出します。私はN教授が説いた事に従ってみようと真夏の最中でしたがジャケット、タイの服装で訪問しました。すると私の前にN教授のお話が現実のものとなって現れました。私が入店し店内を見渡していると、直ぐにスタッフの女性が声をかけ要望を尋ねてきました。私はとりあえず妻から預かった購入リストを渡すと席に案内されました。隣にはおしゃれな杖を持つ貴婦人が居られました。けして高級品でもないものを購入しに来たのにこの接客には驚きました。すると噂に聞いていた白いTシャツのラフなスタイルの日本人カップルがやってきて店内の商品を眺めていました。しかし店員の誰もがその若いカップルに近付こうとはせず、まるで無視しているようにも見えました。カップルはその冷たい接客態度にイライラしたのか購入したいリストのようなものを見せていましたが、マネージャーのような女性が出てきて、二人にギャラリーラファイエットのデパートに行くよう伝えていました。男性は「何だよ、本店には口紅一つ置いていないのかよ!」と、やや怒り気味に店を出ていかれました。
実は私が妻から頼まれたのはその口紅で、本店でしか置いていないという色の品でした。私が店を出るまで笑顔で対応してくれたのとは対照的でした。これがパリの老舗クリスチャン・ディオールのプライドだと改めて学ばせてもらった日でした。

その創設者のクリスチャン・ディオール(Christian Dior)は、ノルマンディー地方の保養地グランヴィル(Granville)の町で生まれ育ちました。近くには世界遺産モン・サンミッシェルもあり、競馬場もあった事から20世紀初頭には海岸線のリゾート地として栄え、パリの芸術家達も多く住むようになります。

*風光明媚なGranvilleとMont Saint-Michel

 

クリスチャン・ディオール氏について長く知られていなかった事があります。それは子供の頃からゴルフを親しんでいた事、そしてもう一つが同性愛者であった事です。
グランヴィルには競馬馬のとなりのリンクスランドに、ノルマンディー地方では最も名門と言われるGolf de Granvilleがあり、1912年からの歴史を誇るクラブは、英国人コース設計家ハリー・コルトと日本でもお馴染みのC.H.アリソンの大作でもあります。フランスのゴルフコースの中で最もリンクスタッチなコースと言えましょう。
ディオール氏はジュニア時代からここでゴルフを学び、かなりの腕前を誇っていました。クラブハウスに入るとパリの貴婦人方を引き連れたディオール氏の写真なども飾られています。
クラブハウスに飾られている写真のいくつかをご紹介しましょう。

 

 

*貴婦人方をGranvilleに招いた時のDior氏

 

*1世紀を超えるクラブハウスは今も変わらぬ佇まいである

 

*グランヴィルでは今でもメンバーによるDior杯が開催されています。

 

名匠ハリー・コルトの作品であり、これだけの歴史を誇るグランヴィルですが、1980年代まで米国では全く知られていなかったフランスの隠れた宝石リンクスでした。ましてやあの偉大なるクリスチャン・ディオールが親しんだゴルフクラブだったなんて米国人の誰が想像出来たでしょうか。
隠された宝石コースだった理由は、ドーバー海峡の玄関口カレーの港町一帯のリゾートからも距離があり、避寒地として昔から英国人たちが開発にも関わったスペインとの国境も近いバイヨンヌ一帯とはその環境も大きく違っていました。又も同じノルマンディ地方でも大戦中、連合艦隊が上陸したオマハビーチ一帯ともシェルヴールのある半島を挟んで反対側にあった為、元々がフランス人の為のフランスの牧歌的背景にあるリゾートだったのです。この辺りにやってくる米国人は皆、モンサンミッシェルの観光が目的で、けしてゴルフではありませんでした。
そんなグランヴィルの存在を海外のゴルファー達に伝えたのは1980年代後半にレンタカー会社のEurope Carがスポンサーとなって発行されたGolf Guide Europeの中で紹介されたのが始まりだとも言われています。このガイドにはコースの設立年、設計家、その特徴、近郊のホテル、コースのカテゴリーもミシュランガイドのように星印付きで紹介されていました。グランヴィルはその中でも二つ星の高い評価でした。
牧歌的なリンクスというイメージで、砂丘の起伏を利用した砲台状のグリーンなどコルト、アリソンの特徴が所々に感じられる作品です。

 

 

*歴史的建築物にも登録されているクラブハウス

 

*シグネチャーホールの16番PAR3。この高台のグリーンに行くと周りの全体が見渡せます。

 

最近になってコースも進化を見せるかのようにリノベーションされましたが、90年代まではバンカーの形状など長方形か円形状のシンプルなもので、それはアリソンがリンクスランドに多く点在するポットバンカーの特徴をシンプルに表現したものだと伝えられていました。またコルト&アリソンのリンクスコースの他に、1986年マーティン・ホートリー(Martin Hawtree)が設計した9ホール(PAR33)のDunesコースもメインコースをプレーする前のストレッチとして人気があります。
モンサンミッシェル観光を兼ねて、ちょっと寄り道されてはいかがでしょうか。

 

さて今週は歴史ある欧米対抗戦ライダーカップがニューヨーク州ロングアイランドのベスページブラックコース(Bethpage Black Course)で開催されます。北米史上最も有名な市営コースで、これまでも全米オープンなどメジャー大会が開催されてきました。名匠アルバート・ティリングハスト(Albert.W.Tillinghast)の傑作で、4番は彼がクラシック設計の定義に残したダブルドッグレッグホールのテンプレートとしてシグネチャーホールとなっています。ゴルフネットワークではなくU-NEXTが中継されるようです。ご覧になられる時はこのホールにちょっと注目されてください。
ベスページブラックコースはメジャー大会が開催される度に、トーナメントコースとして大きく進化をしていきます。しかしコースランキングにおいてはランクアップすることなく、やや落ちている傾向にあるようです。今日、トーナメントコースとコースランキングの評価は別物と考える時代に入ったように感じます。これについては次回のこのコーナーで詳しく解説しましょう。

 

*Bethpage Black #4 PAR5 517 yrds  Double Doglegs

 

 

 

Text by Masa Nishijima.

Photo by Masa Nishijima, Larry Lambrecht, Golf de Granville, BAZAAR,